03
魔人たちが城門の前でドラゴンから降りると、浴びせられる人間たちの強張った視線や声に騎士団長が嘲るように鼻で笑った。
「これはとても歓迎ムードには思えませんな。妃殿下の言うとおり、人数を減らして正解でした。誰も彼もが我々に慄いていらっしゃる」
わざとらしく肩を竦めてみせた騎士団長の言葉に同調するように兵たちがゲラゲラと笑うと、何か楽しいことがあるのかとドラゴンもにっこりと目を細めて舌を垂らした。
「皆、あまり人間を挑発してはだめ。あなたもお口を閉じないと、人間に牙をもがれてしまう」
ドラゴンの顎を押して口を閉じさせると、ぴゅうと可愛く鼻を鳴らされて別れが寂しくなってしまった。
アンブロシアーナは犬も猫も鳥もドラゴンも同じくらい愛おしいが、幼い頃から共にいるこのドラゴンは特に好きだった。
「騎士団長以外は皆ドラゴンと共に一旦森に待機していて。人間たちは無抵抗のドラゴンに平気で石を投げるのだから。騎士団長は彼女と共にわたしの護衛を。明日の挙式の終わる正午にあなた達はまた彼らを迎えにここに来なさい。野営を命じること、深くお詫びいたします」
「アンブロシアーナ様の仰せのままに。森で一日中宴なんて、むしろのびのびできて安心ですよ」
「妃殿下、どうかお幸せに」
「我らが始祖、エドワード様のご加護がありますことを」
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どの世界線でもほんの些細なことをきっかけにいろいろ未来が変わっているようだった。アンブロシアーナの記憶では、結婚は全て人間の国から申し出があり、それを魔王が承諾してからだ。
しかしその時期はどれも違い、アンブロシアーナが嫁ぐかフリードリヒが嫁いでくるかにも違いが出る。
そして今も、アンブロシアーナの髪をセットする世話係が手に持っている髪飾りが違えば騎士団長のヘアスタイルも少しだけ違う。
肝心なことは全く思い出せないのに、いざ目にしたものがなんとなく以前とは違うと気付くことが度々あった。
カーペットの上を騎士団長に後ろを守られながら歩き出す。前回と違うのは、身に纏った白いウェディングドレスだ。以前の世界線では知らずに黒のウェディングドレスを着用し、散々文句や陰口を叩かれてしまった。
「見て、あの髪の色。恐ろしいったらありゃしない」
「お気の毒ね、フリードリヒ様」
ドレスの色で驚かせ、式の間だけは全ての人間を黙らせていた前回の世界線とは違い、今は髪の色について文句を言われている。
外見に対する批判には未だ馴れないが、聞こえないふりをして、アンブロシアーナは表情一つ変えずにただ歩いていた。
――あれ?
アンブロシアーナがようやく足元ではなく正面の方を見ると、そこにいるフリードリヒは黒色の礼服に身を包んで微笑んでいた。
ベール越しにもその微笑みが少し困っているのが見て取れる。
魔人の国の婚姻の儀式では永久の幸福を始祖エドワードに、人の国では繁栄を神子セオドアに祈る。アンブロシアーナは嫁ぐ身であるため白のウェディングドレスでセオドアの方に祈りを捧げるつもりでいたのだが、フリードリヒはなぜか魔人側に合わせて黒の礼服に身を包んでいた。
「はじめまして、美しい魔人の姫。僕はフリードリヒ。フリードと呼んでほしい」
「はじめまして、殿下。わたしはアンブロシアーナです」
「わざわざ人間の国に合わせて白色を選んでくれたのかい?」
「ええ、あなたは魔人に合わせて黒を?」
「これから夫婦となるのに、初対面からすれ違ってしまったね」
クスクスと笑っているフリードリヒにアンブロシアーナは笑い返せない。今は優しく朗らかでも、後で何か気に食わないことでもしたら本性をさらけ出すに違いないのだ。
気の毒な人間の国の王子を魔の手から守るためか、普通の挙式と違い誓いのキスは無い。
どの世界線でもアンブロシアーナはそれに安堵していた。初対面の男とキスをするのには抵抗感があったのだ。
美しい装飾の施された馬車に乗り、お披露目のパレードというものが始まる。アンブロシアーナにとってはこれはただの見世物だった。最も大きな南の城門を出た後に民衆の奇異の視線を集めながら市街を通り、西の城門へと帰るのだ。
パレードの間はただ愛想笑いを浮かべて手を振っていれば良いのだが、笑顔が長く続くわけもない。何度時間を遡っていても今のアンブロシアーナはまだ14歳の少女で、歓迎されないことを、例え婚姻の前から知っていても悲しみが和らぐことはない。
――早く、終わらないかな
そう心の中で呟いた刹那、とんとんと軽く肩を叩かれて視線を民衆から逸らす。
肩を叩いたフリードリヒはこれまで何度もアンブロシアーナが騙された優しい笑顔を浮かべていた。
適当な慰めの言葉など欲しくはないと身構えていると、ゆっくりとフリードリヒの手がアンブロシアーナの肩を抱くように背中に回った。
振り払うわけにも行かず、言うことを聞かずに騒ぎ出す心臓を落ち着かせようと視線を少し下げる。
髪を結い上げたせいで赤く熱くなっている耳が晒されているのが恥ずかしいのに、フリードリヒはその耳に顔を寄せた。
「集まっている人の方は見なくていいよ。城に着くまで僕を見ていて」
「でも」
「嫌かもしれないけど、これから僕がすることをどうか許して」
何をするのか確認もさせてもらえないままフリードリヒの腕に力が入ると、アンブロシアーナは突然のことに抗う事もできないまま頬へキスをされてしまった。
その直後から観衆から届く声に好意的なものが混ざり始める。顔を真っ赤にしたままフリードリヒに身を預けていると、指笛のようなものまで聞こえるようになった。
「嫌だったかい?」
「べ、べつに、そんなことは」
「それなら今度は額にしても?」
「でも、人がたくさん見てる……」
「見せつけているんだよ。僕が可愛い花嫁と共になれて、この世で一番幸せ者だとみんなにわかってほしいんだ」
嘘だとわかっているのにアンブロシアーナはフリードリヒを拒絶する事ができず、結局小さく頷くことしかできない。
フリードリヒの手を頬にそっと沿えられて、アンブロシアーナはぎゅっと目を瞑る。
何度も彼と夫婦になっているが、思い出せる限りでキスは一つ目の世界線の最後に毒を飲まされそうになったあの時以来初めての事だった。
額に優しく触れる柔らかいもの、ざわっと広がる歓声、黄色い声にいつの間にか先程まで抱いていた悲しみが薄く消えかかっていた。
「もうじき城に付くよ。よく頑張ったね」
どれもこれも嘘で空っぽのはずの言葉だというのに、アンブロシアーナは安堵を覚えてしまう。それは癖のようなものかもしれない。何度恨み憎しんだところで、アンブロシアーナは初恋を忘れる事などできないのだ。