㉓
来る日になり、塚原は心臓がいつもより大きく響いているのがわかった。
今までは自分の知らない人間が相手だった。今日は敵次第で今後の自分の立場が変わるかもしれないのだ。
鈴木は十日分の証拠を各日二枚ずつそろえていた。宮山はパチンコ漬けで、十日の内九日間はパチンコ店で、一日はショッピングモールで買い物をしていた。
「鈴木さん、ありがとうございます」
写真を見せた鈴木に塚原は礼を言った。
「あいつが育児と嘘をついたのは明白だ。あとはお前の追いつめ方次第だ」
鈴木は盾を用意してくれた。あとは宮山の剣を盾でカウンターするだけだ。鈴木は証拠以外は全て塚原に任せた。
塚原は一つの作戦を思いついた。
「塚原くん、今日も仕事頼まれてくれるか?」
宮山の声からは申し訳なさを感じられなかった。
「いいよ。今日は家に行って何をするんだ?」
「何って……育児だよ?いつも通り」
「そうか。わかった」
「じゃ、よろしく」
宮山は塚原の肩を叩くとそそくさと帰っていった。
塚原は宮山の姿が見えなくなったのを確認すると宮山の仕事をかばんに入れ玄関へ行った。
パチンコ店の方へ数分歩くと宮山が前方に確認できた。ここでパチンコ店へ入る瞬間を捕らえても効果が薄いのはわかっていた。
「宮山くん、こんなところで何してるんだ?」
宮山は塚原の顔を見るとビクッと身体が震えた。
「あれ、塚原くん。俺の仕事は?」
「家でやるよ。それよりなぜこっちに来てるんだ?家はあっちだよね?」
塚原はパチンコ店と反対の方に顔を向けながら言った。
「え?あれだよ。ベビー用品を買いに行こうと思って」
白を切るつもりなのだろう。
「そうか。どこで?」
「どこって……今から調べるよ」
宮山の怒りが声からわかった。思わぬ展開にほら吹きも動揺を隠せないようだ。
「調べてないのに家と反対方向を歩いてたんだ」
「別にいいだろ。そんなこと」
宮山はスマホを少しいじるとポケットに入れた。
「ああ、俺は大和屋に行くよ。じゃあな」
「ちょっと待って。僕も行くよ」
「え?何でついてくるの?」
厄介者から逃げたがっているような宮山の顔を見ても塚原は怯まなかった。
「いつも家事、育児のために仕事を引き受けてるからそれくらいさせろ」
宮山は諦めたようにうなずくと歩き始めた。塚原も後に続いた。
大和屋で宮山が買ったのは乳幼児用の米入りのスープと粉ミルクだった。塚原は菓子袋を一つ買った。
「家で食うのか?」
宮山は塚原のレジ袋を見ながら言った。
「違うよ。宮山くんの家へのお土産だよ」
「は?」
「これから宮山くんの奥さんにも挨拶しようと思って」
宮山は納得がいっていないように見えた。
「挨拶だけだから」
「……まあ、それくらいならいっか。あっ、でも何も用意してやれねえぞ」
塚原は笑顔でうなずいた。
宮山がインターフォンを押すと宮山の奥さんが出た。
「お帰りなさい。お客さんですか?」
「俺の同期だ。挨拶があるって」
「こんばんは。いつも育児に大変な奥さんにこれを」
塚原は菓子の入ったレジ袋を渡した。
「すみませんねえ。夫と違って気が利きます。よかったらコーヒーかお茶の一杯でもいかがですか?」
「あっ」
「ではお言葉に甘えてお茶を頂きます」
宮山の声を遮るように言った。塚原の口角はわずかに上がった。不満そうな宮山に気づかないふりをして部屋に入った。
塚原は奥さんの近くで立った。奥さんが宮山から呼び出される前に話を切り出さなければならない。
「すみません、奥さん。いつも家事、育児が大変なのに」
「いえ、全然。まあ夫は手伝ってくれませんけどね」
奥さんは笑って答えた。これを狙っていた。
「あれ、宮山くん。いつも家事、育児で忙しいんじゃなかったっけ?」
宮山は小声でイヤイヤと言った。
「いや、やってるよ。ほら、今だっておむつ替えてるし」
