01
白い光の波に飲まれ、風に攫われ、そして落ちているような登っているような不思議な感覚にアンブロシアーナは目を開く。
つい先程まで目の前にいたジギの姿は無く、そこには魔導書だけが浮いている。
「……ジギは」
辺りを見回すアンブロシアーナに、魔導書が鳥や蝶が羽ばたくのと同じような動きをしてみせた。
「彼との契約は終わりました」
どこにも口などついていないのに声を発した魔導書にアンブロシアーナは驚き目を見開く。
まるで生き物のように考え、会話ができるモノを生み出すには相当の力が必要になる。時間を遡るという人智を越えた術を実行に移せるのだから、それくらいはできて当然の事かもしれないが。
「魔導書さん、どうしてジギに手を貸していたの? あの人は魔人じゃないから魔力も無いのに……」
「寿命を頂きました」
「最初にジギを蘇らせたことと矛盾してる。蘇らせたい人の寿命を奪うなんておかしいでしょう?」
「因果です。彼を蘇らせるためにこうなった。今のあなたなら、わかりますね?」
アンブロシアーナはあまりにも膨大な魔力と自らの役目に気が付き、そういうことかと頷いた。
「アンブロシアーナ、今のあなたならどこまででも戻れます。さあ、望んで」
魔導書はこの時をずっと待っていたのだろう。アンブロシアーナが忘れてしまっていた間もジギと共に長い時間の海を彷徨って、何度も何度も悲しい思いをする彼をそばで見守り続けていたのだ。
「ジギを……魔導書を手にする前のジギを蘇らせて。わたしのために遡った時間ごと、もう魔導書を手にしない未来を手にできるくらい前のジギを!」
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かつて大きな戦争があった。数多の被害を受けた人間の国、被害は少ないが王を喪った魔人の国。
それから長い時間をかけてようやく手を取り合うことになったのは、歴代最年少の魔王アンブロシアーナが東の国を通じて魔力を必要としない消耗品のランプを輸出したことがきっかけだった。
魔導石のランプは火を使わずに光を灯すことができる。魔人の国では使用者の声によりそれを発動させるが、声だけで何かが動く魔法的なものは人間には好まれない。そのため魔王はランプには声をかけず、手で軽く叩いたり擦ったりすることで明かりをつける仕様に変えるよう職人へ命じた。
東の国から入る道具は機械的だ。その中に混ざって市場へと入ってきた魔導石のランプに人間たちは大きな抵抗感を抱かず、画期的な発明品の一つとして多くの人々が買い求めた。
東の国の商人が盛んに人間の国へ赴くようになると、魔人の国産の照明器具だけでなく東の国の医療器具も頻繁に売買されるようになった。
そしてその医療器具と共に、魔人の国に多く自生する薬草やきのこを材料とした薬が人間の国へと多く売られた。
城下の町医者たちは比較的安価で手に入る魔人の国で取れたものを原料とした不認可の治療薬を使った。使わざるを得なかった。
魔人の国以外から取れるものを原料とした薬は種類も少なくどれも高額で、とても街に住む一般市民に継続して使うことはできない。
人間は新しいもの、特に魔人の関わったものを恐れる。それ故に貴族階級らの治療等を行う高位医師らの間では、魔人の国のものを原料とした治療薬は認可のための研究さえもが遅れていた。
貴族に売れないのに量も種類も多く安価に手に入る新薬の登場で多くの市民の命が救われた。
ある日、幼い頃から病を患う伯爵家の少年の元にその最新の医療器具と薬を持った東の国の医師が呼ばれた。
息子の命が助かるのならば例え魔人の関わった不認可の治療薬でもなんでも構わない。安価だがよく効く新薬が出回っているという噂を聞きつけ、そう泣きついた伯爵夫妻に医師は笑った。
「今の魔王陛下は3歳のお嬢さんだ。最近流行っているあのランプも原産国は魔人の国だ。魔王陛下が暗いと何も見えない人間のためにと作ったんだよ。何も怖くなんてないだろう」
数ヶ月後には外で好きに駆け回ることができるようになった少年の話を聞きつけ、次にその薬草と医療器具の使い方について教えを請うたのは若い王医だった。
王医はその医療器具と薬草の研究を進め、まずは罪人たちから試していった。
病から仕事ができず、盗みを働くしかなかった罪人たちが健康な模範囚としてよく働くようになると、王医は同じ病を発症した王妃にその治療法を提案した。
魔人の国の薬草など信用できないと騒ぐ者たちの声を退け、強く頷いた王妃は早期の治療が功を奏して重病化せずに回復した。
王妃はお気に入りのステンドグラスで彩られた魔導石のランプで手元を照らしながら、噂に聞いた3歳の魔王へ書簡を綴った。
病が無事に治ったこと、ランプのおかげで夜の静かな時間に読書が楽しめること、こうしてのんびり手紙が書けること……そして人間の国では忌み嫌われる双子が、魔人の国では縁起が良いとされるのは本当かと問う内容だった。
魔王は書簡を受け取るとすぐに返事を書いた。幼い魔王がその小さな手で一生懸命に書いた手紙には、人間の王妃がつい笑顔を浮かべてしまうようなたどたどしい文字が並んでいる。
『同じ神話を信ずる皆様へ。
我が国の薬草がお役にたったそうで、とても嬉しく思います。
お手紙にあったとおり、双子は魔人にとっては繁栄の象徴です。
だというのに、魔人に双子は産まれません。
わたしたち魔人にとって繁栄、幸せをもたらすのは人間の皆さんなのかなとわたしは思っています。
いつか始祖エドワード様の夢見たお日様に当たって綺麗なお花のたくさん咲く人間のお友達の国へ遊びに行ってみたいです。』
魔王からの手紙を胸に抱いた人間の国の王妃は、それまで異端の忌み子として疎まれていた双子の弟の王子を隠れて育てていた事を王に打ち明けた。
王は産んですぐ殺したと嘘をついていた王妃に罰を与えた。謹慎をせよ、謹慎中は公務に当たらずに双子と三人、王の目の届く場にいるようにと命じた。
謹慎が明けると、王室は双子の弟である第7王子が愛情深い王妃に匿われて生きていたことを全ての国民に告げた。
魔人の国のランプと薬草に命を救われた国民たち、救われた王妃を尊ぶ者たちの心から、かつてあった魔人への恐れや偏見は薄れつつあった。
多くの人々が喜び、愛情深い王妃を称賛した。
やがて数年がたち、とうとう魔王アンブロシアーナが人間の国へ招かれることとなった。
人々は魔人たちの来訪を歓迎をするためにあらゆる場所に花を飾り、子どもたちは鮮やかな色の髪の人形やドラゴンのぬいぐるみを持って街道を輝く瞳で見つめる。
警備の兵たちは胸のポケットに一輪の花をさして、あわよくば魔王にそれを差し出せないかと視線を時々街道の先へ向けていた。
人を怖がらせないように羽をたたみ、馬の代わりに馬車を引くドラゴンに石を投げる者はいない。
アンブロシアーナの名を呼ぶ明るい声が上がる。
赤い髪は恐怖の対象ではなく、人々の心を明るく灯す優しい焔の色をしていた。




