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数日後、盛大な舞踏会が行われ、公爵家のエレアノーラが王宮内に専用の客室を与えられた。
アンブロシアーナの部屋と近いところに彼女がしばらく滞在するのだと思うと嬉しさに胸がルンルンと弾む。
舞踏会にはローレンツも来ていたが、アンブロシアーナとは目すら合わそうとしなかった。エレアノーラのもとへ行けと言ってもアンブロシアーナを追ってくるフリードリヒと三人で会場を鬼ごっこのように歩き回るという妙な展開に、エレアノーラはキラキラと目を輝かせて笑っていた。
その翌日、意を決してエレアノーラの部屋を訪ねようとドアを開けたアンブロシアーナは、今にもノックをするぞというような体勢で目を見開いている張本人に遭遇した。
フリードリヒと同い年ということは15歳なのであろうエレアノーラは、アンブロシアーナがいつかの世界線で経験した15歳よりも大人びて見える。
しかしまだ少しあどけなさの残る笑顔は愛らしく、聖母のようなイメージはすぐに天使へと変わった。
「え、エレアノーラさん」
「ごきげんよう、アンブロシアーナ様!」
なぜ彼女の方から訪ねてきたのか理由がわからず、ぽかんと間抜けな顔で見げてしまう。
はっと我に返って部屋に招き入れると、エレアノーラは眩しいほどの笑顔で辺りを見回す。
「急にお尋ねしてしまって申し訳ございません。アンブロシアーナ様はどこかへおでかけのご予定ではないのですか?」
「い、いえ、そのっ、エレアノーラさんに、ご挨拶をと思っていたところで」
「まあ! 素敵だわ! これは運命ね! アンブロシアーナ様、わたくしめのことはどうぞエレンとお呼びになってくださいな! それに私には楽な話し方で構いませんわ!」
「えっと、じゃあエレン……あのね、良かったらわたしのこともアンって呼んで欲しいな……喋り方も、その」
「可愛いわ! なんて可愛いの、アン! 今日から私達はお友達ね!」
別の王女や王子が見ている時とは違い、エレアノーラはアンブロシアーナと二人の時は令嬢らしい所作など忘れて豪快で愉快な少女だった。
その屈託のない笑顔を失うのが恐ろしく、アンブロシアーナはローレンツとフリードリヒについて話を切り出せない。
フリードリヒと過ごしてきたこれまでの世界線を覆すほどの存在感を放つエレアノーラは棒を持てば穴を彫り、木があれば登り、芝生の上を裸足になって駆け回るような少女だった。
やがてアンブロシアーナも彼女と自分の地位や種族など忘れて共に芝生の上に寝転んだり、パンくずを持って小鳥に餌やりをした。
夜になるとアンブロシアーナは部屋を抜け出して、エレアノーラと遊んだ内容や彼女がどれほど素敵で一緒にいると楽しい女性かをジギに語る。ジギは呆れたり、耐えきれずに笑ったり、時々アンブロシアーナの身を案じて注意をした。
そんな楽しい日々に変化が訪れたのは、二人が上品にティータイムを過ごしていた時だ。使用人に無理矢理居場所を問うたのか、ローレンツがフリードリヒを連れて現れたのだ。
「エレアノーラ、僕は君が良いんだ。それでフリッツはアンブロシアーナ様を好きと言っている。だから僕は君と婚約し、フリッツはアンブロシアーナ様と婚約する。それで良いな」
突然勝手なことを言い放つローレンツに、アンブロシアーナはエレアノーラへ視線を向ける。エレアノーラはスッと目を細め、ローレンツとフリードリヒを順番に見つめた。
王族と公爵家のエレアノーラ。ここで異論を唱える権利があるのは人間の国の王族と、魔王の娘であるアンブロシアーナだけだ。
「わたしはフリードリヒ殿下ではなくローレンツ殿下と言っているではありませんか」
「……アンブロシアーナ様、わたくしとしても、あなた様にはフリードリヒ殿下の方が良いのではと思います」
エレアノーラの瞳は決して絶望や悲しみに負けてはおらず、心から思ったことを言っているようだった。それでもフリードリヒが彼女から目をそらした瞬間をアンブロシアーナは見逃さない。
「言い方を変えます。わたしは父である魔王陛下にローレンツ様の妻になるのだと行ってここへ来たのです。魔王陛下もそれを許可してわたしを送り出しました。あなたは、わたしだけでなく魔王陛下にも恥をかかせているのですよ」
おそらく当の魔王本人は何番目の王子だろうが構わないと思っているだろうが。
アンブロシアーナの言葉に顔を青くしたのはローレンツとフリードリヒだ。エレアノーラは最年少のアンブロシアーナに言い負かされたローレンツが可笑しいのか口元に手を当てて笑っている。面白がっているのだと気付いたアンブロシアーナは彼女が味方でいてくれているような気もして堂々と視線を男たちから離さない。
戦慄くローレンツに一瞥くれたフリードリヒがエレアノーラに視線を戻す。エレアノーラは仕方なさそうにアンブロシアーナの耳元に顔を寄せた。
「アン、本当はどっちがマシ?」
マシという表現はかなり不敬ではないかとも思うが、改めて二人の王子を見比べているとなぜだかどちらも大して好きではない。
二人共、ジギと比べるとその辺に転がっている平凡な小石のようにさえ見える。いっそ小石の方が硬く鋭く尖って強そうだ。
――フリードってこんな感じだったっけ。わたしがやり直し過ぎて見慣れちゃったのかな。
「ローレンツ様の方が弓が上手いのでしょう?」
「そうね、でもアンはそれで幸せになれるのかしら? たかが弓で人を笑顔にできる?」
――わたしは、わたしの幸せになんてもういい。フリードリヒはいくつもの自分の人生をわたしにくれたもの。
「でも、ローレンツ殿下がいいの」
エレアノーラの優しい笑顔に、なぜだか切なくなるのは4番目の世界線を思い出すからだろう。
エレアノーラもまた、フリードリヒと同じように自己を犠牲にしてでも何かを守ることを美徳とする部分がある。それをアンブロシアーナは理解していた。
それにしてもエレアノーラのローレンツへの認識もなかなかに酷いものなのだと知って、面白いような可哀想なような妙な気持ちになってしまう。
ローレンツはアンブロシアーナの眼差しから逃れるように視線を地面に這わせていた。不機嫌そうに歪んだ顔は、やはりフリードリヒと血の繋がった兄弟なのだと思わせるほどよく似ていた。




