01
アンブロシアーナが目を覚ますと、そこは魔人の国の城にある自分の部屋の中だった。
11歳。つい昨日まで、アンブロシアーナは自分が時間を遡っているなど忘れて、ただ楽しく呑気に生きていた。自らの使命を取り戻したアンブロシアーナは、体の中にある魔力がまた更に大きく強力になっていることを確認して寝台を降りる。
一つ前……記憶にある限りで4番目の世界線での記憶ははっきりとある。それより前のものになると、やはり記憶は朧げで霧がかっていた。
――あの時のあの女性がきっとエレアノーラさんだ。
名を聞いていないので根拠は無いが、フリードリヒをフリッツではなくフリードと呼ぶくらいなのだから親しい仲に違いない。
着替えを済ませて部屋を出る。王とその妃である両親へ朝の挨拶をしに食堂へ向かう途中、それまでの世界線ではあまりなかった求婚者たちの存在を思い出した。
今の世界線でのアンブロシアーナはかなりの魔力を持っているため、その強さに憧れを抱いて婚約を求む貴族や騎士が多くいた。
昨日までのアンブロシアーナは夢物語に耽って理想の王子様を頭に思い浮かべて全て断ってきていたが、ふと、フリードリヒとの婚姻を避けるべく、先に誰かと婚約するのも良い案では無いかと考えた。
しかし、それでもいずれ来るだろう人間の国との人質交換で、アンブロシアーナ以外の魔人がフリードリヒと婚約を結んでしまっては、彼とエレアノーラの幸福を見届けることができない。
うーんと唸っていると、今日もアンブロシアーナを追いかけて貴族の少年が走ってくる。
笑顔の可愛らしいリザードマンの美少年のキラキラ輝く瞳に罪悪感を抱きつつ、差し出された花束を受け取らずに駆け足で廊下を進むと、優しく落ち着いた目をした水の魔人が貢物を手に笑顔でアンブロシアーナの名を呼んだ。
その先には長身で美しい角を持ったオーガの美丈夫が、さらにその先にはふわふわの可愛らしい狼の耳を持った若い騎士がアンブロシアーナを待ち受けている。
前の世界線でか弱かったアンブロシアーナは魔王の庇護の元、異性を近付けずに清らかな環境で生きていたのだが、力を持って産まれた今の世界線での魔王は強くてモテる娘が誇らしいのか一切それをしない。
「お父様! お母様!」
魔王とその血族、一部の使用人だけが入室を許されている食堂に飛び込むと、相変わらず仲睦まじい夫婦が互いの食事を匙に乗せて食べさせ合おうとしていた。
「アン、いつになったら落ち着くのだ。お前の母はこうも淑やかで気品に満ちているぞ」
「お父様! あの方たちをお城に入れないでと何回お願いしたら聞いてくれるの?」
「皆あなたが美しく可愛らしいのでぜひ妻にと願っておいでです。陛下はお優しい方なので拒む事などできません」
「でもお父様、お母様、わたしはあの方たちとは結婚したくないの」
ふう、と魔王がつまらなさそうに息を吐き出す。鋭い視線だが、生まれたときから見ているのでこれっぽっちも恐怖はない。
「では、どんな男が良いと」
「そ、それは……それは、人間です! 人間の国の王子、第5王子と結婚をして国交も結んで我が国の魔道具や薬草を輸出します! 儲かるはずです!」
「輸出」という言葉に表情を明るく変えるのは王妃だ。大臣を多く輩出する貴族の家の出身で金銀財宝に囲まれて育った彼女はお金が大好きだ。
「そろそろ人間どもに哀れみを感じていたところです。陛下、わたくしもアンの言葉に賛成ですわ。人間の国は富に溢れ豊かだと聞きますから、さぞや儲けられるに違いありません。搾り取れるだけ搾り取りましょう」
「であるな。我も人間どもはくだらぬ発明などやめて今後は絹でも織れば良いと思っていたところよ」
あっさりと認められたのは、アンブロシアーナが強く、気に食わねば人間の国の王宮など焼いて戻って来れるだろうという傲りからだ。
魔人は楽観的で警戒心の薄い者が多い。
長く冷戦中のような関係のままで、時々互いを脅すような真似をしても武力衝突が控えられていた両国の人質交換はすんなりと進行していった。しかし、相手として名指しした第5王子がアンブロシアーナとの婚姻を猛烈に嫌がった為、肝心の相手が決まらぬ事態となった。
国内の多くの魔人たちがアンブロシアーナを求めていたにも関わらず、それを無下にする人間の国の第5王子は当然魔人らの目の敵となり、親善パーティーに顔を出すことすらなくなってしまう。
第5王子はフリードリヒの腹違いの兄にあたり、現在の王妃が側室であった時に産んだ子だ。
フリードリヒとは違い、黒色に近くはあるがどちらかといえばブラウンに近い髪色で、顔立ちは若い頃の王の肖像画に似た整ったものではあるがやや背が低い。
年下で小柄なアンブロシアーナからすれば大きくはあるが、フリードリヒと並ぶとどちらが兄かもわからない姿をしている。しかし王妃からすれば末っ子で、周りからはたいそう可愛がられているため貴族令嬢たちが必死に取り入ろうとしている相手でもあった。その名をローレンツという。
ローレンツはアンブロシアーナの記憶にある全ての世界線の中でもあまり相性が合わず、一人の時は目も合わさず逃げるというのに、味方がいるとわざと聞こえるように陰口を叩いたりする。
義姉たちと特に仲のいい王子で、嫌なことがある時はだいたいこの男の顔がそこにあった。
もうさほど強く恨んだり憎んだりはしていないが、愛着や哀れみのようなものがないため利用するにはもってこいの人材だった。
なかなか折れないローレンツのために、アンブロシアーナに正式な婚約を前に人間の国へ移り住み、王子を見定めて欲しいとの連絡が入った。それはアンブロシアーナが12歳になって間もなくだった。




