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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
片手の指だけでは掴みきれない
24/62

06

 アンブロシアーナは昼すぎに出た焼き菓子を使用人に紙で包んでもらい、夜になると、それを持って窓から抜け出した。


 昨日とは違い、まるで心が踊るような気持ちで庭園へと進んでいく。


 雲間から差し込む月明かりは優しく、風はひんやりと涼しい。アンブロシアーナはなぜだか胸がドキドキと高鳴っていた。


 庭師はまだ起きているのか、小屋からはかすかに灯りが漏れている。玄関扉をコンコンと叩けば、すぐにドアが小さく開いて目深にフードをかぶった青年が少しだけ顔を出した。


「お前なぁ……」


「えへへ、昨日のお礼にお菓子持ってきたの」


「そりゃあ勿体なきお言葉ですこと、だ。チッ、お姫様が夜な夜なウロウロするなよ」


「お昼にウロウロする方が、みんな怖がるんだもの」


「なんでお前みたいなのが怖いのか、俺にはさっぱりわからんな」


 渋々アンブロシアーナを招き入れ、これまた渋々と紅茶を淹れる。そして「ほらよ」と言ってテーブルに置いた彼に、アンブロシアーナはふにゃんと口元を緩めて間抜けに笑った。


「なんだよその笑い方……」


「嬉しくてつい」


「嬉しいだ? こんな白湯みたいな茶、不敬だって吊るし上げられてもおかしくないだろ……ほら、さっさと飲んで帰れよな」


 アンブロシアーナはすっかり、この不敬な喋り方の男に夢中になっていた。なぜだか古びた小屋の中の匂いも、薄い紅茶も恋しくてたまらなかった。


 まだ会うのは二度目だというのに、庭師と共にいるだけでほんのりと世界が色付き、キラキラ輝いて見える。沈黙も何もかも心地が良いのは、視界の中で庭師がもっさりと着込んだ姿で動いているのが、少し愛らしく見えるからかもしれない。


「あのね、庭師さん」


「ん?」


「わたしはアンブロシアーナ。あなたのお名前は?」


「……庭師で良いだろ、庭師で」


 アンブロシアーナが不満げに口をつぐんだままじっと庭師を見つめていると、彼はため息をついて自分のフードを更に深く被ろうとでもいうのか、鼻先の方まで引っ張って隠れてしまった。


「ジギだよ、ジ、ギ」


「ジギさん」


「王女様が庭師相手に『さん』はいらないだろ」


「じゃあ、ジギ……ジギ! わたしは親しい人にはアンって呼ばれてるの」


「はいはい、アン様ね。わかったから早く飲んで帰って寝ろ」


 アンブロシアーナは不機嫌そうにも見えるがそうでもないジギに、庭師ならばと草花の話をしたり、人間の国の気候について問うたりした。


 庭師とは名ばかりで、実際は見回りくらいしかしないと言うジギは、アンブロシアーナの言った花があるか無いかが少しわかるくらいのようだった。その代わりに気候の話や知っている事はしっかりと答えた。


 人間の国には四季があり、今は春だということ。春の次に来る夏は暑いが星がよく見えること、たまに嵐が来ること。その次は秋、そして冬、また春に戻ること。


 魔人の国にも春夏秋冬という概念はあるが、それぞれあまり大きく差はないと話すアンブロシアーナに庭師はさほど驚きはしないが、猛暑も吹雪もないことはいい事だと少し柔らかい声で言う。



「ところで噂じゃアンタ、ローレンツ様を追っかけて、振られてるらしいな。相手変えたらどうだ?」


「でも……」


「フリードリヒ様なんかチョロそうだけどな」


「それはだめ! わたし、あの方に怪我させちゃったの……」


「見かけによらずお転婆だよな。まあ、傷は男の勲章って言うし、そんなこと気にするなよ」


「気にしないわけにはいかないよ」


「そんなに気にするなら、むしろ責任とって婚約した方が良いんじゃないか?」


「それじゃあフリードリヒ様が可哀相……怪我をさせられて、好きでもない魔人と結婚をさせられるなんて」


 アンブロシアーナの言葉にジギが顔を窓の方へ向けた。何か考え込んでいるようにも見える。アンブロシアーナは残りの紅茶を飲み干し、そのほとんど隠れている横顔を見つめていた。


 大きめの上着の袖から出ている手は、両方とも革のグローブで隠れている。目も口もほとんど隠れていて、辛うじて鼻のあたりだけが見えている状態だ。その鼻のあたりは特に爛れているようには見えないが、彼の病がどういったものなのか知らないアンブロシアーナはただ見つめることしかできない。医療知識も薬学にも疎いアンブロシアーナは、彼に下手な言葉をかけることもできないのだ。


「アンタはローレンツ様のことを好きか? 婚約を結びたいと心からそう思っているのか?」


 フリードリヒの問にアンブロシアーナは目を伏せる。


「俺にはとてもじゃないが、アンタがあの王子と結ばれて幸せになれるとも思えない」


 ジギの言葉には、アンブロシアーナの幸せを望むような感情がうっすらと含まれている。誰かに幸せを望まれることが本当の幸せなのではないかと感じたアンブロシアーナは、フリードリヒとエレアノーラの顔を思い浮かべて一度、目を閉じる。


 再び瞼を開けたアンブロシアーナの胸に、決意が炎のように煌めいた。


「幸せになれるよ」


 アンブロシアーナの強い言葉にジギは黙ったまま、己もカップの中を飲み干す。


「まあ、やれるだけやってみろよ」


 不機嫌な庭師のぶっきらぼうな声に励まされ、アンブロシアーナは今日も自分の部屋へと戻るのだった。



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