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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
それは四百四病の他というもの
15/62

07

 あれから何度念じても、アンブロシアーナは魔導書の力を発動させることができなかった。発動条件について知らないうえ、いつも時間を遡るその瞬間の記憶が無いのだ。

 日に日にうっすらと蘇るそれぞれの世界線での記憶に大きな共通点は無く、遡りの条件が何なのか、未だわからない。


 フリードリヒを蘇らせるという目的から時間逆行が始まったことは確かだろうが、それにしてはどうにもタイミングが合わないようにも感じた。


 魔導書を含め魔道具は大抵が契約を結び条件を満たすことで効果を発動する。最も多く簡易的で幼子でも使えるランプであれば使い手の魔力を対価にするという形で契約を結び、特定の言葉をかけるという条件でつけたり消したりが可能になる。


 だが、中には契約をせずとも使用ができるものもある。例えば前の世界線で人間の国へ持ち込んだランプには契約者がいない。魔力を持たない者でも使えるようにと職人に改良させたもので、その代わりに予め魔力を詰め込んだ光る魔石の部分が消耗品となっていた。



 蘇りの魔導書を使うたび、アンブロシアーナは一つ前の世界線の倍の魔力を手にしている。

 肉体が一つであるためか、体力が二倍になることがないようだが、記憶をいくつも持っているように、魔力の器をいくつも持っているかのようだ。


 時間を操るというあまりにも強力な魔術を使ったにも関わらず、それほど都合が良くいくわけがない。魔力にしろ体力にしろ、何かしらを消費しているはずだと考えるが、その部分をアンブロシアーナは思い出せずにいた。

 朧気な記憶を無理矢理辿ると背中のあたりから激しい痛みや悪寒が走って、頭痛や吐き気を伴った倦怠感がアンブロシアーナの体を襲う。思わず小さく呻いて身を震わせた。


「アン、大丈夫かい? 顔色が……」


 はっと我に返ったアンブロシアーナの正面には、顔を青くしたフリードリヒの恐ろしいほど整った顔面があった。


「だ、大丈夫、ちょっとだけ疲れちゃったみたい……ねえ、フリードも顔色悪いけど、大丈夫?」

「君に何かあったら……僕は死ぬ」

「そんなことで死んじゃだめだよ」

「そんなことじゃない。アン、医者に行こう」

「本当に何ともないの……」

「何ともないのに、うずくまって苦しむ人はいない」


 ずるずると引きずられるように寝台から降ろされ、無理矢理横抱きにされる。

 羞恥に顔を真っ赤に染め、バタバタと暴れてフリードリヒの腕から逃れようとすると、更に強く抱きしめられてしまった。

 鼻孔をくすぐるフリードリヒのほのかな香りに、心臓までもが暴れだす。


「アン、大人しくして」

「あ、暴れるくらい元気だからっ、もう放してぇ」


 フリードリヒはエレアノーラと結ばれるべきという考えと、思うように言う事を聞かない心に涙がじわりと浮かぶ。寝台に戻されたアンブロシアーナがちらりとフリードリヒの顔を見ると、心配そうに眉尻を垂らしている彼の顔にまたドキリとして、顔を背けた。


