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古い時代、人間の国で双子は魔に近いとされ忌み嫌われた。忌み子には生きる権利すら与えられず、産まれてすぐに山や川に捨てられ獣の餌にされた。
俺はその国の王の子として産まれた第6王子フリードリヒと同じ日に、ほんの少しだけ遅れて産まれてきた。愚かな王妃は本来ならばそこで殺すべきだった双子の弟である俺を見逃してしまった。
俺は母と一部の使用人たちの手で兄の影武者として密かに育てられた。
母は物心がついた時から厳しかった。俺に生かしておくべき理由を得よと言った。俺は幼い頃から必死に生きることへの免罪符を得るためにテーブルマナーやダンスなどの他に剣術や体術を学んだ。少しだけ早く産まれた兄が俺の知らない柔らかな笑顔を浮かべた母に抱き上げられて笑っている様を遠目に、俺は兄よりも優れた理想の存在を目指した。
いざという時は王子のふりをして密偵や暗殺などを行えるようにと短剣、ナイフの扱いも覚えた。毒についても学びながら、耐性をつけるためにそれを何種類も少量ずつ摂取して死にかけたこともある。
時々、風邪を引いた兄の代わりに出た茶会で別の兄たちや他の貴族の所作を観察しては頭へと叩き込んで、一国の王子らしい振る舞いも覚えた。城で雇われている傭兵に頼み込み、体術の訓練を受けることもあった。
全て生きるために、生きている事を許されるためにとった行動で、万が一死んでも初めからそのような運命だったのだと受け入れて何でもやった。
俺の存在に王宮の大臣らが気が付いたのは俺が8歳の時だった。母は糾弾された。余計な存在である俺をなぜだか母は背に庇い、自分は廃位となっても構わないと言った。
俺が王子の姿を持った武器として有益であると知った大人たちは、俺の存在を隠蔽し、すでに病を患い年々倒れることが多くなっていたらしい母を病死したことにして幽閉した。
ほとんど使われない地下牢の奥にある懲罰房の内装が最低限整えられ、母はそこで死ぬまでの一年を俺と共に過ごした。
それから母は最後の一年を哀れに思ったのか俺に与えた。まるで親子のように共に食事をとり、同じ寝台で寝た日もあった。
母は使用人たちに古びたピアノを部屋に運ばせて、一年の間俺にその弾き方を教えた。
フリードリヒには弾けないピアノを毎日、譜面の読み方や音楽記号の意味、いろいろな曲を俺に教えた。
俺にはそれが何の意味があるのかわからなかった。役に立つかはわからないが、覚えておいて損はないだろうと思い熱心に取り組む俺の頭を母は何度かぎこちない笑顔で撫でた。
母は俺をずっと「フリード」と呼んでいた。フリードリヒの事も同じように呼んでいた。他の者たちがフリードリヒをフリッツと呼ぶ中で、二人ともフリードと呼ぶ理由がわかったのは最期の時だった。
弱り果ててとうとう寝台から起き上がることすらできなくなった母は俺の手を握り、優しい微笑を浮かべて「フリードリヒ」と呼びかけてきた。
最期に愛した息子であるフリードリヒに会いたくなってしまったのだろうと思った俺は、気まぐれに彼を演じて馬鹿みたいに良い子ぶった声で「母上」と繰り返し呼んだ。冷たく、肉の薄い手を握って反吐が出そうなほど爽やかに笑ってやった。
母は笑っていたが、同時に涙を流していた。
「上手よ、とても上手。偉いわね、よく頑張ったわね……あなたの真の名を知る者は母だけです。あなたの名は」
その時俺は初めて自分の名を知った。フリードリヒでもフリッツでもフリードでもなく、俺には俺だけの名があった。
「これから大切な人に出会った時は、フリッツではなくフリードと呼んでもらうのですよ……フリードリヒとして……生きるあなたも、呼んで貰えるように」
それから二度と喋らなくなった母を見て、俺は彼女に愛されていたのではないかという妄想をした。便利な道具として、生きる理由ができたから生かされているだけの自分を、たった一人だけ愛した人がいたのではないかという妄想を。
しかしこれは双子なんかを産んでしまった母が、自らの罪を正当化したかっただけに違いないのだ。過ちを正すために俺に自分を正当化させたかったのだ。そうに決まっていた。
理解していても、ただ数回頭を撫でられた感触や微笑みかけられた喜びに心が飢えて仕方なかった。
誰かが側にいてくれたら、俺を必要としてくれたら。そんな風に思うようになったのはこの後からだ。
たった一年誰かといただけで、これほど一人が怖くなるなんて思いもしなかった。
母は俺に生きる苦しみを残して遠くへ消えてしまった。




