⑤
塚原はいつものように宮山から仕事を頼まれ、後輩二人と残業していた。
頭からは先輩たちの陰口が離れなかった。陰口の伝書鳩になるつもりなど毛頭ないが、それでも気遣いの一つでもしなければという使命感にかられた。
彼らの気持ちは自分にもわかった。
まだ自分が新人のころ、皆が早急に仕事を終えていく中、自分だけが迷い迷い仕事をこなすことに罪悪感を感じ、せめて時間だけでもと残業をしようとしていた。
結局、上司に反対され定時帰りが定着し、仕事も人並みかそれ以上に落ち着いてきたと思っていた。そこに想像以上の無能の社員が塚原に仕事を託すことに味を占め、塚原は再び残業するようになった。
断ればいいのに。それが簡単にできれば鈴木のことなんて頭の片隅にもないのに。
普段一緒に残業しているものの後輩たちと話すことはない。事務的な会話はするもののプライベートで話したことはなかった。
塚原も決してコミュニケーションが得意なわけではなく、年下との会話を苦手としていた。
だが、陰口を聞いた以上何もしないわけにはいかなかった。
席を立ち、後輩の一人のデスクに向かった。
「神田くん、大丈夫?結構残業してるけど」
神田はいかにも人付き合いが苦手というような態度で、「え」や「あ」という音を発していた。
「大丈夫です。僕の仕事ですし、なんとかできます」
「よかったらやる?」
「いえ、その必要はありません」
彼は宮山とは対照的だ。人に頼ることを覚えていない。
「そうか……」
次に、今川の方に身体を向けた。
「今川くんはどうする?もう帰っていいよ。後はやっとくから」
「いえ、自分でやります」
「……わかった」
塚原はそれ以上何も言えなかった。自分は都合のいい人間ではあるものの自分から仕事を受けることはなく、人に言われて初めて利用されてきた。
なんとか善意を表明することができても「結構です」と断られてしまえばそれまでの話であり、それ以上は人のために動くことができなかった。
後輩二人は何を思っているのだろうか。意外と居心地はよかったりするのだろうか。昼間と違い、誰にも叱られずできる今の時間は彼らにどう映っているのだろうか。いくら昼間よりはいいとはいえさっさと帰って趣味に時間を使いたいだろうに。
ここはいっそ上司に彼らを帰すよう誘導してもらおうか。しかし、自分にそこまでの影響力があるとは思えない。それに上司から何か言われたらたまったものじゃない。
自分は今の「いい人」のポジションでいれば上司たちの悪口のターゲットから逃れられるだろう。谷澤以外の敵を増やすのは塚原の心を押しつぶすようなものだ。
残業し、陰口を言われている二人に心を痛めた。しかし、あと一歩のところで踏みとどまってしまった。
「今月の全部署総合商品企画は谷澤くんと塚原くんが担当だ。二人とも難しいこと考えず、各々の思う商品を発表してくれ。もちろんふざけ過ぎて白けさせることのないようにな」
塚原の会社では月に一度、商品企画部を除く各部署から二人が選出され、各々の望む商品をプレゼンすることになっている。
この会議は、誰でも製品を売り出す機会を作りたいと考えた社長によって始まった。しかし、実際に製品化が実現した例は少なく、伝え聞くところによると過去に三件しかないという。
商品開発の候補は会議で一つに絞られるが、その後採用されるかは企画部の裁量に委ねられる。
子どものころから自分の商品を出したいと願っていた塚原はこの日を待ち望んでいた。
まずは候補に絞られたい。そのため、以前からどのようなものが売れるかを考え、自宅で商品の構想をしていた。
昼の時間を使い、構想をまとめて文章にする作業をしていた。
「何だ。もうやってるのか?」
谷澤が塚原のパソコンをのぞきこんでいた。
「はい。前から考えていた奴の続きです」
「ふーん。そんなの通ると思ってるんだ。過去に実現した商品なんてほとんどないぞ」
谷澤の見下しに言い返したくなるのを我慢した。
「それは知ってます。谷澤さんは何を考えたんですか?」
「言うまでもないよ。こんなの本気になる方がバカだ」
谷澤には熱意が感じられなかった。
当日、塚原は谷澤とともに会議室に入った。
中にはそれぞれの部署の座る席が用意され、既にいくつかの部署の二人分の席が埋まっていた。
徐々に席は埋まり、商品企画部長の挨拶で会議は始まった。
「これから7月の全部署総合商品企画会議を始めます。今月も例によって皆さんのすばらしいアイデアをお伺いしたいと思います。我々商品企画部も他部署の皆さんの案を参考にして商品を作らせていただいておりますのでよろしくお願いします」
過去に一度、商品をプレゼンしたもののあえなく没になったため塚原はこの日のために気合を入れていた。
「それではまず、営業部の皆さんからお願いします」
各部署の代表者は各々の望む商品を発表していた。皆、どれも美味そうなアイデアを出していくが、企画部はあまり明るい表情を浮かべていなかった。
ありがちな商品はもちろん、実際の製造の先行きが見えないのが原因か。とうのもあくまで他部署が説明すべきはおおよそのイメージとそれに対する熱意であり、皆ざっくりと説明するにとどまっていた。
そして、塚原の順番になった。
「これから私の企画商品について発表させていただきます。私が、今回製品化希望をするのはタピオカチョコです。タピオカという言葉に既に皆さん、ピンときたかもしれません――」
塚原は考案したタピオカチョコを力説した。流行の分析、原価と利益率、商品のイメージと熱意をアピールした。ずっとためこんでいたものがスッと出され、やり切った思いで席に座った。
一方の谷澤は他の社員と同様、おおよそのイメージを説明したものの熱意は感じられなかった。
全ての発表が終わり、塚原は谷澤に続いて会議室を出た。
「塚原くん。プレゼン頑張っていたようだけど多分無駄だと思うよ」
谷澤は自分の全てが気に入らないのだろうか。
「どうですかね……」
塚原は愛想笑いをした。努力したと言えばまた嘲笑が降りかかる。
谷澤に否定され、内心では落ちこんでいた。
会議では同じタピオカ商品をプレゼンする者もいた。アイデアだけなら皆負けず劣らずの商品を考案していた。
塚原は感情を自分の資料に向けた。資料はくしゃくしゃの紙になった。




