②
布団に潜りこんだがなかなか寝つけない。
もし、今日鈴木に連れていかれなかったら貴重な三千円がどぶに捨てられていた。いや、下手すればもっと高額を請求されたかもしれない。
あのとき周りには若い男は何人もいた。その中であの茶髪の男が声をかけたのは自分だけだ。自分では説明できないようなオーラが出ていたのだろうか。
「昔からこうだったよな……」
自然にため息をついた。
塚原は小学校時代を思い出した。
高学年にもなると生徒それぞれが係の役割を任せられるようになった。係を担うのはクラスの半分に過ぎなかったので志願者が募られた。
仕事の少ない係はすぐに志願者が名乗り出たが、最後に誰もやりたがらない「先生係」が残った。「先生係」は担任教師のあらゆる雑用が任されるためどの生徒も名乗りたがらなかった。
「やりたい人」
教師がそう呼びかけても皆目を伏せるばかりで塚原もそれに合わせた。
「誰かがやるから自分はやらない」
言葉がなくてもそう言っているのが伝わってきた。
塚原は一人葛藤していた。手をすっと挙げられれば話は終わる。
「先生、手を挙げてくれるとうれしいな」
それは塚原だけに言ったものではないとわかっていた。だが、自分がやらなけらばという使命感にかられた。
「おお、ありがとう。みんな拍手」
塚原の挙手に大きな拍手が届けられた。
自分は必要とされている――。
塚原が役割を引き受けるのはそれに留まらなかった。
生徒同士でもマイナーや役割を引き受け、その際に言われる礼がはじめは気持ちよかった。しかし、多くの人と関わっていくうちに違和感を抱くようになった。
しばらくすると塚原が何も言わずとも
「塚原くんならやってくれるよね」
と言われるようになり、その言葉には引っかかるものがあった。
塚原に近づく者はそれだけではなかった。
募金や勧誘は街を歩けば声をかけてきた。断るに断れず、したくもない募金をしたり、仕方なく話を聞いたりと街を歩くにも一苦労していた。
この街にはしばらく行かない。そうすることでできるだけ勧誘を避けようとしたが、時には声をかけられると数千円で済むなら早くことを終わらそうと行く予定のない店に行くこともあった。
断ればいいだけ――。
わかっているのにそれをできない自分がいる。
塚原はそんな自分を思い出したが、鈴木を信用できるわけではないので試験を受けようと思えなかった。
断ればいいだけ。自分が気を付ければいいだけ。これからできるようになればいいんだ。何も得体の知れない人間に頼ることはない。
塚原は再び寝つけるよう努めた。
「塚原くんは飲み会行くっけ?」
昼休憩が始まるとすぐに先輩の岡島が声をかけてきた。岡島は飲み会の幹事だろう。
飲み会なんて断れるものなら断りたい。
入社して初めて参加した歓迎会には全新入社員が参加した。
はじめはお客様の雰囲気で酒を飲んでいた。しかし、酔いに促されたのか係長の谷澤が「一気飲みチャレンジ」と称して、新入りの一人に一気飲みをさせ酔いつぶれるまで飲ませると言った。
「誰かやってくれる人?」
塚原含め新入りは皆苦笑いをするしかなかった。
一気飲みの恐ろしさは既に耳にしていた。死亡者が何人も出ているのは説明するまでもない。
「誰か名乗り出てよ。俺たち先輩は毎年やってきたんだから。ゆとり世代だからってやらないのは先輩許さないぞ」
おちゃらけたように言うが、谷澤からは棘が抜け切れていなかった。
またあのときのように手を挙げなければいけないのか。塚原は葛藤していた。
「僕、やります」
伏せていた顔を上げると同期の若林が手を挙げていた。
「おっ、度胸あるね。こっち来て」
若林は硬直した表情で谷澤に向かって歩いた。
おい、若林くん――。
名乗り出た若林にわく先輩の声に気圧され、塚原は声が出なかった。
「はい、これ」
若林は谷澤から酒を受け取るとグイっと飲み干した。
「よし、もっといっちゃうか」
若林は吐くような動作をしたが、すぐに次の酒をのんだ。
「いいぞ、その調子だ」
谷澤以外の他の先輩も止めるどころか盛り上げようとしていた。
止めなければいけない。そうわかっているのに声が出ない。
「あれ、大丈夫?」
何杯か飲んだところで若林はへたへたと座った。うつむき、身体が動かない若林を谷澤は茶化すように見つめていた。
なぜ笑うんだ。一体何がおかしいというのか。
「その辺にしとけ」
一人の先輩が止め、ようやく「新入りの洗礼」は終わった。
「若林くん、どうする?」
若林を送り届けるにも住所がわからず社員一同は困惑していた。塚原は若林の肩をやや強めに叩いた。
「大丈夫?一緒に帰れる?」
反応しない若林の肩をもう一度叩いた。すると若林はゆっくりとうなずいた。
「住所言える?」
「うん」
ようやく若林は口を開いた。
塚原は若林に言われた住所を頼りに目的地を探した。若林はぐったりとしながらも歩いていた。これ以上言葉を発せないというようだった。
「あんなの参加しなくていいよ」
塚原は誰もいない前ではそう言えた。自分が情けなかった。所詮年下は彼らの言いなりになるしかないのか。
若林はポケットから鍵を取り出してドアを開けた。床に膝をつけると四つん這いで歩いた。ここに来るまでよっぽど踏ん張って歩いていたのだろう。
塚原はすぐに部屋を出ようとした。
「ありがとう」
振り向くと若林が背を向けたまま止まっていた。
塚原は何も言わずに出ていった。




