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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
虹色にはまだ一色足りない
36/62

01

 涼しい夜風が吹いている。次期魔王として生を受けた12歳のアンブロシアーナは、婿候補を探しに訪れた人間の国の庭園で、泣きすぎた後の頭痛のようなだるさを感じていた。


 目の前には、夜だからか花弁をすぼめて眠る花がいくつも並んでいる。



 ――この感じ、まただ。思い出した。わたし、また時間を遡ってる。これは……そう、これはジギに初めて会った日。


 この後すぐにアンブロシアーナは背後に立つ男の気配に気が付くはずだ。そのはずだった。


「……ジギ?」


 振り返ってもそこには誰もいない。これもまたいつものように些細な事から違いが生ずる偶然の世界だろうか?


「……違う、きっと違う」


 アンブロシアーナは知っている。フリードリヒに火傷を負わせてから数日が経ったこの日、アンブロシアーナはある人物と紅茶を飲んでいた。彼はその時左手にカップを持っていた。

 しかし彼と最後に会ったあの日、彼は左手で顔を隠すようにして右手にカップを持っていた。


 人間が火傷を負ったとき、どれくらいの時間で痛みが引くのだろう。


 病に倒れたフリードリヒが火傷を負っていないなら、アンブロシアーナを助けたり舞踏会で愛を囁いてきた火傷の男の正体は何なのか。

 火傷を負っていないフリードリヒと同じタイミングで彼がいなくなってしまったのが、もしも偶然でないとしたら。



 ――あのお墓は……あのお墓に眠っているのは……



 よく考えてみれば単純なことだった。もっと早くに気付いていてもおかしくなかった。

 フリードリヒという男には二面性があり、理想の王子であり、して理想の王子を演じている男でもあった。


 戦争において影武者が用意されるのはよくあることだ。

 身に宿す血が重要視される人間においては、私生活でもそれが必要とされるのだろう。

 体調が悪くなったフリードリヒが、その翌日急に健康そのもののように走り回っていたのは、寝込んでいる間は影武者が彼に成りすましていたからだ。


 いざという時は、王子の代わりとして争い事の中に身を投じることもあるだろう。影武者として育った彼にとって、気配を殺して誰かの背後に立つことは造作もない事なのかもしれない。


 フリードリヒは二人いる。

 アンブロシアーナが愛したフリードリヒは二人目の誰か、王子を演ずる誰かだ。


 その誰かをアンブロシアーナは知っている。


 彼はいつもアンブロシアーナの良き理解者で、顔を隠しながら見守ってくれていた。

 フリードリヒも彼も同じ喋り方をしていたのに、どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろうか。



 アンブロシアーナは鬱蒼とした陰を作る木々の中に、まるで隠されているかのようにひっそりと佇む小屋の扉を叩いた。

 窓から漏れる明かりが、部屋の中に彼がいることを告げている。


「ジギ、ジギお願い、教えてほしいことがあるの」


 返事はない。

 心の中で謝罪をしてから、そっと扉を引いてみると鍵はかかっていなかった。

 開いた扉の向こう側には、人間の国にある松明や燭台などでは説明がつかないような、強く怪しげな光が、ある一点からとめどなく溢れ出している。


「だめ、それ以上はだめ!」


 ざわざわと全身の肌が粟立っていく感覚。溢れ出るその光の源へアンブロシアーナは手を伸ばした。


 触れたものは布と布が重なって分厚く柔らかい。その向こうに人の肩……体がある。


「……もっと、もっと過去だ、あいつじゃない、母上、母を」


 ぼやくような、呟くような小さく弱々しい声。光を放っている分厚い本を胸に抱いている青年の姿は光の中で時々ぶれて様々な時代の姿と重なった。


「もうやめて! お願い、もうやめて……」


 蘇りの魔導書は時間を単に遡るものではない。その名の通り、かつて死んだ者の蘇りを目的として発動するものだ。死んだ者が生きていた時間に術者を戻すことで、蘇らせる転機を与えるものだ。


 人間が魔導の力で動く道具を恐れるのは、古来から魂を――寿命を吸われる呪いにかかると言われているからだ。実際に太古の昔にはそのような道具も存在していた。人の魂は魔力の代用品にすることができてしまう。