 好きになったり憎しみを抱いたりと何度も繰り返したが、またこうやって好意を懐いてしまったのは、彼の言うとおり世間知らずのお人好しだからなのだろう。


 非難されようが、何度やり直したところで根本的な人格が大きく変化することなどきっとない。


「心配してくれて、ありがとう」


 例えアンブロシアーナ自身ではなくその先にある魔人の国との関係に対する心配でも、フリードリヒが体を案じて医者に連れて行こうとしたことは嬉しく感じた。

 その事に礼を言ったアンブロシアーナに驚いたような顔をし、頬を指でかくようにして笑みを浮かべるフリードリヒの表情には、わずかに懐かしさを感じる。


 ――そうだ、前にもこうやって笑っていた。いつだろう、あの時はたしか……。


 ドクドクと再び背筋を伝う嫌な感触。痛みに息が詰まる。そこで一度思い返す事をを止めた。


 忘れてはいけない、何かとても大切な事を忘れてしまっている気がする。

 しかしそれを無理矢理引き出すと、また苦痛に呻き、もがいてしまいそうだった。


「ねえ、フリード。ずっと気になってることがあるんだけど」


 気を紛らわすように声に出してみると、フリードリヒは寝台に腰をかけてアンブロシアーナの言葉の続きを待つ。


「陛下もお義姉様たちも、フリードの事をフリッツって呼ぶよね」

「……ああ、嫌いなんだその呼び方」


 はっきりと言い放ったフリードリヒの顔にはいつもの爽やかな笑顔が貼り付けられているが、棘のある言葉から滲み出る彼の本性にアンブロシアーナは頷いた。


「じゃあ、これからもフリードって呼んでいい?」

「うん、もちろんだよ」

「わかった」


 家族でないから、妻と認めたくないからフリッツと呼ぶなという意味のようにも感じていたが、はっきりと嫌いと言った彼にアンブロシアーナは安堵のようなものを感じる。


 ほっとしていると、フリードリヒの手が寝台の上に垂らしていたアンブロシアーナの手の甲をふわりと包み込んだ。


「……アン、君はまだ僕が君を愛していないと思ってる?」

「えっと……急にどうしたの?」

「理由が気になって」

「と、特に理由とか嫌な事とかないよ! だから婚約を破棄したいとか、自分の国に帰りたいとか……そんなことは言わないから」

「僕は、どうしたら君にこの気持ちがちゃんと伝わるのか、それを知りたい」

「そんなこと言われても……」


 前の世界線でエレアノーラからの手紙を見たからだと言えるわけもなく、アンブロシアーナは彼に握られている自分の手に視線を向け続ける。


「どうせ兄や姉のどれかが、僕に昔、別の婚約者がいたと君に言ったんだろう」


 ぎくりとし、泳いだ視線を落として地面に這わせていると、フリードリヒの手がアンブロシアーナの手を引き寄せて唇をあてた。


「今の僕には君しかいない。僕には君しか見えないよ」

「……わたしたち、まだ出会って半年も経ってないのに、わたしの方が良いなんて、そんなわけないよ……ねえ、フリード、自分に嘘をつかなくても良いんだよ」

「一目で落ちる恋もあるさ。君だって、僕の顔や髪を嫌いではないんだろう?」


 本当に初めてフリードリヒと出会った、一番最初の世界線でアンブロシアーナは一目で恋に落ちた。それは目に見える部分がアンブロシアーナにとって理想の男性だったからに違いない。


 しかしもうアンブロシアーナは何度もフリードリヒの二面性を目にして、苛立ちや恨み、憎しみも経験した。今、彼に抱いている好感は外見のみではなく、目的に対してどこまでも一途に熱心で、自分を殺してまで進み続ける危うい内面に対してだ。支えたい、守ってやりたいと思ってしまう。


 幼くして母を喪い、この窮屈な王宮で育ち、齢20で魔人の国へ送り込まれた彼がいくら不憫であっても、魔人らを欺いたことは決して許されることではない。だが、ぽつぽつと蘇る小さな記憶の残滓の端から端まで王子様を演じていた彼に、今は哀れみと愛着を懐いている。


 自分を殺して、本心を隠して、他人にとって理想の人格を演じ続けるのはどれだけの苦痛が伴うのだろう。アンブロシアーナは、自分がこれまでしてきた我慢などとは比べ物にならないと感じた。


 言いたいことも言えず、自分が自分であることに誇りも持てず、座り方すら気を遣って生きる彼にアンブロシアーナはようやく視線を上げる。すると、自分の髪よりもよっぽど熱そうな眼差しが降り注いできて、思わず息を飲んだ。


「嘘なんてついていない。本当に、心から愛している」


 まるで演技とは思えない声音と瞳に目眩がしそうだ。しかしアンブロシアーナはその瞳から目を逸らさない。逸しては、また流されてしまいそうだった。


 ――フリードのことは、わたしがちゃんと幸せにする。きっとそのために、魔導書はわたしに答えてくれたんだから。


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