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夜が訪れる。以前は三日に一回ほどの頻度でジギに会いに行っていたが、最近ではかなり少なくなっていた。
恋心が薄れたわけではない。訪ねても小屋の灯りがついておらず、眠っているか出かけているのかわからない日は扉を叩かなかった。単純に遊び疲れて会いに行けない日もあった。
この日はフリードリヒの苦しげな顔が頭から離れず、眠ることができなかったアンブロシアーナは窓から部屋を抜け出した。
誰にも見つからないように迷わず進む。やがて見えてくる小屋の窓から漏れる灯りに胸を高鳴らせ、足を早めていく。
空に星が輝く晴れた夜だ。美しいはずの大きな月から注ぐ銀色の灯りなぜだか冷たいようにも感じる。
アンブロシアーナがノックをすると、ドアを開けたジギがいつもと変わらぬ格好で顔を出した。正確には顔ではなく上着のフードの部分なのだが。
「アンタ、そろそろその夢遊病治せよ」
「寝てないよ!」
いつもより機嫌の良さそうなジギの淹れる紅茶は相変わらず香りが弱い安物だ。それが好きになってしまったアンブロシアーナはいつからか自分用になっているカップを受け取って満面の笑みを浮かべる。
ドライフラワーのリースはやや色褪せているが、思い出はまだ鮮やかに残っている。大きな上着とズボン、長靴を履いているずんぐりむっくりな彼と一緒にいる時だけ胸の鼓動が大きく早くなって幸せな気持ちになるのはアンブロシアーナだけの秘密だ。
「ジギは何か、嬉しいことでもあったの?」
「ああ、そうだな。お前に言っておかないとな」
「なになに?」
ジギがこういうふうに楽しいことがあったと自分から話すことはほとんどない。目を輝かせて身を乗り出すアンブロシアーナに、ジギは左指でフードを引っ張って顔が見えないよう隠しながらカップの中の紅茶を飲んでいる。
ジギはカップをテーブルに置くと顔をアンブロシアーナの方に向けた。
「金が貯まったからここを出るんだ。だからお前ももうここへは来るなよ」
「……ジギ、いなくなっちゃうの?」
「なんだその悲しそうな声。やっと金が貯まったんだ」
ジギにとってはここを出ることが幸せなことなのだ。そう理解をしても突然想い人に会えなくなる現実にアンブロシアーナは自分の耳を塞ぎたくなる。
「病気って言っただろ。ようやくその治療ができるんだ。アンタも喜んでくれよ」
出会った時に病気と言っていたことはよく覚えていた。治療という言葉にアンブロシアーナは寂しさよりも純粋な喜びが湧き上がって笑顔を取り戻す。
「治療できるんだね! おめでとう! 治ったらまたお城に戻ってくる?」
「いいや、戻らない」
「そ、そっか……そうなんだ……」
浮き沈みするアンブロシアーナのわかりやすい反応にジギは深いため息をついた。
「あのなぁ、もともと俺とアンタはこうやって会うことは無かったはずなんだ。ご令嬢やらフリードリヒ殿下と仲良しになったんだろ? もう寂しくないよな?」
じわっと堪えきれなかった涙が眼球を覆う。瞬きしたら溢れてしまうと、アンブロシアーナは目を絶対に閉じないようにと眉を上げる。
「病気、治してね。元気で長生きしてね。ずっとわたしのこと忘れないでね」
「……どうだかな。まあ、生きてさえいればいつか会うこともあるかもな。お前も俺の事……ちゃんと忘れろよ。これからピーピー泣きたくなったらお友達のところに行け」
「うん……ジギ、今までありがとう。ジギは、なんだかお兄さんみたい。いつもお話聞いてくれてありがとう」
「お兄さん、ね。俺はただ無理矢理付き合わされてただけだけどな。いいか、もう権力乱用するなよ。夜に外をうろつくな。見知らぬ誰かを簡単に信用するな。ついて行ってもだめだし、食べ物にもつられるなよ。それから誰にでも泣きついたりするな。だいたいお前は自分の容姿に自信を持て。自覚しろ。誰にでも泣いて甘えてたら国が滅ぶぞ」
「……容姿?」
「ああ。アンタは可愛いんだから、わたしなんかとか髪の色がどうたらとかでウジウジするな」
はっきりと可愛いと言われたアンブロシアーナは髪に負けないくらいに顔を赤く染める。ポンポンと分厚いグローブがアンブロシアーナの頭を撫でた。
意中の人物に褒められて嬉しくないはずなどない。ジギはお世辞のようなものを言うようなタイプでもない。心から心配して説教をしてくれているのだと思うとまた涙が湧き出してしまった。
こうも早く、あっさりと別れが来てしまうことが辛い。胸が張り裂けそうな気持ちをアンブロシアーナは嫌というほど知っている。
容姿や身分、うわべだけの言葉ではなく本当に好きで好きでたまらなくなっていたジギにアンブロシアーナは何も与えることができなかった。
魔人の国では愛の告白を示す花冠も、人間の彼にとってはただの乾燥した草花の輪だ。
涙を溢しながらも、アンブロシアーナは笑顔に徹した。
別れは辛いが、彼を苦しめる病が治るのだ。彼にとっては希望に満ちた出発地点で、先には明るい未来が待っているのだ。
病が治ったら、庭師ではなく好きな職につくかもしれない。そこで出会った愛する人と結ばれるかもしれないし、もしかしたら気ままに彼らしく一人でのんびり暮らすかもしれない。
ジギはアンブロシアーナがやり直さなくても自力で自分の幸福を掴むのだ。彼の強さに何度も助けられたアンブロシアーナは、せめて最後は笑って送り出したいと思った。
「ジギ、本当に本当にありがとう。ジギはずっと、いつまでもわたしの大切な友達だよ」
「はいはい。さっさとそれ飲んで落ち着いたら帰れよ」
「うん」
ただでさえ薄い紅茶は、涙の味でもとの味がわからなくなっていた。