 いつから存在しているのかわからない魔導書が、魔力の代わりに人間の寿命を糧に発動していても何らおかしいことはない。


 側に寄れば寄るほどにアンブロシアーナも魔導書の影響を受けて、ジギと同じように体が様々な時代の姿と重なった。


 ブツブツと途切れるような音をたてながら幼くなったり元に戻ったりと安定しない体で、たくさん着込んで布の塊のようになっているジギの体を背中から優しく抱きしめる。

 庭師用の上着の下に、装飾がたくさんつけられた王子のジャケットの形があるのを、触って初めて気が付いた。


「ジギ、やっぱりジギなんだね」


 耳元で名前を呼ぶと、正気に戻ったのかジギが少しだけ顔を上げて反応した。


「……アンタ、やっぱり覚えているのか」


「ジギ、フリードリヒは二人いるんでしょう? 時間を遡っていたのもジギ、あなただったの?」


 魔導書を抱くジギの手の力が弱まり、ゆっくりと振り返る。魔導書が放つ力によって発生する風が、バサバサと彼の上着を揺らしてフードを退かした。


 まばゆい光の中で一段と黒い髪、恐ろしく整った顔立ち。その綺麗な顔には悲しげな感情が浮かんで眉間にしわが寄っている。


「アン、本当に覚えているのなら僕を選んで欲しい。僕は君の理想の王子様になるよ。フリードリヒなんかよりももっと、もっと君の理想の存在に」


 誰よりもアンブロシアーナに優しい大きな手が優しく耳から頬にかけてを撫でる。


「君を騙してばかりいたけど、あの時、不変の愛を君に誓うと言ったのは、あれだけは本当なんだ。だからどうか、僕を」


 初めて聞いた弱々しい声。求めるように、まるで何かをかき集めるかのようにアンブロシアーナを正面から抱きしめたジギの甘いだけの言葉に首を横に振った。


「それはだめだよ、ジギ。だってわたしは」


「どうして……僕の何がだめなのか教えてくれないか? ちゃんと直すよ、もう君に大きな声をあげないし、足を組んでも座らない。君が望むならなんだって」


「違うの、ジギ。聞いて、わたしが好きな人はジギだよ。庭師のジギ、あなたが大好き」


 アンブロシアーナとジギの体の間から、彼にはもう制御のしきれなくなった魔導書が強く振動して激しい光を放った。世界は真っ白に覆い尽くされ、もう、いつのどの場所にいるのかもわからない。


「なんだよ、それ」


 落ちているのか飛んでいるのかもわからない。

 風がどこからどこへ向かって吹いているのかもわからない。髪は大きく揺れて、地面に足はつかない。


「アンは城で育ったお姫様なんだ。それがどうして、何もない俺なんか……これは幻だ、そうだ、俺には何も無い、俺は誰にも望まれない」


「幻なんかじゃないよ、ジギ、わたしジギに花冠をあげたよね、あれは、あれは」


 アンブロシアーナは自分を突き放そうとするジギの背中に手を回して、必死に抱きついた。

 轟々と風は強まり、魔導書がブルブルと激しく震えてページを過去のページへと戻し始めていた。


「花冠……」


「そうだよ、花冠! ジギ、ダンスの相手を申し出る時にお花をくれるでしょう? 本当はね、あれは友好とか信頼の証。大好きな人に、愛してる人に渡すのは花冠なの」


「……花冠……アンタが作ってくれる、あれが」


「そうだよ、ジギが大好きだから、愛してるからあげたの。ジギはわたしの大切な人だから」


 落ち着きを取り戻したジギの胸に頬を置く。耳に伝わる鼓動は尚も速いが、息も整ってきた彼の顔を見上げると情けなく涙を溜めている目と目が合った。


 ジギも泣くのだと当たり前のことに初めて気が付いて、いつも彼がしてくれたようにその頬を撫でた。


「ねえジギ、どうしてわたしなんか好きになってくれたの? わたしは世間知らずで頭の中お花畑って言ってたじゃない」


「……別にアンタを悪く言ったつもりはない。そういうところが、可愛いと思っていたんだ」


「か、かわ」


「アンは俺が見てきたものの全ての中で、一番綺麗なんだ」


 ジギの頬にあてている手に彼の手が重なり、もう片方の手で背中の辺りを支えられる。


 距離が縮まっていく事に何も抵抗など無かった。額と頬に一回ずつ優しく口付けられて、それから互いの鼻先が軽く触れた。目をぎゅっと閉じて唇に送られてくる愛情に身を委ねる。


 やがて唇が離れると、真っ白な世界には二人と魔導書だけが並んでいる。


 ジギの肉体は魔導書がページを遡る度に時間を逆行しながら崩壊し始めていた。手と足の先から、まるで夜闇が朝日に飲まれていくようにゆっくりと消えていく。


「寿命、使い果たしたのか……こういう場合、俺はとっくに死んでいたことになるのか?」


 冗談っぽく笑うジギにアンブロシアーナは眉をひそめる。彼とは対照的に、まるで彼の魂を吸収でもしているかのようにアンブロシアーナは自らの魔力がさらに増大していることを自覚した。


 庭師のジギに初めて会った日に戻った時から、さらにもう一度過去へ戻っている。だからもう魔王後継者の自分の倍の力を得ていてもおかしくない。

 もともとの世界で魔王だった父親を軽く凌駕しているだろう。


 力が増すごとに、アンブロシアーナは刺されたトラウマから思い出さぬようにしていた時の記憶も取り戻していた。記憶とともに忘却の彼方へ置き去られ、体の中に潜在能力として眠っていた力が覚醒の時を待っている。


 これほど急に魔力を得ていたら肉体が追いつかずに崩壊していてもおかしくないというのに、いつの間にか得てしまっていた魔力が二度と器を殺さまいと修復してしまう。


 崩壊していくジギと、再生していくアンブロシアーナ。


 対の存在になってしまう彼に、アンブロシアーナはあの2番目の世界の最後の時のようにすがりついた。


「ジギ、ジギ、まだお別れは嫌だよ」


「お別れじゃない。きっと俺は最初からいない、そのはずだったんだ。 魔導書を使う前からずっと……双子の弟として産まれたその時から」


「どうしてそんなことを言うの? わたしは、ジギがいないとだめなの……今までもジギがいてくれたから、だから」


「ありがとう、アン。俺は俺として、たとえそれが幻でも、存在できた事が嬉しい。これからはアンタの頭のお花畑の隅にでも置いてくれ」



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