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いい人卒業試験  作者: 山田匡徳
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「来ないの?」

「はい。ちょっと用事があって」

 塚原が入社した年の第二回目の飲み会では、若林は幹事からの誘いを申し訳なさそうに断った。

「あっ、そう」

 幹事の表情と声は冷たいものだった。断れば、あの冷たい態度が自分に向けられる。塚原は仕方なく飲み会に行くことにした。


「今日は若林くんはいないのか?」

 課長補佐の加藤がキョロキョロと見まわしていた。

「来ないらしいです。あれぐらいで飲み会来ないなんて社会人じゃないですよね」

 谷澤が酌を取りながら言った。

「全く。俺らの頃には全員飲めや飲めやで洗礼を受けていたのにな。ゆとりってもんだ」

 谷澤と加藤の会話は塚原の正義感を害するものだった。しかし、断れば次は自分がターゲットにされると思うと何も言えなかった。

 二人の声は大きかった。だが、二人に異議を唱えるものは一人としていなかった。

 それからの飲み会は、できるだけ嫌という気持ちを抑えて参加し、時には嫌いな酒も無理して大量に飲んだ。


 入社して一年、塚原に衝撃が襲いかかった。

 若林は会社を辞めてしまった。詳しい原因は知らされなかったものの同期が推測するには彼は鬱病を発症したらしい。彼は飲み会を断る以外に関してはごく自然に見えていた故に衝撃は大きかった。彼は自分の知らないところでいくつもの不安をためこんでいたのだろう。

「ごめん、気づけなくて」


 若林は飲み会後の初出勤の際、塚原が家まで送っていったことに礼を言ってきた。それをきっかけに二人は少しずつ話すようになり、くだらない会話もするようになった。だが、お互いに悩みを共有することは一度もなかった。飲み会の件は頭の片隅にあったものの「彼から話しを切り出さなければそれでいい」と自分に言い聞かせ、目を逸らしていた。


 塚原は飲み会に対して様々な思いを抱えていたが、断れるはずもなく

「はい、行きます」

と言わざるを得なかった。

 塚原は久しぶりに若林のことを思い出し、暗い気分に包まれた。

 何がしたくて飲み会なんて行くのだろう。

 ふと、塚原はあの男を思い出した。

 若林が谷澤にされたことは胸に刻まれている。あのとき嫌われるのを恐れなければ、堂々とダメだと言えれば済んだはずなのに。

 「いい人」をやめたい。塚原にその意思ははっきりとあった。でもあの男が悪い人だったら……。

 今、彼に相談するのは無理だ。でも、ほんのわずかでも今後彼に会う可能性があれば――。


「乾杯」

 社員一同はグラスを上げた。

 偶然にも塚原の隣には谷澤が座った。

「おお、塚原くん。今日は飲めるかな?」

 無邪気に見える谷澤だが、日ごろの行いや若林への陰口が頭から離れず、谷澤をまともに見ることができなかった。

「ええと、少しなら」

「少しと言わずに」

 谷澤は塚原の意見などお構いなしというように酒をグラスいっぱいに注いだ。

 塚原は断りたかったが、彼らと円滑に過ごすことを選んだ。嫌いな酒の味がいつも以上に染み渡る。苦い顔を抑え、ちびちびと飲んだ。

 感情が揺れたのは飲み会が始まってしばらくのことだった。

 塚原、谷澤周辺のグループの話題は学生時代の部活の話に移っていた。

「矢沢くんはテニスやってたんだ。あれ、みんなは部活何してたの?」

 最年長の谷澤は腕をテーブルに乗せながら聞いた。

「私は美術です」

 塚原の後輩が答えた。

「ああ、美術。何、キャラの絵とか描いてたの?」

「いえ、そういうのはあまりなくて。主に風景画をやってました」

「ふーん。美術ってアニオタの奴が行くんだと思っていた」

 谷澤が見下しているように聞こえるのは、以前、オタクをバカにした発言を耳にしたからだろう。

 後輩は何と言っていいかわからないような表情をしていた。

「長田くんは?」

「自分は野球ですね」

「ああ、いかにもって感じするね」

 谷澤は塚原の顔を見た。

「塚原くんは?」

「えっと、バスケしてました」

「バスケ?塚原くんが?」

 谷澤はおもしろいものでも見るような顔をした。

「ああ、そうなんだ。全然見えないけど。ほら、塚原くんっていかにもオタクみたいな顔してるじゃん」

 なぜそれを言うのか。谷澤は悪意の塊だ。

 塚原はバスケ部員だったことに誇りを持っていた。確かに自分はいかにも運動部というような見た目をしていないが、それをわざわざ言う神経はどうかしてるとしか思えない。


 気分を害したのはそれだけではなかった。

 塚原のグループに加藤が来た。

「谷澤くん、注いでくれ」

「はい、今すぐに」

谷澤はしっぽをふるように機敏に動いた。

「みんな、楽しんでるか?」

 楽しんでるわけがない。

 塚原は仕方なくうなずいた。他の社員も作り笑顔を返した。

「加藤さん、いつもの話してくださいよ」

 谷澤は媚びるように言った。

「おっ、聞きたいか」

 加藤はグラスを置いた。

「君たちのやる気を上げるために俺の前社時代の話をしてやろう。俺は前の会社にいたころ営業部に所属していたんだ。まあ文具とか売ってる会社さ。業者相手にしたり個人相手にしたりといろいろあった。ある日、後輩がアパートの一室から出ていくのを見たんだ。同じ営業部の奴さ。俺はそいつが客を一人獲得したのかと思った。そこで俺はそいつに意地悪してやろうとしたんだ。後輩が見えなくなったのを確認してから俺はその部屋を訪問した。『すみません。三洋文具(さんようぶんぐ)のものです。少しお話してよろしいですか?』と言ったらその部屋にいたおばさんはやすやすとドアを開けた。俺らにとっちゃいいカモだよ」

 いくら辞めたとはいえ、それが客に対する言葉か。

「『奥さん、先ほど三洋文具の者がお訪ねしませんでしたか?』って聞いたらその後輩から買ったって言ったんだ。俺はおばさんに五百円渡した。なぜだと思う?」

 加藤はニヤニヤしながら塚原たちを見渡した。

「俺はおばさんに言ったんだ。おばさんにこういう体でいてもらうって。まず、おばさんが気が変わって返品しようとしてたまたま俺を見つける。そこで、俺はおばさんに売りこみ結局買ったことにする。つまり俺の業績ってわけだ。で、俺は報告したんだ。たまたま返品しようとしたおばさんを説得したって言ったら上が認めてくれよ。そのときの後輩の顔って言ったらありゃしねえ。真偽確認しようとしてもう一度おばさんを尋ねたんだけどそこで五百円が効くわけだ。ああ、思い出してもあいつの顔は未だにおもしろいな。君たちにも見せてやりたかったな」

 塚原は会費をテーブルに置いた。

「僕、どうしても外せない用事があるので先に失礼します」

「おお、お疲れ」

 醜い二つの顔面が繕うかのように笑顔になった。

 

 


 



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