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セーニョの先で見ている  作者: トシヲ
それは四百四病の他というもの
14/62

06

 退屈な日々が続いていた。アンブロシアーナを誘うべからずという新しい決まりができると、それはあらゆる事に適用されて次々にやる事が無くなっていった。


 魔人の国にいた頃はまだ大人にはなっておらず、アンブロシアーナは椅子に座って勉強をするか、ダンスや歌の稽古、他の貴族から届く便りに目を通して返事を書いたり、なんらかの儀式に出席したりして毎日を過ごしていた。


 魔人の国で王位継承権は血筋ではなく魔力の質や強さ、人柄、ある程度の知力を持つ者に与えられる。

 騎士などを経て魔王になる者も入れば、圧倒的な力を持って生まれ落ちた赤子に魔王となるための教育をし、即位させる場合もある。

 アンブロシアーナは王位継承候補から外れて生きてきたため、公務というような公務はそれほどなく、ただ何者かに連れ去られて人質にされぬように大切に守られて生きてきた。


 魔王の娘であることもあり、平均的な市民に比べればそこそこの力を持つアンブロシアーナだが、争い事を好まず、今後力を得られるような素質もない。いずれは誰かしらの妻になり、のんびり暮らすのだと疑わなかった。そのため王族としてやらねばならないことが何なのか、未だわからずにいる。


 何をすべきなのかわからないアンブロシアーナは、稽古事やサロン、オペラに顔を出していた。しかしそれらが完全に無くなったことで、時間ばかり余ってしまうようになった。


 アンブロシアーナに魔人の国から届く便りは既に封が切られて検閲が済んだ状態で、返事の内容も事前に決められた文章を自分の筆記で書き写さねばならない。

 手紙の返事を考える時間すら奪われてしまったアンブロシアーナがすることと言えば、窓を開けてどこからか聞こえてくる貴婦人の歌を聞いたり、出かけても良い範囲をぐるぐる歩き回る事くらいだ。


 フリードリヒは遠方の領地の視察団の報告書を読んだり、書いてある数字をあれこれと計算をしたり何か書いたりと、どうやらアンブロシアーナにはよく分からない職務で忙しいようだった。朝晩しかゆっくりと話したりはしないが、彼は一つ前の世界よりもアンブロシアーナの様子を見に、何度か部屋へ戻って来ていた。


 時々、アンブロシアーナが行けなかったサロンで王女たちが飲んだ異国の茶や菓子、時にはちょっとした工芸品などを彼は土産に持ってくる。彼が見聞きした面白い話をしてくれたり、今ではそこそこ好きになったピアノの音楽を奏でてくれる。それが今、アンブロシアーナにとって唯一の楽しみになりつつあった。


 ――フリード、そろそろ会合終わる時間かな


 人間の国の聖書を置いて窓から外を見下ろす。すると予想通り、外を歩く彼の姿が見えた。


「あれ?」


 部屋に帰ってくるものと思っていたが、彼がまっすぐどこかへ歩いて行くのが気になり、アンブロシアーナはその後ろ姿をじっと観察する。


 ――エレアノーラさんと逢瀬でもするのかな。


 ちくりと胸が痛むが、盗み見てしまった手紙の内容が面白かったことを思い出すとどんな女性なのか好奇心も湧いてくる。


 ――遠くから少し見るだけ……不貞を働く方がよっぽどいけないことだし、別に邪魔をしたいわけじゃないのだから、良いよね


 己の重ねる所業に罪悪感はあるが、退屈さと好奇心が強く勝って、アンブロシアーナはうんうんと自分に頷く。


 部屋のドアから出て廊下を歩いて外に出るのでは、きっと見失ってしまう。アンブロシアーナは下に誰もいないことを確認すると、ぴょんと窓から外へと飛び出した。


 脆弱な人間ならば怪我をするか場合によっては死ぬ可能性も否めないが、魔人のアンブロシアーナはふわりと静かに着地してフリードリヒの後を追いかける。


 石像や噴水を超えて、茂みをかき分けて進むフリードリヒに迷いは見えない。衣服に枝が引っかかって切れてしまわぬように気を付けながら進んでいくと、茂みの向こう側には古びた石柱や枯れた花壇が並び、そして石で作られた板状のものが一つ地面に刺さっていた。


