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 最初に異変を感じたのは、アンブロシアーナが俺の顔を一目で気に入ったような素振りを見せなかった時だ。


 しかし魔導書も言うようにほんの些細な偶然と違いから大きく未来は枝分かれする。アンブロシアーナの好みの傾向が、些細な事から少し違っていても何らおかしくはない。


 何よりアンブロシアーナが過去の記憶を持っていようが持っていなかろうが、彼女にフリードリヒの弟という存在を気付かれなければそれでいい。


 アンブロシアーナはフリードリヒに愛されている。彼女が好いた者に好かれて幸せならばそれだけでいい。


 俺はそのためにフリードリヒになる。アンブロシアーナが求めるフリードリヒに。



 4つめの世界は順調に進んだ。初めのうちは人間の俺に対して警戒心を持っていたアンブロシアーナも、徐々に俺に心を開いて笑顔を浮かべるようになった。


 俺が見つめると恥ずかしそうに頬を紅潮させて目を逸らすのは最初の世界でもそうだった。照れている顔は本当に可愛くて何時間でも見ていたくなる。



 死んだ事が隠蔽されたフリードリヒの墓に名は刻まれない。その墓を母のものだと嘘をつくとアンブロシアーナは気を遣っているのか根掘り葉掘り質問せずに手を合わせていた。


 アンブロシアーナは俺の代わりに泣いてくれる。泣いているアンブロシアーナをもう見たくないと思っていたが、俺が母親と別れた時の感情を想像して寄り添ってくれる彼女に不思議と嫌な気はしない。


 同情されることは好きではないはずなのに、アンブロシアーナが側にいてくれるのを幸せだと思った。



 何もかもが上手くいっていた。しかしそれも長くは続かなかった。


 冬の祭の日、ローブを羽織った男が刃物を手に城門をくぐり抜けてしまったのだ。


 未だ謎の多い魔人が突然王族に加わると言うのだから、それに強い抵抗感を抱いた一部の市民が組織的にアンブロシアーナの暗殺を企てているという噂もあった。



 愚かだ。魔人は普通の刃物で切っても刺しても死ぬまでには至らない。


 だがあの温室で見た痛みに苦しむアンブロシアーナを俺はもう見たくなかった。


 命など惜しくない。アンブロシアーナを守るのだと決めたあの日、俺は命を全て捧げることを誓った。


 下手に取り逃してアンブロシアーナが傷付けられないように、俺はその刃を自分の身にねじ込ませた。想像していたとおり狼狽した男は新しい武器を出すこともできず、俺に刺さった短剣の柄を握ったまま後ずさりをした。


 慌てて俺から短剣を引き抜いた男の足首を最後の力で蹴り飛ばすと兵たちが一気に男へ体当たりをする。


 刃物が肉を貫く痛みは毒を飲んだ時とはまた別の苦痛を感じた。あの幸せだけが詰まっていたはずの温室で、アンブロシアーナもこれほど痛くて苦しい思いをしたのだろう。こんなものはたった一度も、たとえ忘れるとしても経験させたくなかった。せめて二度目以降は防いでやりたい。だからこれで良かったのだ。


 この世界で生きた時間は悪くはなかった。つかの間だったが俺は幸せだったし、アンブロシアーナにも笑顔が増えた。他の人間とも楽しげに会話ができていたし、もうこれで終わるのも悪くない。


 アンブロシアーナのために死ぬ。それに満足感を得ていたというのに霞んだ世界に見えたのは違う女の顔だった。


「アンは……」


 絞り出した声に、アンブロシアーナの幸せをいつも根こそぎ奪い取るその女が柄にもなく弱々しい笑顔を浮かべる。


 どうせ無駄だというのに応急処置までされて、俺の心をわかったような顔をされる。


 ――違う、お前じゃない! どうしてお前が出しゃばるんだ!


 これでは全てが台無しだ。アンブロシアーナの苦しげな謝罪の声に俺は心の中で絶叫した。やはりこれで終わるわけにはいかない。終われるわけがない。


 ――魔導書! 戻せ! フリードリヒを蘇らせろ!





「また会えましたね、テディ」


 瞬く間に白色に包まれた世界で、俺はあるのか無いのかもわからない後ろの壁に拳をぶつける。


「魔導書、アンタ最初に望むことがあると言ったな。それは何だ、言え」


 モヤのような煙のような物を放ちながら浮遊している魔導書は、感情表現のつもりかその場で傾いた。


「テディは卵と鶏、どちらが先に産まれたと思いますか?」


「……質問したのは俺だ。話を反らすな」


「テディ、それではつまらない人だと思われてしまいますよ。まあ良いでしょう、わたしの目的は順調に果たされそうです。それはごく当たり前、初めから決まっていることなのだけれど」


「わかるように言え」


「ええと……わたしは作り手の意思を引き継いでいます。作り手の願いは……自国の繁栄です」


 なぜか考える間を置いて話した魔導書を信用してもいいものなのかとも思うが、今更俺も後戻りなどできるわけもない。何より会うたびに俺に親しげに話しかけてくる魔導書からは何の企みも悪意も感じない。表情などない本の癖になぜだかそう確信してしまう。


「……その繁栄とやらはアンブロシアーナにとっても幸福なものか」


「ええ、もちろん。きっとあなたにとっても。ですがテディ、あなたは魔人のために本に魂を吸わせている、いわば悪魔ということになりますね」


「アンブロシアーナのためだ。他はどうなっても構わない。悪魔にでも何にでもなる」


「テディは重たい男というのをご存知ですか?」


「は? 父上は太り気味だが」


 パタパタと紙を鳴らして笑う魔導書に俺は眉をひそめた。何が可笑しいのかさっぱりわからない。


「それではテディ、また暫しのお別れです。用があったらまた同じように呼びかけてくださいね」


「二度と御免だがな」


 白色の光が捌けていく。俺は庭師の小屋で目を覚ます。


 今度は必ずアンブロシアーナを幸せにしてみせる。あの騒がしく忌々しい女と愚兄に邪魔はさせない。

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