09
雪がチラチラと降り出した頃、人間の国ではその一年の感謝と、次の春も豊作であれと願いを捧げる祭りがある。大きな祭りであるため、もちろん今年から王室の仲間に加わったアンブロシアーナも参加をしなればならないのだが、具体的に何をしろという指示もなく、ただ他の王女たちと同じように体を採寸され、布の色を何度も確認されて過ごしていた。
他の王女たちは冬の季節に合わせてか、淡い水色のドレスを仕立てているようだが、アンブロシアーナはフリードリヒの勧めもあり濃紺で光沢のある生地を選んだ。
当然一人だけ目立つ髪色に濃紺のドレスを着ていれば王妃や王女達が文句を言うだろうと簡単に想像がつくが、それでもアンブロシアーナ自身も魔人の国では人気のあった深い紺色に惹かれていた。それに、そもそもどんな色のドレスでも魔人である限り文句は言われるのだ。
社交の場がある度にドレスを作っている王女たちに比べれば、アンブロシアーナがドレスを仕立てるのは極わずかな機会で、この世界線においては婚姻してすぐに歓迎として用意されていたもの以来だった。
持参したドレスに愛着があるとはいえ、それでも新しいドレスには胸が踊る。
「お祭りってどんなものなの?」
「その日のために城に貯蓄してあった食料や贅沢品の一部を集まった民にばら撒くんだよ」
「すごい! それじゃあたくさん人が集まるのね」
「ああ……アン、もしも当日何か嫌な思いをしたらすぐに僕に言うんだよ。横でしっかり見張っているけれど」
「わたし、もう大丈夫だよ」
「僕は大丈夫じゃない」
「うーん……」
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仕立て屋は魔人のドレスを作るのは初めてだと言っていたが、それは決してアンブロシアーナのドレスを作らされることへの文句などでは無かった。
天候や光の当たり具合、アンブロシアーナのその日の気分で髪色に若干違いが出る事に気づいてしまった仕立て屋の熱意に気圧されながら、最後の調整のためにクルクルと何度も何度もその場で回る。
「アンブロシアーナ様は大変お肌が白いので、やはり黒いレースが映えますね。黒のレースはこの国では喪服に度々使われるのですが、魔人の国では高貴で大変おめでたいものとお聞きしたので、あえて使わせて頂きましたの。それでいて、喪服と差をつけるためにここにはフリルを、こちらには春を待ち望む草花の刺繍も致しました」
「素敵です! こんなに可愛いドレスは初めて見ました」
疲れも吹き飛ぶほどに、そのドレスはアンブロシアーナにとって最高の仕上がりであった。
満面に笑みを浮かべるアンブロシアーナに、仕立て屋もにっこりと微笑む。
「ありがとうございます。失礼ながら、こちらのドレスのデザインは魔人の方々にも好まれるものでしょうか? アンブロシアーナ様のおかげもあり、近々魔人の国に商談へ行かせて頂く事ができそうなのです」
「ええ、もちろん! その……魔人の国でレースはとても高価で……魔人には同じ質のものを生産できないので、人間の国の喪服を仕立て直した物が人気なんです」
魔人のほとんどが、黒いドレスや装飾品を喪服と知らずに着用しているが。
「もしよろしければ、どういった形に仕立て直すのが人気か、お教え頂けますか?」
「ええと、このドレスのようにフリルや飾りを付けたり……あと、その……怖いとお思いになるかもしれないのですが、魔人にはその……羽や尻尾がある方もたくさんいらっしゃるので……」
「いいえ! 何も怖いことなんてございませんわ。羽や尻尾に配慮した形になるよう、型を作り直さねばなりませんね。お帽子も、角やお耳をより美しく見せるものが良いのでしょうか?」
「はい、そうです! 角や耳に宝石やガラスで出来たアクセサリーを皆さんつけています!」
「まあ、素晴らしい! 是非とも参考にさせて頂きますわ!」
ついつい仕立て屋と話し込んでいると、コンコンと部屋のドアを叩く音がした。
「これはこれはフリードリヒ殿下、丁度、今アンブロシアーナ様はご試着中でございますよ。ご覧になられますか?」
