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これまでの世界線では、全くと言っていいほど誰かを傷付けてしまうような力の使い方を学ばなかったアンブロシアーナが、真剣に護身術を身に着けたいと言ったのに驚く者は多かった。
もともと魔王の娘として素質、才に恵まれているアンブロシアーナが、むしろこれまでそれをして来なかった方が妙なことだったのだが。
騎士のように武器を手に取るのではなく、アンブロシアーナは得意な炎の魔術の練習に励んだ。
蝋燭や紙の類に火を着けることはもともと、物心ついたときから出来ていた。盾の代わりに炎を纏ったり、その温度の調節をすることに慣れるまでさほど時間はかからなかった。
――人間なんて、この炎を見せただけできっと怖がってしまう。本当はこんなふうに脅かしたりなんてしたくないけど、でも仕方がないよね……
憎しみが薄れたわけではない。ただ、フリードリヒの父親である王と、一度だけ顔を合わせた伯爵夫妻がにこりと柔らかな笑顔を向けてくれたことを思い出すと心が痛んだ。
しかしあのフリードリヒという人間の演技には、思い出せる限りでも既に二度騙されている。
決めつける事は良くないとは思うが、アンブロシアーナはそれまでの経験から自分に対して危害を加えてくるのは、ほとんど皆が人間だと知っている。特に、最初の世界線でアンブロシアーナを殺そうとしたフリードリヒには気を許してはならない。
――わたしを殺すなら毒か、もしくは水に沈めてからって情報も知られているかもしれない。
誰かに殺意を向けられるのには、未だ慣れることができない。
アンブロシアーナにできることは、少しでも得た力を思いのままに扱える強さを手に入れるための努力だけだった。
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一つ前の世界線よりも少し遅く、アンブロシアーナが人間の国に嫁ぐことになった。14歳だった。
時間を遡っている自覚を持ってから2年。己の力を高める努力を重ねたアンブロシアーナが魔人の国から旅立つのに、護衛の数はこれまでの世界線よりもかなり少なくなっていた。
騎士団長と数人の兵、地理や天候の専門家と生まれた時から世話、教育係として側にいるドワーフの女性……皆それぞれよく訓練され懐いている若いドラゴンの背に乗り、高い地上へと浮上する。
「妃殿下、本当に白色のドレスをお召しになるのですか? 幼い頃はあれほど黒のドレスに憧れていらっしゃったのに」
「黒色を着たら、きっと人間は驚いて、怖がってしまうもの」
「まあ、なんてお優しく慈悲深い。そして聡明でいらっしゃいます。それにしても式が終わったら魔人の国へ帰れだなんて、妃殿下は冷たいですわ。わたくしはずっとあなた様のお世話係を続けとうございます」
「いいえ、わたし、あなたにはこれからも魔人の国でお母様とお茶を楽しんで欲しいの。人間どもの下で働くなんて、考えるもの嫌」
人間の国に嫁いだ世界線でひどい扱いを受けたのはアンブロシアーナだけではなく、世話係もだった。たった三日で心を病んでしまったのだから相当酷い目に合わされたのだろう。
それを知っていて、アンブロシアーナは彼女を人間の国にいさせる気になどならない。ただ、一人で着るのが難しいウェディングドレスだけ着せて髪を整えてくれたらありがたいと思い、一時的に側にいてもらうことにしたのだ。
人間の国側も城内で雇う人員に魔族を取り入れることには抵抗があったらしく、訪れた使者に護衛や使用人らはすぐに帰らせると伝えた時は、皆が安心したような顔だった。
「ですが……妃殿下はお一人で心細くはないのですか?」
「……うん、わたしは大丈夫。時々お便りを書くから、みんなもお返事書いてね」
さっそく泣き始めてしまった世話係に苦笑する。泣きたいのはアンブロシアーナも同じだった。心から、拒めるものなら拒みたいと願い続けていた。
しかし行くとなれば、それは受け入れるしかない。アンブロシアーナはもう二度とフリードリヒには騙されず、そして人間の姫たちにも良いようにはさせない。そう心に誓うのだった。