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ある朝、アンブロシアーナはいつものように近付いてくるワゴンの音にドアへと寄った。朝食の時間だ。こういう時、ノックの音がした後に返事をしながらドアを開けてやるとスムーズに使用人がワゴンを押して入って来られるのだ。
今日もノックの音の後にドアを開けると、ワゴンの上には食欲をそそるいい香りのブリオッシュや果物がキラキラと輝いている。
しかしそのワゴンを押してきた人物は給仕服を来た使用人ではなく、美しい刺繍のされたシャツに高価そうなジャケットを着ていた。アンブロシアーナはパチパチと瞬きをしてその顔を見上げる。
「どうしてフリードリヒ殿下が……?」
「使用人に代わってもらうよう頼んだんですよ」
「えっと……あ、先日はお花、ありがとうございました」
「……お気に召して頂けたなら幸いです。アンブロシアーナ様、今日はあるお願いをしに参りました」
「お願い、ですか?」
アンブロシアーナは頭をかしげる。人間がアンブロシアーナに何か頼みたいと言うことは、何か大きなものでも燃やして欲しいのだろうか。魔人の国から取り寄せたい物があるのだろうか?
「わたしにできることなら」
他でもないフリードリヒの願いなら叶えるべきと考えたアンブロシアーナは満面に笑顔を浮かべる。素直に、彼に何かを頼られるのが嬉しかった。
「はい。ではご無礼ながらアンブロシアーナ様、僕、第6王子フリードリヒをあなたの夫として選んでは頂けないでしょうか」
「……はい?」
「僕を選んでは貰えないでしょうか。兄上ではなく僕を」
さささと後ずさって行き、否定の念を込めて首を横に振る。なぜだかいつものように心は流されず、本気でお断り申し上げようとブンブンと首を横に振り続ける。
「それは無理です。できません」
「理由をお聞かせください」
「それは、その、フリードリヒ様には意中の女性がいると噂を耳にしました!」
「……彼女の事でしたらもう終わったことです」
少し頬を赤く染めたフリードリヒは珍しく見え透いた嘘をついて、己の胸に手を当てて一度深呼吸をする。
恋愛に関しては嘘が下手なのだろうか? とアンブロシアーナはこの男を好きだったはずの自分にさえ少し呆れてしまう。そんな顔を見ては、本当にアンブロシアーナは彼に愛されてなどいなかったのだと痛感せざるを得ない。
さしずめ、アンブロシアーナはただの妹のような存在だったに違いない。
「やっぱりエレアノーラ様のことを愛してらっしゃるんですね」
「いや、その……アンブロシアーナ様、これは両国のための政略結婚なのですよ」
「だからと言ってあなたでなくとも、わたしはローレンツ様と婚約したいと言っているんです!」
「それこそ無理な話です。 兄上はご自分の立場もわきまえず王族としての責務を果たさないような人だ。とてもあの人では外交はもちろん魔人の国の大切な王女様を幸せになんてできませんし……また元の通り国交が断絶する未来しか見えません」
赤かったフリードリヒの顔がみるみる青白く変わっていくのにアンブロシアーナは驚きひゅっと息を吸いこんだ。
「フリードリヒ様、顔色が」
「今すぐにはだめでも、僕は、必ずあなたを愛します。心の底から。それだけは確かなんだ……」
ふらりとよろけたフリードリヒが心配になり、アンブロシアーナは彼のそばに駆け寄る。
朝食どころではないというのに、フリードリヒは疲れ切った顔でワゴンを部屋の中へ押し入れた。
すぐ横で彼の体を支えるべきかとそわそわしているアンブロシアーナに、フリードリヒはにこりと笑みを浮かべる。
「寝不足で……すみません、今日は部屋に戻ります。それでは」
元気のない背中を見えなくなるまで見送るハラハラした気持ちに、アンブロシアーナはいつも見送ってくれるジギのことを思い出す。
まさかジギも自分に対してハラハラしたような気持ちを抱いて見送っているのだろうか? そう思うと、子供扱いされていることに少ししょんぼりと心がしぼんてしまうが、鏡に映った12歳の自分の姿は間違いなく子供だ。
甘いブリオッシュは、幼い頃に好んで食べていた菓子と似た味がした。