「ああ、それが見たくて走って戻ってきたんだ」
「まあ! わたくしまで赤面してしまいそうですわ」
部屋に招き入れられたフリードリヒの乱れた髪に、本当に走って戻ってきたのだとアンブロシアーナは思わず頬を染めて俯く。
もう何度も騙されて痛いほどわかっているのに、毎日のようにフリードリヒの態度や仕草から伝わってくる愛情のようなものに心を奪われてしまいそうになる。
自分がエレアノーラの代わりになれるのならば、そうでありたいとさえ思う。
「綺麗だよ、アン」
ピアノのように優しい声、言葉。
「あ、ありがとう……」
「本当に、まるで夢でも見ているようだ」
――この言葉、知ってる。
遠い過去のようで未来の話。あの時と同じように、もしかしたらそれ以上にアンブロシアーナはフリードリヒに惹かれている。
あれほど膨らんでいたはずの憎しみが、今では安心感や恋しさに変わっている。こんなことではまたお人好しだの世間知らずだのと言われてしまうだろう。
ふと、アンブロシアーナは不思議なことに最初の世界線で18になった自分が、とても大人のように感じられた。
なぜそのように思ったのかはわからない。18歳では、今目の前にいる17歳のフリードリヒよりも年上だ。改めてじっくりフリードリヒの顔を見つめてみる。
――フリードは大人っぽいから、あんまり年下って感じがしないな。
「アン? どうしたんだい?」
「ううん、なんでもないの」
柔かな笑顔に思わず頬が緩んでしまう。
――いつか、本当のフリードをもっと知りたいな。
その正体が理想の優しい王子でなくても構わない。心にはただただ今の世界線の彼がたくさん存在している。
好きの理由はそれだけで構わない。たとえお人好しだと嘲笑されようが構わない。
「アン……触れても良いかな」
拒否せず瞬きをパチパチと繰り返す。そのまま黙って見つめているのを肯定と気付いたフリードリヒの手のひらが、ゆっくりとアンブロシアーナの頬に触れた。
思わず視線を彷徨わせて、いつの間にか仕立て屋や使用人たちが部屋からいなくなっていることに気が付く。
背の高いフリードリヒの方を向くように顔を少しだけ上に向けられて、頬に触れていない方の彼の手がアンブロシアーナの背中から腰にかけてを抱き寄せる。
「ふ、フリードはどんな人が好きなの?」
「……君だよ」
「それじゃあ、わかんないよ」
「笑った顔が可愛くて、火のように明るいのに儚げで、そうやってすぐ顔を赤くして逃げようとする。何でも頑張りすぎるところも、表情豊かでちょっとお人好しなところも好きだよ。君は僕にとって、かけがえのない太陽のような人だ」
饒舌なフリードリヒに顔が火を噴きそうなほど真っ赤になってしまう。
決して逃さまいと、フリードリヒの手がアンブロシアーナの顔を己の方を向くように固定していて、顔を反らすことができない。
このままでは唇を重ねられてしまいそうだと察して、アンブロシアーナはひどく狼狽する。視線をあちこちに向けて「あの」やら「えっと」とばかり繰り返した。
「嫌かい?」
「い、嫌じゃない……です」
内心では初心なアンブロシアーナを笑っているのだろうと、その瞳を見つめてみると想像よりも熱くとろんと甘い眼差しが降ってきていた。
どこからどこまでが嘘で、まやかしで、演技なのかがわからない。
つられるようにして目を閉じると、唇に初めて感じる柔らかい感触が与えられて息ができなくなる。
――なんだろう、この感じ。前にどこかで……
瞼の裏に霞がかっているいつかの情景が蘇り、それが過去の世界線の一つだと気が付くまでに時間はそうかからない。
たくさんのアンモビウムは、魔人の国の城の屋内庭園だ。
アンモビウムを懐かしいと感じるのは一つ前の世界線でフリードリヒが気まぐれに渡してきたからだと思っていたが、それよりももっと大切な記憶があると気付く。
それがどんなものだったのか、霞がかった記憶は深い深い記憶の湖の奥底に沈んでしまっていて手が届かない。
――アンモビウムの花言葉は、永遠の悲しみ。