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-06

 それからアンブロシアーナは俺の存在を意識するたび顔を真っ赤に染めて逃げるようになった。


 両親である魔王と后がひと目も憚らずにベタベタしているにも関わらず、純真無垢なアンブロシアーナは己の唇を激しく吸われた衝撃にひどく困惑しているようだった。


 俺は順番を間違えていた。俺にとってキスは二度目でも、今の彼女にとってはあれが初めてだったのだ。俺はもっとアンブロシアーナの理想に沿って冷静に、優しく口付けるべきだった。


 手の甲、指先、額や頬を順に進めていくべきだったかもしれない。



 3日ほどたち、ようやくアンブロシアーナが俺の側に寄った。避けられた胸の痛みに気がおかしくなりそうだった俺は、同じ過ちを繰り返さぬように触れないように傷付けないようにと気を付けて、じっとその赤らんだ顔を見つめた。


「あのね、一緒に温室に来てほしいの」


「ああ、もちろん」


 嫌われてはいないとはわかっている。いきなり口付けられた事に驚いて、弾みで逃げたことに勝手に罪悪感を抱いて勝手に気不味くなっていたのだろう。


 案の定、アンブロシアーナは温室に着くなり俺に頭を下げた。

 

「避けてしまってごめんなさい。はじめてだったから、びっくりしてしまったの……それで、その、これを……」


 真っ赤な顔を隠すように、アンブロシアーナが持ち上げたのは花の輪っかだった。


「これは……首輪?」


「く、首輪じゃないよ……花冠……」


「ああ、冠か。ありがとう、可愛いな」


 詫びの印のつもりであろう花冠をアンブロシアーナから受け取る。自分の頭に乗せると、宝石さえ見劣る彼女の瞳がきらきらと輝いて見えた。


「わたし、フリードのことが大好き」


 その優しい笑顔に、ずっと昔から強張っていた心が綻んでいく気がした。ゆっくりと時間をかけて、俺はアンブロシアーナに俺としての存在を許して貰えるような、そんな気がした。


 真っ白で純真無垢なアンブロシアーナ。優しいアンブロシアーナ。俺に笑いかけてくれる、寄り添ってくれる、嘘が下手なアンブロシアーナ。


 臭いセリフでも吐くべきの俺は、つい照れくさくなって指先で頬をかいて地面を見た。




 温室には白い花に囲まれるように、色とりどりの花が咲いている。アンブロシアーナは時々花の名や花言葉を俺に教えてくれる。


 俺はその時間が愛おしい。しゃがんで花を指差しこちらに笑顔を向けてくれるアンブロシアーナは花よりも数千倍は可愛いし、彼女が好きなものについて知れることがこの上なく嬉しかった。


 俺は鮮やかな花の色をより際立てようと健気に咲く白い花を指さした。先が少し尖った光沢のある花びらを均一に並べたような小さい花だ。黄色く膨らんだひだまりを支える台座のようにも見える。


「この花は?」


 澄み切ったガラスのような清らかな花だと思った。決して派手でもない。美しいというよりもこじんまりとして可愛らしいのがいくつも群れている。


 アンブロシアーナはその花を見つめて、蕾がほころぶような笑顔を浮かべる。


「これはアンモビウム。あまり派手ではないけれど、摘んでしばらく経っても綺麗なままでいてくれるの」


「アンと名前が似ている……可愛い花だな。これにも花言葉が?」


「ふふっ、確かに似てるかも。えっと、花言葉は二つあって、その……不変の誓い、だよ」


「不変の誓い……そうか、不変の誓い……なら俺はこの花に誓うよ、ずっと永遠に変わらぬ愛を君に捧げると」


 ガラス細工のような可愛らしい白い花、アンモビウム。小さくて健気で透き通った白色はアンブロシアーナとよく似ている。


 似ているが、アンモビウムとは対照的にアンブロシアーナは髪も耳も顔も真っ赤だ。


 恥ずかしそうにふにゃふにゃの笑顔で俺にぴったりとくっついてくるところが可愛くて、優しく抱き寄せてその頭を撫でる。


 髪は表面がつるりと滑らかで、手を差し込むと柔らかく触り心地が良い。


「アン、キスをしても良い?」


 丸い後頭部を支えながらその顔を覗き込む。驚きや恐怖などと言った感情ではなく、恥ずかしそうに小さく頷いて目を閉じたアンブロシアーナの花びらのような唇に自分のそれを重ねる。


 こうすると、どこからかほんのりと暖かくて優しくて甘いような香りがする。


 ややあって離した後、俺はそれ以上のことをしてしまわぬようにとアンブロシアーナの林檎のような頭を撫でながら必死に覚えた花の名前を頭の中で反芻する。


 俺はアンブロシアーナに触れている間は酷く脳が働かない。ぼんやりとして頭が働かず、ただ甘い蜜を啜る虫のような、宙に浮いているようなそんな気分になってしまう。


 異変に気が付いたのは俺ではなくアンブロシアーナが先だった。急に硬直して髪がふわりと炎が揺らぐように広がったのにその顔をまじまじと見た。見つめたアンブロシアーナの瞳が日差しを浴びた猫のように瞳孔を鋭く変えたのに遅れて振り返る。


 次の瞬間、アンブロシアーナはもう腕の中ではなく振り返った先にいて、俺を押し退けるように両手をこちらに向けて立っていた。



 赤、赤、赤



 その赤色は愛おしい髪の色。その色はおぞましい血の色。


 俺にもたれかかったアンブロシアーナの背中に突き立てられたダガーの根本から吹き出すキラキラと輝く夜空のような赤い液体が、ようやく手に入れられそうだった俺の世界を侵食していく。


 俺にとっては魔人よりよっぽど人間の方が災いを呼ぶように思える。汚れているのは人間だ。


「しくじったな。まあいいだろう、片付けは仕損じるより多い方が良い」


 名も知らない人間の男だ。俺が情報を渡さなくなったことに不信感を抱き、口封じでもしに来たのだろう。


 初めから人間は俺の味方などではなかった。忌み子のエドワードが居場所である崖下にたどり着いたように、俺もようやく崖下にたどり着いたのだ。


「お前は生かされたご恩を忘れたのか? 報告にあった禁忌目録について早く情報を渡せ。そうすれば苦しまずに死なせてやろう」


 体中が熱い。血が沸騰しているかのようだ。


 キンと耳鳴りと頭痛がして、俺はあの喋る妙な本が自分の中にある事に気が付いた。


「魔導書」


「魔導書?」


「戻せ、蘇らせろ! もっと前、フリードリヒを蘇らせろ!」


 朦朧と、かすかな意識で俺にすがりついてくるその弱った体を抱きしめる。


 痛いのだろう、苦しいのだろう。その浅い息と溢れる涙に怒りが沸き立ち、ギリギリと歯を食いしばった。



 次は俺がアンブロシアーナを助けてやる。俺が必ず幸せにしてやる。


 二度と俺のために傷を負わせたりなどしない。守りたい。またあの笑顔が見たい。そのためならば俺はいくらでも寿命を差し出そう。


「こんな命、アンタに全部くれてやる!」


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