 それが墓だと気付くまでにそう時間はかからない。石の板を手で撫でるように、優しく汚れを払うフリードリヒの姿にアンブロシアーナは息を呑む。


 ――だめだ、わたし。来ちゃいけない場所だった。逢瀬だなんて勝手に疑って、しかもはしゃいで最低。戻らなくちゃ


 茂みの中を戻ろうと踵を返した刹那――


「アン」

「ひっ!」


 呼ばれたことに驚いて振り返ると、フリードリヒが手の甲で自分の口元を隠して笑っていた。


「そんなに驚かなくても」


 思いがけないフリードリヒの声にアンブロシアーナは慌てて、コルセットが窮屈なのも堪えて、深く深く頭を下げた。


「ごめんなさいっ! わたし、あなたの後をつけるような真似をしてしまって」

「それは良いんだけど、窓から飛び降りたのかい? 危ないよ」


 しっかりと誰にも見られないようにと確認したはずだというのに、フリードリヒには後頭部にも目玉がついてるのだろうか。


「み、見てたの?」

「いや、つけられてるなと思ったのが、丁度部屋の下を通り過ぎた後だったから」


 全てバレていた恥ずかしさにもじもじと俯いていると、再びフリードリヒの柔らかい声がアンブロシアーナの名を呼んだ。


「アン、こっちにおいで」

「うん……」


 ゆっくりと足を進めて墓石の前で一礼してからフリードリヒの横に立つ。その墓石に文字と思わしき情報は何もない。


「えっと……どなたのお墓なの?」

「僕の母親だよ。前王妃の」


 まさか、と思わず心の中で声をあげる。王妃のような身分にしてはその墓はあまりにも質素に見えた。墓石に名すら刻まれていないそれが、まさか王妃の墓とは信じがたい。まるでその存在自体を否定しているかのようにすら思えた。


「母は廃位になったんだ。それからすぐ、僕が9歳になると病で亡くなった」

「……わたしもご挨拶をして良いのかな」

「ああ、きっと喜ぶよ」


 アンはしゃがんで目を瞑り、祈りを捧げる。手向けの花も無く申し訳ないこと、息子であるフリードリヒを付け回してここまで来てしまったことを詫びた。


 廃位の理由について、アンブロシアーナは問うことができなかった。このような質素な墓を、人目につかないような場所に作られてしまうようなことなのだ。問えるはずもない。


「その……お義母様は、どんな方だったの?」


 廃位の理由の代わりに人柄についてを恐る恐る訪ねてみると、フリードリヒの見守るような視線がアンブロシアーナから墓石へ移る。その横顔に悲しいだとか、寂しいというような感情は見えない。


「優しい人だったよ」


 アンブロシアーナは家族を喪う悲しみをまだ知らない。だが一度、目の前でフリードリヒが毒を飲んだ時に感じた気持ちを思い出して、きつく締め付けられるように痛む胸に手を当てた。


 彼を喪ったその後の記憶は無く、今こうしてフリードリヒと共にいるアンブロシアーナには、きっと想像できないほどの大きな孤独感があっただろうと思うと、じわりと目頭が熱を帯びた。 


「大丈夫?」

「ごめんなさい……寂しかっただろうなって、思って」

「……まあ、そうだね。寂しかったけど、今は君がいるから」


 肩抱き寄せられても、アンブロシアーナの頭に過るのは公爵家の令嬢エレアノーラの名前だった。母親を喪った彼を笑わせたのは彼女に違いないのだ。彼女が愛されて当然だと強く思う。


「好きだよ、アン」


 ――ごめんなさい、ごめんなさい、お母様の前でまで嘘を吐かせてしまって……。わたしがフリードリヒを幸せにしないと……でも、どうしたら……。

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