09
窓から見える離や屋敷の明かりが消え、見回りの松明が通り過ぎていったのを確認すると、アンブロシアーナは窓枠に手をかけた。
肩から上を窓から出して、改めて外の様子を確認したその刹那、廊下を歩く音が近付いてくるのにそっと姿勢を戻す。
見回りだろうか。近くに置いた椅子に腰掛けて近くにあった本を開いて適当なページを読み始めて少しすると、足音は徐々に減速してアンブロシアーナの部屋の前で止まった。
ドアを叩く音に「どうぞ」と返事をしてからゆっくりとドアが開く。アンブロシアーナは読むつもりもないのに栞を本に挟んでデスクに戻し、訪ねてきた人物に視線を投げた。
ガラス細工のようにさえ見える可愛らしい白い花を透かしながら、ぼんやりとランプが辺りを照らしている。見上げた顔は外でもないフリードリヒのものだ。少し不機嫌そうに見えるのは、火傷を負わせたアンブロシアーナに対して警戒していたり、怒りを抱いているからだろう。
「フリードリヒ殿下」
フリードリヒは左手に持っているランプだけを床に起き、一緒に持っていた花束をアンブロシアーナに向かって差し出した。
「これをあなたに」
受け取った白い花は、決して雅やかで派手なものではない。脇役の白い花だけが集まってアンブロシアーナを見上げている。
「……アンモビウム?」
「先日はあなたの声をまるで聞こえていないかのように振る舞って申し訳ありませんでした。こんな小さな花束で許されるようなことではないとわかっている。でも、僕は君に許しを請うしかないんだ」
王族だというのに使用人がするように頭を下げたフリードリヒにぎょっとして、アンブロシアーナは受け取った花束を潰さないように気を付けながら屈んで彼の顔を覗き込む。
「殿下、どうかお顔をお上げになってください。悪いのはわたしです。お怪我の方はその後どうですか? まだ痛みますか?」
「悪いのはあなたではありません、アンブロシアーナ様。姉上たちが君にした仕打ちに比べて、あなたはとても冷静で優しかった。あなたは炎を見せて脅かそうとしたのでしょう? 僕は冷静さを欠いて余計な真似をし、君に悲しい思いをさせてしまった。本当に申し訳ありません」
頭を下げたままのフリードリヒの右手には包帯が巻かれている。まだ痛むのだろうか? 傷が残ってしまうのだろうか? そんな事をまた考えてじわじわと後悔と悲しみで視界が揺らいでいく。
「フリードリヒ様、わたしこそごめんなさい。もう誰かを怪我させたりしません。本当にごめんなさい、ごめんなさい」
当然の事だとわかっていても、無視をされた時に抱いた悲しみは計り知れないほど大きく深い傷を心に刻んだ。
何度も時間をやり直そうとしても魔導書は答えず、これが最後の世界線なのかもしれないと絶望さえ抱いていた。
今、アンブロシアーナの心にいるのは庭師で友人で片想いの相手であるジギだが、長い時間追い続けてきたフリードリヒへの気持ちは決して消え失せたわけではない。
――ジギ、ジギ、わたしちゃんとフリードリヒ様に謝れたよ。ジギと出会ってから、やっぱりなんだか全部が良い方向へ変わっている気がする。
「アンブロシアーナ様、どうか泣かないでください。僕は君を悲しませてばかりだ」
フリードリヒの右手がアンブロシアーナの頬へ軽く触れた。溢れる涙が包帯に吸われるのに思わず顔を離しても、彼の手は追いかけるように触れてくる。
「フリードリヒ様、滲みたらきっと痛いです」
「痛みはもうありません。だからもう泣くのをやめてください」
涙を止めようと俯いてギュッと目を瞑ると、アンモビウムの花束からか庭園の……ジギの香りがしたように感じて心臓が跳ねる。
いつも革のグローブをしているジギの手も、頬に触れたらこんな感触なのだろうかと思うとさらに顔が熱くなってしまった。
「アンブロシアーナ姫、あなたは必ず幸せになる。僕がそうする」
目を瞑っていると、その声も低くしたらジギに似ているのではないかとさえ思えた。こんな状況で恥ずかしい妄想を膨らませた自分を心の中で叱りつけ、アンブロシアーナは顔を上げた。
「いいえフリードリヒ様、幸せになるのはフリードリヒ様です。わたしがそうします!」
アンブロシアーナの言葉にフリードリヒは驚いて目を瞠ったが、すぐに柔らかい笑顔に変わる。
「それでは、今日はゆっくりお休みください。夜ふかしをしては傷に障ります!」
「え、アン」
――よし! 明日からまたローレンツにアタックを再会する! それからエレアノーラさんが来たらお話する! フリードと結婚してもらう!
勢いよくドアを閉めて、使用人が時々花を入れ替えてくれる花瓶にアンモビウムを半ば無理矢理挿し込んだ。花が多すぎで不格好になった花瓶は、アンブロシアーナの心のように盛り上がって見える。
――お花多くなっちゃったから明日はこれの半分を持ってお墓参り行こう! ジギに会うのは目標達成したご褒美!
アンブロシアーナは久しぶりに朝まで熟睡した。