⑭
塚原は二度目の飲み屋街歩きをすんなりと終えた。街中の無数の通行人に溶け込み、客引きの声は雑音に聞こえた。
「おお、冷たい人になりきれてるな」
鈴木からは「冷たい人」になれと教えられた。人が大勢いる場所では他人が倒れていても素通りしていく。自分は特別ではない。素通りしていく人間の一人だと思え。
「鈴木さんのおかげですよ。考え方が変わったと思います」
塚原はやっと「普通の」人と同じスタートラインに立てたことに少しの自信がついた。
「所詮赤の他人なんてそんなものさ。よし、塚原くん。第一回目の試験はこれにて無事合格だ」
「よかったぁ。慣れるといけるものですね」
笑う塚原に対して鈴木はもの言いたげな表情をしていた。
「……どうかしましたか?」
「いや、別に。ただこれからの試験が本番だからここで気を抜かれてはと思ってな」
そうだった。最終目標は会社を、いや、そんな大げさなものではないが自分の部署を変えることだ。
「それではいよいよ職場でも『いい人』を辞める試験が始まるってことですか?」
「そうだ。ただ、パワハラやセクハラを告発したりそのための人を集めるのには時間がかかる。まずは塚原くん個人の敵と闘うのさ」
個人的な敵――真っ先に浮かんだのは宮山だ。
「そうですね」
「確認しておくが、君に仕事を頼む奴の名前と間柄を言ってくれ」
「はい。まず一人目が宮山です。僕の同期なのですが、彼ほど僕に仕事を頼んだ人間はいません。しかも動機は育児のためと偽っておきながら実際はパチンコのためでした。僕はそれを知って以来、彼を許せなくなりました。しかし、あんな彼とはいえ僕は素直に断れないんです。たとえあんな性格をしていても同期は同期。彼と関係が面倒くさくなれば他の同期との関係も崩れやしないかと心配しています」
鈴木は塚原の話を聞きながらメモを取っていた。
「二人目が松下です。今まで一度も僕に仕事を頼んでこなかったのですが、ここ最近になって躊躇なく押しつけてくるようになりました。恐らくですが……宮山の影響が考えられます」
「どうして?」
「彼も僕らの同期です。彼と宮山はよく話し合っているところを見ます。だから悪知恵を吹き込まれたんじゃないかと勝手に想像しています」
「なるほどね」
「あとは……たまにですが後輩の山本が仕事を頼んできます。ですが、さっき言った二人に比べれば大したことはありません。……なめられてるとは思いますけど」
塚原がそう思うのは彼らの態度が原因だった。塚原が他人にものを頼むときに感じられる申し訳なさが彼らからは伝わってこないのである。
「ターゲットは今の三人でいいか?」
「はい」
「わかった」
鈴木はメモ帳をバッグにしまった。
「まずは宮山に痛い目見せてやるか」
「宮山からですか?」
予想外だった。てっきり比較的断りやすい相手から断ってメンタルを鍛えていくものだと思っていた。
「理由は簡単。一番そいつが釣れやすいからだ」
「まずは証拠つかみだ。塚原くんは至って今までと変わらないようにいてくれ」
塚原は鈴木に言われた通り「いい人」を演じ続けた。案の定宮山も松下も近づいてきた。
「悪いね。妻が早く帰れってうるさくて」
「俺も頼んでいいか?」
「いいよ」
嘘だとわかっていながら引き受けるのは気分の悪いものだ。
全ての仕事を終え、スマホを見ると鈴木から不在着信の履歴があった。
「もしもし」
「塚原くん、安心しろ。宮山の証拠はばっちり押さえたぞ」
「本当ですか?」
「ああ」
塚原は拳を握って掲げた。
「どんな証拠ですか?」
「待ってろ。今そっちに送るから一回通話を切るぞ。確認したらまたかけてこい」
通話が切れ、メールの受信音が鳴った。
鈴木からのメールを開いた。紛れもない。宮山が会社から出る写真、パチンコに夢中になる写真、そしてパチンコ屋から出る写真だ。それぞれの写真には鈴木の腕時計も一緒に入っており、それぞれ五時九分、五時三十二分、七時八分と写っている。
再び鈴木に電話をかけた。
「もしもし。見ましたよ。証拠ばっちりじゃないですか。これを宮山に突きつければ――」
「いや。君の性格では無理だ。恐らく宮山って奴はそう素直じゃないだろう」
鈴木の声は冷たかった。
「無理ってどういうことですか?こっちには証拠があるんですよ」
「甘いよ。今まで何も言えなかった人間が一対一で証拠を突きつけたところできっとこうなる。『俺がサボったって言うのかよ』と言われたら君は何と言う?」
何も言えなかった。模範解答は頭に浮かんでいるはずなのに今までの自分はそれが言えなかったんだ。宮山に何か言われたら怯んでしまうだろう。
「そ、それなら鈴木さんがバックについてくれませんか?」
「それじゃダメだ。俺はあくまで独りで闘う君をサポートするだけだ。部外者の俺が出る幕ではない」
「そんな……。じゃあどうすれば?」
「俺に作戦がある」