「おむつって……あんた一日十分も育児してないでしょ。私に任せっきりで」
宮山と奥さんはかみ合っていない。
「どういうことだ?君はいつも家事、育児のために僕に仕事を頼んだわけじゃないのか?」
「どういうこと?」
首を傾げる奥さんに塚原は詳細を話した。
「えっ、あんたそんなことしてたの?迷惑ばかりかけてすみません。でも何で嘘ついてたの?……まさか浮気?」
奥さんは急須を置くと宮山に詰め寄った。
「違う。浮気は断じて違う。これだけは本当に信じてくれ」
宮山は手を横に振りながら必死にアピールした。
「宮山くん、いい加減認めてくれ。家事、育児なんてしてなかったって。ずっと僕を騙してたって」
宮山は歯を食いしばって塚原を睨みつけた。
「家事、育児のためっていうのは嘘だ。すまない。でもな、俺はまともな理由のために塚原くんに仕事を頼んでいたんだ。信じてくれ」
「まともな理由って?」
少しの沈黙の後、宮山は口を開いた。
「俺、実は退職を考えていてな。それで退職するためにここ二か月毎日喫茶で資格の勉強をしていたんだ。すまない塚原」
塚原は勝利を確信するとともに宮山の人格に失望した。
「じゃあ、これは何だ?」
塚原は既にコピーした写真を数枚床に落とした。
宮山は慌てて写真を拾った。顔が青ざめていた。奥さんは写真を宮山の後ろから見た。
「これ、三丁目のパチンコ屋じゃない。あんたずっと行ってたの?ここに」
宮山は無言で床に座りこんだ。
「浮気じゃないのはわかったけど……あんた塚原さんにも嘘ついていたんだ。私にも」
奥さんは塚原以上に失望しているように見えた。
「塚原くん。これからは改心するからどうか上には報告しないでくれ。資格っていうのも全くの嘘だ。今から転職すれば給料はもっと低くなる。頼む、妻と子どものためにも」
宮山がそう言うと奥さんも深々と頭を下げた。塚原の正義感に小さな火が灯った。
「奥さんは謝る必要ありません。頭を上げてください。安心してください。宮山くんが退職するようなことにはさせませんよ。その代わり、今までの償いとしてしばし彼には働いてもらいます。宮山くん、ちょっと来てくれ」
奥さんは頭を上げるともう一度頭を下げた。
塚原が手招きをすると宮山がついてきた。玄関で塚原は立ち止まった。
「これから僕の頼みを聞いてもらおう」
「なんでも……俺のできることならなんでもします」
宮山は申し訳なさそうに敬語を使った。
「まず一つ。今後一切僕には……いや、僕含め社員には自分から仕事を頼むな。もし人に押しつけたら……わかるよな?」
「はい、わかりました」
宮山は伏せている目を上げて答えた。
「そしてもう一つ。僕の社内改革に協力してもらおう。ちょっと外出て」
二人は玄関を出た。外に出ると鈴木が腕組みをして立っていた。
「鈴木さん、宮山くんを連れてきましたよ」
「君が宮山くんか。まあ俺は見ているだけだから塚原と話し合ってくれ」
鈴木はニヤニヤと笑いながら言った。
「あれ、この人は?」
宮山は訝しげに鈴木を見つめた。
「いろいろ縁があって僕に協力してくれている鈴木さんだ。実は鈴木さんに促されて僕は社内改革をすることにした。会社にとって害悪な人間を制裁するわけなんだけど……それはまた今度でいいや。時期が来たら協力してもらう」
「えっ、それって俺にもできることですか?」
宮山の小声に塚原はうなずいた。
「鈴木さん、先行ってください」
「わかった」
二人きりになると塚原は拳を握りしめた。
「育児も家事もしてないってどういうつもりだ」
「すみません。これからは真面目にやります」
「悪くもないのに頭を下げた奥さんを見て何も思わないのか?」
「いや、思いました。これからは妻のためにも頑張って、皆に仕事を押しつけないようにします」
塚原は去ろうとして立ち止まった。
「奥さんを悲しませるなよ」
風に押されるように階段を下りた。




