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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
それは四百四病の他というもの
18/62

10

 一つ前の世界線で、アンブロシアーナは人間の国の冬を経験しなかった。この国の冬はたくさんの雪が降り、時には吹雪いて外を歩くことすらままならない。


 薄っすらと積もり始めた雪に思わず大きく目を開いて、冷たく、まるで体の内側を刺すかのような空気を吸い込み、胸いっぱいに溜め込む。


「本当に、大地が白く染まってる」

「これからもっと積もるよ。吹雪いている日は、前も見えなくなる」

「霧よりも白い?」

「それはどうだろう。同じくらいじゃないかな」


 寒いのか、しっかりと外套を着込んでも尚、フリードリヒは肩を竦めている。しかし髪に少し魔力を流して温まっているアンブロシアーナに、ぴったりとくっついた彼の優しい声は温かい。


 吹雪の色など、人間にとっては喋りを覚えた幼児にされるような質問だろうが、フリードリヒは必ずしっかりと答える。アンブロシアーナが彼に好感を持っている部分の一つだ。


 王族や貴族たちがパレード用の馬車に乗り、大きな街道をゆっくりと走りながら、子供の手でも持てるほどの大きさにラッピングした保存食や贅沢品を集まった民衆に向かって投げる。その行事は大いに盛り上がっていた。


 魔人のアンブロシアーナが触れたものを欲しがる人間は数が限られるだろうと、気を遣って全てフリードリヒに任せていたものの、母親に抱かれた幼子が笑って手を振り返してくれたりと良い事もあった。


 いつもより近くへ寄って密着してくるフリードリヒに恥ずかしく思っていたが、寒いのだろうと自分に言い聞かせて逃げずにいた。フリードリヒから伝わってくる体温なのか、それとも自分のものなのかもわからないが、心地よいその温もりは決して嫌なものではない。


 あっという間に街道を抜けて城門へと戻ってきてしまう。


 隣にぴったりとくっついていたフリードリヒが離れた事に、僅かな寂しさのようなものを感じながら馬車を降りようとすると、先に降りていた彼の手が差し出された。


 その手に自分の手を軽く触れるように乗せる。何度も何度も強く心惹かれて、ついまた愛おしさを抱いて目をそらしてしまう。


 ――後は神官たちのお祈りを聖堂で見届けるだけ……


 城門が閉まっていく音。鳴り止まない人々の声。喧騒の中、アンブロシアーナはどこからか向けられる、一つの殺気に気が付いてフリードリヒの手を放した。


「アン?」

「今、誰かが」


 並び立つ使用人たちの後ろを素早く何かが通り過ぎ、ぶつかられた者が小さな悲鳴を上げた。その使用人たちの間から、フードを目深に被った男がマントの中から短剣を取り出し、細かな雪を落とす薄灰色の空へ高く掲げる。


「魔物の女はお前だな」


 ギラリと刃が光った直後、男はほんの一瞬のうちにアンブロシアーナの目前へと迫り来る。


けがれた魔物に死を!!」


 凄まじい殺意に満ちた咆哮に、言い知れぬ恐怖を抱いたアンブロシアーナは、逃げようとしていた足をもつれさせ、その場に崩れて腰を地面に打ち付けた。


 一閃。

 鈍色の鋭い閃光をしっかりと見つめているのに、体が思うように動かない。まだその刃は届いてなどいないのに、なぜか背中に激しい痛みが走ったような気がした。


「アン!!」


 刹那、何もわからぬまま打撃を感じ、宙へと飛ばされて地面に転がる。

 冷たい地面が頬を擦ってチクリと痛んだ。

 その痛みにようやく冷静になり、震える両手に力を入れて上半身を起こす。すぐ側で何人もの警備隊が集まり、マントの男を取り押さえていた。


 鼻をつく甘い香りに、アンブロシアーナは先程までフリードリヒのいた場所へ顔を向ける。

 その見事なまでの赤色は、ぶどう酒よりも美しい。そして、これまで嗅いだことのないような甘美な香りに思わず喉を鳴らすが、同時に背筋から凍るように冷えていき、体がガタガタと戦慄きだした。


 大量の人間の血が見えた。それは倒れて動かないフリードリヒから、次々と流れ出ている。


「フリード、フリード」


 まだ上手く動かない己の腰から下を引きずって、フリードリヒの元へと這っていく。ピク、とフリードリヒの指が動いたのに僅かな希望を抱いて再びその名を呼んだ時、アンブロシアーナよりも先に、目に優しい翡翠色のドレスの女性が飛び出してきた。


「フリード!!」


 アンブロシアーナ以外にはフリッツと呼ばれている彼を、その名で呼ぶ者に心当たりはあった。躊躇なく自らのドレスの裾を破いてフリードリヒの傷口に押し付け、止血を試みる姿は、アンブロシアーナが昔聞いたおとぎ話に登場する理想のお姫様そのものだ。


 ミルクティーのような優しいベージュの髪に、陶器のようなつるりとした肌。薄っすらと赤い唇と、アンブロシアーナよりも大人びた体付き。


「フリード、もう大丈夫よ、必ずお医者様が良くしてくれるから。無理に動いてはだめ、じっとしていて」


 虚ろなフリードリヒの瞳がゆらゆらと揺れている。


 ――お願い、魔導書! お願い早く時間を戻して!


 ガチガチと震えて歯が鳴っている。爪が欠けるのも気にせず、地面を引っ掻くように掴んで魔導書に祈る。

 小さく動いたフリードリヒの唇が何を言ったのかアンブロシアーナにはわからない。最期に真に愛おしい女性がいるのだから、それは優しい言葉かもしれない。


 ――お願い、お願い、お願いだから時間を戻して!


 翡翠色のドレスの女性がゆっくりとアンブロシアーナの方へ顔を向ける。その顔は涙でぐちゃぐちゃに濡れているというのに、フリードリヒとアンブロシアーナを安心させようとしているのか、情けない笑顔が浮かんでいた。

 フリードリヒを寝かせたまま、地面に這いつくばっているアンブロシアーナに血だらけの手を差し伸べた女性の目に、畏怖や憎悪は感じられない。


「アンブロシアーナ様、こちらへ」


 いざなわれてフリードリヒに近寄ると、もう視力が失せかかっているのか焦点が合わず、ヒュウヒュウとかろうじて息をしている状態だった。


「フリード、あなたが守ったアンブロシアーナ様は大丈夫。かっこいいわ、フリード、とても」

「ごめんなさい、わたしの、せいです……わたしは…魔人なのに……」

「アンブロシアーナ様、大丈夫よ、大丈夫だから。あなたのせいではないわ」


 愛した人を、そしてその命すらをも奪おうとしている魔人を抱きしめて背中を擦る心の美しい女性に、アンブロシアーナの中から人間への恨みや憎しみが消えていく。


 心から、この女性とフリードリヒを幸せにしてやらねばならないのだと強い使命を抱き、アンブロシアーナは強く魔導書に命じた。



 ――時間を巻き戻して、フリードリヒを助けて!



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