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俺は夜は庭師としてアンブロシアーナの話し相手になり、昼は時々フリードリヒとして彼女を見守った。
本物のフリードリヒの具合が悪くなっていくごとに俺はアンブロシアーナとあの騒がしいメス猿といる時間が増えて、あろうことか幸福感を感じるようになっていった。
猿、もとい公爵令嬢のエレアノーラが来たことで廊下を厭味ったらしく見張っていた兵たちはロビーや出入り口の辺りに移動していた。
穏やかな日常が続いたある日、俺はエレアノーラがアンブロシアーナに目配せをして珍しく渋らずに部屋に帰っていったのを見逃さなかった。
何を企んでいるのかはわからないが、絶対に何かをしでかすに違いない。案の定夜中になるとエレアノーラがこそこそと廊下に出てきてアンブロシアーナの部屋の扉を叩く。
夜目がきかなくとも気配ですぐにわかる俺が側に腕組みをして立っていることに気が付いたのはアンブロシアーナだった。
「あっ」
「お嬢様方、こんな夜中に何をしているんだい」
声を出した瞬間にようやく俺の存在に気が付いたエレアノーラがどこに隠し持っていたのかコショウをばら撒いた。
油断した。むせ返る俺を置いて、夜目のきくアンブロシアーナにエレアノーラが自分の手を引かせて走らせる。すぐに俺も自分の記憶、感覚を頼りに走り出した。
一体こんな時間に護衛もつけずにどこへ行く気なんだ。
夜着に薄手のローブを羽織った二人を追う。アンブロシアーナはともかく暗闇で前が見えないエレアノーラが階段を簡単に降りれるわけがない。
ここ最近のアンブロシアーナはエレアノーラをかなり気に入っているようで、庭師のジギに対してもいつもあの女の話ばかりしている。もし怪我でもされたらまたアンブロシアーナが悲しむことになるだろう。
「……チッ」
しかたなく俺は一度迂回して、置いてあるランタンと燭台の火を回収した。
俺を撒いたと思ったであろう二人が休憩しながらゆっくりと階段を降りているのは想像通りだった。
二人が普段あまり使うことのない裏口の階段を使うのは見張りがおらず警備が薄いからだ。逆にそのルート以外で人間のエレアノーラを連れて脱走などできるはずがない。
アンブロシアーナ一人ならば行き先は俺の元だろうが、あの二人だと向かう先かどこなのかさっぱり想像つかない。
階段は薄ぼんやりと明るい。月明かりよりも温かく優しい色だ。
アンブロシアーナがエレアノーラのために階段を照らしているのだとすぐにわかった。しかしこれではすぐに見つかってしまうだろう。わざわざ夜に逃げ出しておいて、こうも目立つことをしてなんのつもりだろうか。
「二人とも、今なら見張りに見付からずに部屋へ戻れるよ。さあ観念するんだ」
俺の言葉にぱっと灯りが消える。
「灯りを消しても無駄だよ。僕もランタンを持って来ているし、何を今更」
ペチと消しきれていない気配が後ろに迫る音。靴を履いていない裸足の音だ。靴を脱いでわざわざ裸足になっても気配を消せないなんてエレアノーラはあまりにもセンスがない。
手を伸ばしてその手首を一度押してから引くとあっけなくバランスを崩す。アンブロシアーナほどではないが軽いエレアノーラを捕まえた俺はさっき光を消してから動きを見せないアンブロシアーナの元へ進む。
「フリード! ちょっと! もう! 放してよ!」
「騒がないで、他の兵に見つかるよ。さあアンブロシアーナ様も諦めてこっちに来るんだ」
命令口調で威圧感が出ないように、なるべく優しい声で行って手を差し出す。アンブロシアーナは困った顔で俺とエレアノーラの様子を伺っていた。
「……よし、こうなったら次の作戦に出るわよ!」
「えっ、えっと、エレン」
ほわりとまた灯った。優しい光はアンブロシアーナの髪から発せられている。
恐る恐る踊り場の方から顔を出したアンブロシアーナはまさに妖精か天使かそういった類のものだろう。魔人と人括りにしているが正式名称は妖精か天使だ。そうに違いない。
「次の作戦って何……」
眉をハの字にして俺……ではなく俺が捕まえたエレアノーラを見つめる愛らしい姿に、なるべく丁重に丁寧に穏やかに部屋へ連れ帰る方法を考える。次の作戦などエレアノーラのでまかせに違いない。
「大丈夫よ! アン、そこに立って!」
「はいっ」
「顎を引いて!」
「ん!」
「手をお祈りのポーズに! それでコイツにお願いして!」
エレアノーラは勘が良い女だ。最初の時も、俺がフリードリヒでないと気付いたような素振りを見せていた。俺をコイツ呼ばわりしてくるのも影武者の俺に薄々勘付いてのことだろう。
そして何よりもエレアノーラは俺がアンブロシアーナの言う事なら何でも聞いてしまいそうな事にすら勘付いている。
一方わけがわからない様子で上目遣いをしたまま頭をかしげてしまったアンブロシアーナは無自覚の天才か何かなのだろう。俺はぐっと体を引いて一歩距離を置く。
「殿下、お願いします。エレンを放してください」
「……だ、だめだ」
「アンもフリードに来て欲しいよね! そうよね! だから待ち伏せしてたのよね!」
「殿下も来てください」
「そうよフリード、三人で行きましょう!」
「だめだ、部屋に帰るんだ。だいたいこんな時間にどこに行くって言うんだ」
アンブロシアーナが困りっぱなしの顔で目線を下に落とした。一方、エレアノーラがジトリと俺をつまらなさそうに見上げた。
「東の国から天文学者が今日城に来ていたでしょう。ここ数日は流星が多く見られて、とくに今日は晴れているしよく見えるかもって」
エレアノーラの言葉に眉をひそめる。たかが空を見たいというだけで部屋を抜け出すなんて意味がわからなかった。
「星……だって?」
「魔人の国だと雲が多くて星が見えづらいんだって。一等星かそれくらいしか見えないって」
「わたしが見てみたいって言ったの……ごめんなさい……」
いや、それならアンが一人でいつものように窓から抜け出して見れば良いだけだ。やはりどう考えてもエレアノーラからけしかけたに違いない。
「というわけだから、お願いよフリード! 私とアンを外へ連れ出して!」