04
アンブロシアーナは3日間、フリードリヒに怪我をさせた罪を償うため懲罰房である牢に入った。
牢といっても、以前の世界線でフリードリヒがアンブロシアーナを庇って入った、鍵のついた小さな部屋だ。
部屋には少し質素ではあるがしっかりと食事が運ばれ、街に住む庶民よりも良い暮らしだ。
小さな本棚に並ぶ数冊の本からフリードリヒが足を組んで読んでいたものを見つけ出すが、どのページを開いても、城下街の人々が足を組んで座っているというような文章や図はない。アンブロシアーナは彼の吐いた嘘に初めて可笑しくなったあの日を思い出して、恋しさと切なさに目を伏せる。
アンブロシアーナは最初の世界線で結局毒を飲まされず、言い方を変えれば助けられたのだと気付いた。その後も、何度も何度もフリードリヒはアンブロシアーナを助けていた。
ほんの数回見せた本当の顔。髪を無理矢理染められ、大声をあげられたあの時、彼は自国を守るためだけでなく、アンブロシアーナのためにも怒っていたのではないか。
都合のいい夢ばかり追いかけて、耳を塞いでいた愚かな自分に嫌気が差した。
本当にどこまでも無知で、世間知らずで、どうしようもない子供だった。そんな自分を、記憶を失った世界で何度も助けてくれる彼は、想像していたよりも優しく、誠実なのだと改めて感じる。
――明日、謹慎が解けたら、もう一度ちゃんと謝りに行こう。
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いざ謹慎が明けて自室に戻ると、アンブロシアーナを取り巻く環境はこれまでと全く違っていた。
王子に怪我を負わせた。手から自在に炎を出して操れるのだと王宮中に知れ渡り、使用人たちの表情にも恐れの感情が滲み出ている。
これは人間にとって当たり前の反応で、ごく当然の扱いなのだろう。あれほど睨みつけて来たり、悪態をついていた同年代の少女たちも、もう目を合わすことすら無くなった。
得体の知れない、恐ろしい何かになってしまったアンブロシアーナの部屋の前には見張りの兵が付くようになり、どこへ行くにも鎧を着て武器を持った男が、少し離れて付いて来ては睨みつけてくる。
フリードリヒに謝罪がしたいと伝えても面会の許可は降りず、面会できないほどに大きな傷を負ったのだと思うと、心配で夜も眠りにつけなくなってしまった。
数日がたち、すっかり覇気を失ってしょんぼりと過ごしているアンブロシアーナへの警戒が弱まったのか、それとも、まだあどけなさの残る少女が、孤独に部屋に閉じ籠っている姿を見続けて哀れに思ったのか、見張りの騎士見習いが外の空気を吸った方が良いと声をかけた。
鎧の騎士見習いは、とぼとぼ歩くアンブロシアーナの後ろを無言で付いてくる。他の兵士とは違い、剣の柄に手をかけながら歩いて威圧をしたりはせず、剣を握るはずのその手は地面の方へ向いていた。
庭園よりも、もっと手前にある噴水にようやくたどり着いて、水面に映る自分を見つめると、髪は輝きを失い、瞳もどこか濁っているように見えた。
――わたしよりもフリードの方が辛くて苦しいはずなのに、なんて顔をしてるんだろう
元とは比べ物にならないほどの魔力を手に入れたというのに、未だに上手く魔導書を使いこなせない自分にも情けなくなってしまう。ぼろぼろと涙を零してじっとしているアンブロシアーナを、騎士見習いはただ黙って待っていた。
たったそれだけのことが、今ではありがたく思えるほど、誰かに優しくされる日常から、いつの間にか大きく離れてしまっていた。
「ありがとうございました。もう、部屋に戻ります」
「……承知致しました」
鎧で顔が見えないというのに、低い声がどこか心配そうにも聞こえて唇を軽く噛む。甘えたがりの自分と決別しなければ、また同じ失敗を繰り返してしまうに違いないと思った。
――騎士さんの声、なんとなく聞いたことあるような気がする。前の世界線でも、きっとお話したことがあるんだろうな。
来る時よりも、ほんの少しだけ速度を上げて歩く。
階段を上り始めた時、上から誰かが下ってくる気配に気が付いて見上げると、そこにはさらりと綺麗な黒い前髪をいじりながら歩くフリードリヒの姿があった。
「フリードリヒ殿下っ! あ、あの、先日は本当に申し訳ございませんでした。その後、お怪我の方は……」
右手に包帯を巻いたフリードリヒはアンブロシアーナに一瞥くれると、わざとらしく目を逸らして、返事もせず足早に通り過ぎていく。
怪我をさせたのだ。無視されて当然だ。そう理解しているのに、正直な心は悲しくなり、目頭はじんじんと再び熱を持つ。
鎧の音が鳴る。頭を下げていた騎士見習いが姿勢を元に戻したようだった。
「……アンブロシアーナ様、空気も冷えて参りました。お風邪を召さないよう、今日はもうお部屋にお戻りに」
「……はい、そうですね。お気遣い頂いて、ありがとうございます」
一歩踏み出したが、大きな疲労感で次の一歩を踏み出すのに時間がかかってしまった。それでも騎士見習いは急かさず、文句など言わずにただ後ろを付いてくる。
「今日は、ありがとうございました」
部屋の前まで差し掛かり、重たい踵を返して頭を下げた。
「いえ、自分は何も……。今日はゆっくりとお休みください」
「はい……お疲れさまです」
部屋の扉を閉めるまで、頭を下げてそこに立ち続ける騎士見習いの真面目な態度に、ただ純粋に尊敬の念を抱いた。
ほんの少しだけ仮眠を取ろうとソファーに腰掛けると、みるみる意識が遠のいていく。
あまりにも心が疲れすぎていた。記憶と魔力だけを保持し、肉体も心もまだ12歳の少女であるアンブロシアーナには、この数日間は酷な日々だった。