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-08

 魔人の女はふしだらで、だらしがない。そう聞いていたというのにアンブロシアーナはまるで籠の中の小鳥のように外を知らない純真無垢な箱入り娘だった。


 先に寝台へ戻り、チョッキを脱いでその気になっていた俺は開けっぱなしにしていたシャツのボタンを閉め、恥をかかせたのか、それともかかされたのかよくわからないこの気持ちが気まずさなのだと知る。



 アンブロシアーナは目を合わせてもすぐに顔を赤らめて反らしてしまう。だが随分と俺の見た目を気に入ったようで、俺と目さえ合わなければとろんとした顔で見つめてくる。


 よっぽどふしだらだった人間の女たちは腕にまとわり付いて胸や腰を押し付けて来たというのに、アンブロシアーナはいつも一歩離れた所で俺の機嫌を伺っていた。


 毎日毎日、俺はアンブロシアーナを褒めた。実際、愛らしい外見と言動で褒めやすくもあった。アンブロシアーナは使い古されたようなくだらない賛辞にもいちいち嬉しそうに笑って喜んだ。


 他の国から来た俺の言葉を全て信じて、俺を疑うなんて考えもしない。毒なんか簡単に入れられるというのに、毒見役も付けずに出した紅茶を全て飲んで「ありがとう」なんて眩しいくらいの笑顔で言う。


 手を差し出せば恥じらいながらも嬉しそうに繋いでくるし、護衛も付けずに俺を温室や美術品の展示室にも連れて行く。



 アンブロシアーナはまるで当然と言うように俺から愛されていると信じて、そして俺にも目一杯の愛情を向けてきた。無条件に俺の味方であろうと側にいた。


 いつからか、姿形だけでなくその存在自体が愛らしく思えた。アンブロシアーナを独占したいと思うようになった。だがある日俺は彼女が俺自身ではなく、兄を演じる俺を好いていることに気が付いた。すると蓋を締めていた心から憎しみが湧いて、それは真の目的である密偵への原動力となった。


 俺に完全に油断しきっている魔人たちは簡単に図書室の利用を許した。


 魔人たちは人間のように頭ごなしに否定をしない。だめだと言う理由が無いから良いと言う。アンブロシアーナが大切にしている婿だから何も問題ないのだと。


「アンからはお前が勤勉な性格と聞いている。学ぶのは、とても良いことだ」


 魔王は外見こそ恐ろしく独特な存在感はあれど、人間の俺にすら使用人を挟まずに話しかけてくる。何を話せば良いのかを考えながら言葉を紡ぎ、少し屈んで目を合わせてくる魔王は想像していた邪悪な魔人とは違う顔をしていた。


「お前はアンの大切な婿よ。その婿の願いを聞くのも我が勤めである」


 魔王は……魔人は皆きっと思慮が浅い。誰かに利用され裏切られたことなど無いのだろう。


 何が大切な婿だ。アンブロシアーナも結局兄のものだというのに。



 ――『君は僕の半分にも満たない』



 反吐が出る。憎い。恨めしい。死して尚も俺はあいつの代用品にしか過ぎない。俺はいつまでたっても偽物だ。それは魔人の国でも同じだ。


 本体さえ失った虚像の俺にそんな意思を持つことなど許されないと知っていながら、俺はそれでも毎日側に来て笑いかけてくれるアンブロシアーナを愛し始めていた。


 どれほど取り繕おうと俺はずっと偽物のままで、アンブロシアーナの理想の王子にはきっとなれない。アンブロシアーナも永遠に俺を愛することなんてないだろう。


 それでも愛してしまったから、俺はもう後戻りができない場所まで来て自ら毒を飲み干した。少しだけ耐性があるから長く苦しみもがいて惨めったらしく死ぬのだろう。


 それでいい。愛した人さえ裏切るしかない、あいつの残りカスの俺には相応しい死に方だ。


 裏切り者が滑稽にも自ら死を選んだのだ。さぞ安堵しただろうアンブロシアーナの顔は泣いていた。俺より惨めな顔だった。


 何も得られない人生など終わらせてしまいたい。せめて愛した人だけは傷付けずに死んでしまいたい。失うよりも先に消えてしまいたい。そう思っていたはずなのに、たった一度の口付けに俺は強欲にも後悔をしてしまった。



 ――生きてみたかった。アンと共に、もっと



 意識が途絶えそうになった時、俺は自分で盗み出した魔導書の放つ光に飲まれ、どこかもよくわからない白い空間へ放り出された。


 そこは水中のようでもあり空中のようでもあれば、アンブロシアーナと眠る暖かくて柔らかい寝台の上のようでもあったし、誰も使っていないあの庭師の小屋の中のようでもあった。


「こんにちは、テディ。今、あなたは蘇りたいと願いましたね」


 まるで幼い子供に話しかける大人の女のような声だ。


 振り返るとふわふわとなぜかあの魔導書が空中に浮いていた。


「俺はテディじゃない」


 喋っている奴を見つけ出そうと返事をしてみたものの、その空間に俺以外の生き物の姿は無かった。


 嗚呼、頭痛がする。本がどうして声を出すのだろう? しかし魔人の作った魔導書なのだからこれくらいは普通のことなのかもしれない。


 俺は頭を振って、本が喋るのはここでは普通のことだと自分に言い聞かせる。俺の様子に魔導書は目までついているのかくすくすと笑った。


「あなたの望みを叶えましょう。わたしにもまた望む事があるのです。テディ、あなたは特別ですよ、魔力の代わりに今自ら投げ出した魂で叶えましょう」


「魂、か。奪ったものでも良いのか」


「ふふ、奪っただなんて、その魂はあなた自身のものですよ。さあ蘇りなさい、アンブロシアーナと共に生きたいのでしょう?」


 死ぬ直前に見る夢は花畑ではないのか。東の国では川、砂の国では虹と聞く。こんなよくわからない真っ白な世界で喋る本の夢を見るなんて、俺はあの世にも必要ない存在なのかもしれない。


 俺は目を瞑った。生まれ変わったら、今度は誰かにとって必要な存在になってみたい。


 愛する人に名を呼ばれてみたい。


 兄の魂を、家族の幸せを奪わずに産まれてみたい。


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