08
その日もアンブロシアーナはジギの小屋にいた。相変わらずジギはアンブロシアーナにわざとため息をついたりしているが、数日前に渡した花冠は捨てられることなく飾られている。
花など言葉通り腐るほどあるというのに、その花冠だけは大切にされているように感じて心がこそばゆい。
「それで、どうしたらローレンツ様に会えるかなって」
「諦めろ。フリードリヒ様の方がどう考えても脈ありだろ」
「それは絶対にない! その……王女様たちが、フリードリヒ様は公爵家のエレアノーラ様のことが好きって言ってたし……わたしはローレンツ様と結婚するの! 弓も上手だし」
「弓ねぇ……そういえばローレンツ様も公爵令嬢様に求婚しているって聞いたけど、そこは良いのか?」
「そ、そうなの?」
「もういっそ自分で公爵令嬢様にでも確認して来たらいいんじゃないか?」
アンブロシアーナは、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受ける。嫉妬の念が消え失せて、今では一方的な好意と憧れを抱いている公爵家の令嬢エレアノーラに話しかけることなどできるのか、不安に眉間にしわが寄った。
エレアノーラがフリードリヒに送った手紙の内容的に、アンブロシアーナよりよっぽどユーモアセンスに恵まれていて、自分相手では楽しく会話ができるかもわからない。
――ううん、楽しくお喋りをする必要なんて無いんだけど……
「これは極秘の庭師情報だが、明日は公爵様が登城する。きっとご令嬢も一緒だ」
「そうなの?」
「ああ、だから明日の茶会かサロンに、ご令嬢が参加することもあるかもな。社交界デビューの前に先輩方から、ありがたいお話を聞くために」
「なるほど……ねえ、どうしてジギがそんな事を知ってるの?」
「極秘の庭師情報って言っただろ。まあ単純に、公爵家の紋章……家紋って言うのか? それの花を飾れって指示があったんだよ」
「ジギすごーい!!」
*************
毎回形だけの誘いがかかる茶会にアンブロシアーナが行くと言った瞬間、使用人が驚いて目を見開いた。今にも目玉が転げ落ちそうだ。
「ええと、この茶会にもローレンツ殿下はいらっしゃらぬとのことですが」
「それでも行きたいのです」
「アンブロシアーナ様がお望みとあれば、すぐにその旨をご連絡いたします、ええ、すぐに」
もしかしたらエレアノーラは来ないかもしれないし、来ていたとしても会話などできないかもしれない。アンブロシアーナがフリードリヒに火傷を負わせたことを、既にエレアノーラは知っているかもしれないし、そのことで嫌われているかもしれない。
恐怖は絶えず湧き上がる。それでも一度愛した男性を幸せにするために、アンブロシアーナは諦めるわけにもいかない。
――せっかくジギに情報を貰ったんだもの。絶対に絶対に、エレアノーラさんに会う!
いざ、テーブルセットの用意された庭へ執事に案内されると、王女や貴族令嬢たちがアンブロシアーナの顔を見てざわつき出した。
それでも堂々と案内された席に着いて周りをよく見てみると、4番目の世界線で出会ったミルクティーブロンドの女性が、そう遠くない席で伏し目がちにテーブルのどこかを見つめている。
――やっぱり彼女がエレアノーラさん、だよね
直接誰かに話しかけられることもないまま、ただ周りの話に耳を傾ける。今日はアンブロシアーナへの侮蔑などではなく、菓子の味の感想や各々のドレスの話題で持ちきりだった。
エレアノーラは品が良く、美しい所作で凛とそこに存在している。顔だけはやたらと整っている王族とも引けを取らない美貌と雰囲気は、どこか近寄りがたくも思えた。
大勢の人の前で魔人のアンブロシアーナに話しかけられるのは迷惑だろうと、声をかけられずにいたが、やがて茶会が終わりそうな時間になると、焦りで視線をちらちらと周りに向ける。
その時、エレアノーラの隣に座っている王女が、別の令嬢との話に盛り上がって身を乗り出した。まだ湯気の立つティーカップが、王女のドレスの装飾に当たって傾く。その先にいるのはエレアノーラだ。つい先程ドレスの話題になった時、母親の形見と言っていたことが頭にはっきりと声になって蘇る。
――あ、危ない!
ほんの一瞬の出来事だった。アンブロシアーナは手を伸ばし、そのティーカップの中身にあった紅茶に己の魔力を流し込んで、瞬時に蒸発させた。
人間相手にはしっかりと罪悪感があるのか、青ざめた王女がティーカップの方を見つめる頃には、もう空になったそれがエレアノーラのドレスをクッションにして座っている。
ジュッという音といい香りの蒸気が舞い上がった事をに、エレアノーラは驚いた顔でティーカップに恐る恐る触れ、それをじっくりと観察しながらソーサーへと返した。瞬間的に紅茶だけに魔力を注ぎ込み、ティーカップから離れた液体だけ蒸発させたので、激しい温度差も無く割れずにも済んだようだ。
しかし咄嗟の事とはいえ、人間の前で魔力を使っては怖がらせてしまうため、避けるべきであった。また目立つ使い方をしてしまった事に気不味くなって俯く。
案の定、顔を真っ青にしたままの王女は目眩を起こして椅子にもたれかかり、それに駆けつけた使用人もまるで化物を見るかのような顔でアンブロシアーナに視線を向ける。
誰かに怒鳴られる前に、適当に謝って部屋へ帰ってしまおうと思ったその時、アンブロシアーナよりも先にエレアノーラがテーブルにドンと手を置いて、勢いよく立ち上がった。
「すごい! すごいわ! 見て、ドレスが汚れなかったのよ! かっこいいわ!」
「えっ」
「煙? 煙みたいなのが出たわ! すごいわ! いいえすごいです! 魔法だわ!」
それまで大人しくしていたエレアノーラが騒ぎ出したのに、王女たちが引き気味にその様子を見て「ええ……」と返す。
「申し遅れました。私はエレアノーラです」
「わ、わたしはアンブロシアーナです」
「存じております、アンブロシアーナ様。おかげで王女様は火傷をされずに済み、私のドレスもこのとおり、全く汚れずに済みました。心からお礼申し上げますわ」
王女が火傷をせずに済んだ。そうエレアノーラが発した言葉によりようやく空気が和らいで、びくびくしていた令嬢たちの顔も穏やかに戻っていく。
――やっぱり素敵な女性……。
その日の茶会は珍しくアンブロシアーナにとっても楽しいものになり、不思議と未来への希望さえ見え始める。
肝心のフリードリヒへの想いをエレアノーラに聞くことはできなかったが、数日後に今度は彼女も王宮に部屋を与えられ、しばらく過ごすのだと聞くことができただけで今回は収穫があった。
ジギに近況報告をしようと窓の外を見れば、空には数え切れないほどの星が煌めいている。
アンブロシアーナは目を瞑って、深呼吸をした。