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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
片手の指だけでは掴みきれない
23/62

05

 仮眠のつもりが、目が覚めると部屋は夜闇に埋もれていた。いつ来たのだろうか、使用人がテーブルに夕食の代わりに軽食を置いて帰ったのだと気付き、冷めたスープを乾いたのどに流し込んだ。


 外は静かで、白い月が眩しく世界を照らしている。


 涼しい風に誘われるように、アンブロシアーナは窓から外へと降り立った。外に出た事に理由は無い。ただ月明かりに惹かれただけだった。


 深夜に出歩く者は警備の兵くらいだろう。


 夜目がきかず、松明を持って歩く彼らの気配を避けて、たどり着いた花壇や像の並ぶ庭園をぼんやりと眺めながら歩く。


 魔人の国の庭園には無かった花が咲いているのに気が付いて、しゃがみ込んでじっくりと観察をする。太陽の沈んだ夜だからか花びらをすぼめているが、日中には開いているのだろうか。鮮やかな色をしているその花は、きっと美しいに違いない。


 花びらが開ききると、一体どのような形をしているのだろうか。久しぶりに、少しだけ楽しい空想に身を委ねていると、いつの間にか背後に何者かが立っていた。


「っ……ごめんなさい、目が冷めてしまって……」


 見張りの兵だろうと、咄嗟に謝りながら振り返る。そこにいたのは目深にフードを被った怪しげな男だった。


「あ、あなたは誰!?」


 ランタンを手にしたフードの男は、普段目にしている使用人や兵、騎士とは明らかに違う衣服を身にまとっている。脳裏をよぎるのは、4番目の世界線で刃を翳し、フリードリヒの命を奪ったあの男の姿だった。


 もう同じ手は通用しないと、臨戦態勢に入ったアンブロシアーナの髪が、魔力でふわりと、下から風に拭かれたように舞い上がる。


「おい待て、俺はただの庭師だ。夜中にウロウロしてる怪しい奴がいるから見に来たんだよ」


「庭師?」


「ああ」


「……なぜ顔を隠しているの?」


「これは持病だ。皮膚が爛れていくんだ。醜い顔じゃ、王宮で働かせて貰えないからな……証拠ならこの上着、ちゃんと紋章が付いてるだろ」


 そう言った男の上腕には、確かに入城許可証である紋章が縫い付けられている。わざわざ偽物を用意するのであれば、もっと使用人らしい清潔感のある衣服につけるだろう。


 土と苔を混ぜたような色の上着を着た男は、アンブロシアーナが警戒を解いたのに安堵して、ふうとため息をつく。ランタンに照らされて辛うじて見える鼻の下辺りにはひげもなく、声も若い。それほど歳の差を感じない彼に、アンブロシアーナはまたじわじわと目に涙を溜めた。


「ごめんなさい……わたし、また人を傷付けようと……」


「おい待て、泣くな、頼むから」


「だって、わたし、わたしっ」


 まるで砦が壊れてしまったように、次々と感情が湧き出して止まらない。赤子のようにわんわん泣き出したアンブロシアーナに庭師は狼狽したものの、持ち上げていたランタンをやや下げて、気まずそうに顔を下の方に向けたまま、心がが落ち着くまで待っていた。


 しゃくりあげるアンブロシアーナの横に移動し、ポンポンと無言で控えめに背中を叩く庭師に、これ以上の迷惑をかけぬようにと、なんとか感情を抑え込もうとする。しかし一度泣き始めてしまうと、そう簡単には止まらない。


「その……なんだ、そんなに泣いたら、水分取った方が良いだろ。何か飲み物飲んでいくか?」


 布ごしの聞こえづらい声だが、優しく話しかけられるとほんの少しだけほっとする。


 庭師が指をさした先には木々に覆われた建物があった。普段あまり気に留めなかったその小さな小屋は窓から光を漏らしている。おそらく彼が住み込みで働いているのだろう。


「でもっ……でも、良いの?」


「……アンタは良いのかよ? 俺、どう考えても怪しいだろ」


 アンブロシアーナは自分の方が魔力もあり強いことを確信していた。危害を加えるつもりならば隙を何度も見せていたはずだし、今は彼の善意を信じたかった。


「庭師さんは、怪しくないから……」




 小屋は城とは違う、小さな住まいだった。小さな木製のテーブルと椅子、小さな調理場、寝床と必要なものだけが揃っている。


 台所というものをあまり近くで見る機会の無かったアンブロシアーナは、器用に火打ち石で付けた火で湯を沸かす後ろ姿を眺める。


「お姫様の口には合わないかもしれないけど、まあ、味見だけでもしてみろよ」


 このような話し方をする者に会う機会もあまりなく、もしも自分に友人がいたらこういうものかと、じんわり胸が温まる。


 庭師がテーブルに置いた古いカップに注がれているのは、鮮やかな赤色の紅茶だ。


 確かに香りが薄く、普段飲んでいるものとは違うようにも感じられるが、今のアンブロシアーナにはこれまで飲んできた紅茶の、どれよりも美味しく感じた。


「美味しい……」


「そうかよ」


 ぶっきらぼうに言う庭師が、テーブルを挟んで向かいの椅子に腰掛けたのを見つめていると、左手に自分のカップを持った庭師がわざと聞こえるようなため息をこぼす。


「落ち着いたら帰れよ」


「……うん」


 乱暴そうに聞こえて優しい声音。渋みの無い、柔らかな香りの紅茶に心が安らいでいく。


「庭師さんはここに一人なの?」


「まあな。アンタも一人で来たのか? 使用人とか普通は連れてくるだろ?」


「……魔人はあんまり歓迎されないから……少ない方がいいでしょう?」


「ああ、そういうことか。なるほどな、アンタもいろいろ気つかって大変だな」




 アンブロシアーナが紅茶を飲み終わると、庭師は面倒くさそうな態度でドアを開けた。早く帰れと言いたそうな彼に、わざとらしく遅く歩いてみせる。


「おいこら、さっさと帰れ帰れ」


「ごちそうさまでした」


「頼むから言いふらすなよ。俺の首が飛ぶからな」


「二人だけの秘密ってやつね、えへへ」


「なんで嬉しそうなんだよ……じゃあな、もう夜中にピーピー泣くなよ」


 頷いて庭師に向かって手を振るアンブロシアーナに、彼はもう何度目だろうか、大きなため息をついて小さく手を振り返す。


 何度振り返っても、庭師は小屋の外に出たままアンブロシアーナを見送り続けていて、振り返る度にしっしと手で払うような仕草をしたりと、親しげに反応をした。


 騎士見習いやこの庭師のように、自分が存在している事を認めてくれる人がいることだけで、不思議と心は温まって、また頑張らねばと強くいられる気がした。


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