⑪
「また先越されちゃいましたね」
二度目の集合場所には先に鈴木が来ていた。
「来たな。今日で一回目が終わるといいがな」
「一回目?」
「ここの飲み屋街以外にももう一つ同じような場所で挑戦してもらう。一回クリアしただけでは少し心配だしな」
今日乗り越えなければ先はない。まぐれで声をかけられなければいいという話ではないようだ。
「鈴木さん、今日クリアしてみせますよ」
「おお、頼むぜ。普通にさらっと断ればいいんだ。君さえできれば客引きなんて無視しろ」
無視か。皆どのような心境でそうしているのだろうか。
「堂々とやれよ。俺がいるから」
「ありがとうございます。頑張ります」
再び夜の街へ踏み出した。
頼むから関わらないでくれ。
「お兄さん、ちょっと女の子と飲みませんか?」
女性の客引きが声をかけた。
「いや、けっこうです」
歩を進めながら断った。
まずは意思表示から入れ。鈴木の言葉だ。
「あ、はい」
女性はすぐに塚原の視界から消えた。
本当は無視できるほどの度量があればいいにだが、その域には達していない。
「今、半額キャンペーンやってますよ。どうですか?」
無表情な男が声をかける。
「いや、けっこうです」
背中から舌打ちが聞こえてきた。なぜ舌打ちをする?何か悪いことをしたか?周りを見渡せば声をかけられすらしない人間の方が多いのに。
「お酒一杯飲みましょうよ」
「いい人」は誰からも狙われるようだ。
男のなめたような表情に塚原の抑えていたものがプツリと切れた。この男は、自分のことを声をかければのこのこついてくるようないいカモと見ている――。
塚原は触れない程度に払いのけるような仕草をした。
「なんだよ」
客引きは虚をつかれたような反応をした。そのセリフは自分が言ってやりたかった。
その怒りは続いた。
「飲み放題どうっすか?」
無視をした。反応するのもバカらしくなった。――あれ、何も言われない。それに今までできなかった無視を初めてした。
人が人でないように見えてくる。
「焼き鳥どうですか?」
また無視した。何も起こらない。確かに客引きからは笑みが一瞬で消えた。だけどすぐに笑顔がまた別の人に向けられる。自分への笑顔は二度と来ないだろう。でも、これが普通なのか。当たり前のように通る歩行者は皆これが普通として生きてきたのか。
塚原は自分を縛っていたものから解放された。客引きの声が雑音に変わり、前の人に当たらないようにだけ気をつけて歩いていった。
杉山食堂の前で右折をし、更に歩を進めると「谷岡」の二文字が見えた。
着いたんだ。客引きに捕まらずに。近寄らないようにするほど恐かったのに。
「よくやった」
鈴木がいた。歩いていくうちに鈴木の存在を忘れていた。
「言っただろ。こんな奴ら大したことないんだよ。それを他の人たちはずっとやってきた」
大きな達成をしたつもりだった。そうではない。やっとスタートラインに立てただけだ。
「塚原くん、途中でちょっと怒ってなかったか?」
鈴木が笑って聞いた。
「なんでわかったんですか?」
「こんな風に払いのけてただろ」
鈴木は手を振って塚原の真似をした。
「ああ、あれは……イラっときましたね。顔から悪意が溢れていました。その前にも断っただけで舌打ちされましたし、それまでの怒りが抑えられなかったんだと思います」
「変な奴もいるからあんまり客引きや勧誘を怒らせない方がいいが、見ていてスッキリしたよ。一皮剝けたようでよかったぞ」
「ありがとうございます」
塚原は背伸びした。こんなことで喜んでいては「普通」の人間に笑われてしまうが、鈴木だけは大きく称えてくれた。
「谷岡行こうか。俺が知っている数少ない良心的な店だ」
メニューを見ると他店舗より明らかに安い値段で売られていた。
「ちょっとこれ大丈夫ですか?安すぎて心配なんですけど」
「大丈夫だ。この店にはもう十回くらい来ている」
塚原は店員を見た。少し近寄りづらい雰囲気があるが、焼く姿は真剣そのものだった。
「見た目で判断してはいけないけどああいうまっすぐな人間っていいよな」
見た目で判断してはいけない――客引きにも見た目で判断されたのだろう。それはもう変えようはない。
「よし、今日はこれで終わりだ。もう一つ別の場所ですんなり歩けたら合格だ」
鈴木は満足そうだった。
「今夜は俺のおごりだ」
「いや、いいですよ。自分の分は払います」
人に頼ることは苦手だ。
「いいって。人の好意は素直に受け取っておけ」
断ろうとする塚原を鈴木は遮った。鈴木に礼を言うとじっくりとメニューを見た。




