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いい人卒業試験  作者: 山田匡徳
9/23

「ここだよな」

 塚原は金曜の夜八時、飲み屋街の盛期に飲み屋街から少し離れた公衆場に来た。

「おお、塚原くん」

 塚原と鈴木はすぐにお互いを認識した。

「今日は一体何を?」

 鈴木からは場所と日時だけを伝えられていた。

「君には最終目標に至るまでにメンタルを鍛えるためににここに来てもらった」

「飲み屋街とそれとどういう関係が?」

「塚原くん、君は他人のことを信じすぎている。それに他人を思うあまり気を遣いすぎている。君はたかが客引きにも同情してしまうだろ」

 それ故に以前、知らない店に連れていかれそうになった。塚原はうなずいた。

「赤の他人の頼みを断れないようじゃ身内の頼みを断るなんて無理だ」

 まずは飲み屋街の客引きを当たり前のように断れるようにしろってことか。

「わかりました。でも鈴木さん、僕怖いんです。またあそこを歩くと思うと」

 鈴木と初めて会ったときの茶髪の男の恐怖は鮮明に覚えていた。

「安心しろ。客引きに連れていかれそうになったら俺がすぐに飲み屋街の入口に連れ戻す。ただ、独りでできるようになるまで試験には合格させないからな」

 もう後には戻れない。


「では塚原くん、このルートを通って焼き鳥屋『谷岡』まで行ってもらおう」

 鈴木は一枚の地図を渡した。

 焼き鳥屋は、様々な飲み屋が並ぶ一本道を通り抜け、その先にある杉山食堂に来たところで右折し、更にまっすぐ歩いてたどり着く。

「道としては単純だが、数ある客引きをうまくスルーして行くのは君にはなかなかの難易度だ。まずは俺と一緒に行こう」

 塚原は一まず安心した。この街を独りで行けば、また以前のようになるかもしれない。

「塚原くん、しっかり俺の横を歩けよ。少しでも俺から離れればあいつらは君を狙ってくる」

 塚原はうなずいた。


 二人で歩いているとさっそく一人の男が近づいてきた。

「お兄さんたち、お二人ですか?」

「はい」

 鈴木は目も向けずに早歩きで去ろうとしていた。塚原も黙ってついていく。

 しかし、男はしつこく離れようとしない。

「これから飲み放題いかがですか?今なら安くしておきますよ」

「いや、けっこうです」

 鈴木は低い声で答え、更に歩を進めていく。

「お兄さんじゃ話にならないな。そちらの優しそうなお兄さんはどうですか?」

 男の目は確実に塚原の方を向いていた。

 塚原は立ち止まった。今、この男は自分に話しかけている。頭の中では鈴木についていくとわかっているはずなのに身体は止まってしまった。

「いや、僕は……そうだな――」

「何している。おばさんたちが待っているだろ。早く行くぞ」

 鈴木はイライラしたような声で塚原の手を引っ張った。

「法事があるので無理です」

 にらむように鈴木が男を見ると男も黙って去っていった。

「まだ甘いな。立ち止まったらこちらも逃げにくくなっちまう」

 鈴木は早歩きしながら塚原に語った。

 塚原は頭をかいた。なぜ立ち止まった。言われたことはわかっていたはずなのに。

 客引きはその男にとどまらなかった。

 鈴木に話しかけた者はすぐに諦め、塚原に声をかけた者は鈴木が間に入ると諦めた。

 

 鈴木に連れられ、杉山食堂の前で右折し、あっという間に焼き鳥屋に着いた。

「やっと着いた……」

 塚原は既に精神的に疲れていた。

「どうだ、できそうか?」

 塚原は首を縦にも横にも振れなかった。

 初めて杉山食堂へ行こうとしたときにはわからなかったが、こうも客引きが多いとは。

 鈴木がいてもまともに対応できなかったのに独りではどうなってしまうのか。

「そうか、怖いか。よし、一旦さっきの場所へ戻ろう」

 鈴木と塚原は来た道を引き返した。

「絶対俺から離れるなよ」

 塚原は鈴木の見えない手をつかむように鈴木だけを見て一本道を通り抜けた。

 行きと同様、客引きが声をかけてきたが、塚原の耳は鈴木だけに傾いていた。


「塚原くん、怯えることはない。向こうは条例違反の客引きをしているんだ。そんなに強く出ることはできない。しかし、店に入っちまったらあらゆる屁理屈をつけてぼったくってきやがる。だからなんとしてもあいつらを振り切って目的の店まで行きたいんだよ」

 客引きが違反だとわかっていてもなお心のつっかえが取れなかった。

「鈴木さん、正直な気持ち話していいですか?」

 鈴木はまっすぐ見つめてきた。

「いいぞ。ぞの方が俺としてもやりやすい」

 塚原はため息をついた。

「あの、さっき歩いていたとき思ったんです。断られたときの客引きの表情がすごく悲しそうで残念そうで……なんかかわいそうに思えてきました」

「なぜ、あいつらに同情する?」

「いや、よくわかりませんけどそう思ってしまって」

 鈴木は腕を組んで何か考えているようだった。

「もう少しその気持ち、俺に教えてくれるか?」

「はい。断ったときの表情が辛そうに見えて、行ってあげればよかったかなって思ったし、舌打ちされたときには嫌な空気になっちゃったなって思って。いや、本当はこう思わない方がいいですよね。バカなお人よしですよね」

 塚原は乾いた笑い声を出した。鈴木の表情は変わらなかった。

「気持ちはわかる。よくわかる。でもな、世の中には柔和な表情で近づいたかと思えば刺される、そんな詐欺であふれているんだ」

 わかっている。詐欺というのはそういうものだと。

「あいつらがやっていることは紛れもなく自分の利益のためだ。それに条例違反でもある。同情することなんてない。そのことを胸に刻んでおけ」

 塚原はうなずいた。自分に言い聞かせていかなければ――。

「塚原、大丈夫だ。万が一危なくなりそうだったら適当な理由つけて俺が引っ張っていくから。だけど絶対に店に入るという意思表示をするなよ。口頭とはいえ約束を破れば面倒なことになるかもしれない」




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