8 腕時計
週明けの学校かえり、高等部の門をでたところで、ユウにつかまった。
根津たちが一緒だったので、大騒ぎだった。
ユウはさんざんはやし立てられて楽しそうに笑っていたが、
「御免ねみんな、夢をこわしちゃって…。あたし、冴の従姉妹なの。…カレシは田舎にいるわ。こういうのじゃなくて、もっとほっとできるような感じの人よ。」
と、最後に一激死を仕掛けた。何しろ、ユウも美人なので、いとこだと言われて、皆、信じた。ちなみに血のつながりはただの一滴もない。
「…冴、これ返すわ。」
ユウは鬢の髪を耳にかけて、必要以上に女っぽい仕草で、冴の左腕に直人の時計をはめた。男子高校生のギャラリーをからかっているのだ。まったくしょうのない女である。
…直人の時計は、悪縁を絶つおまじない入りのはずだった。
「ああ、そういえば…このあいだ借りたヤツを返そう。鏡も。」
冴はふと、藤原につけていたお守りを思い出して言った。
「あれね…まあ、念のためしばらく持ってていいわよ。鏡だけ返してもらおうかな。」
冴はポケットから鏡を出してユウに返した。
「…件の筋から詫状がきていた。」
ユウは何も答えずに鏡を受け取って、ただぽんぽんと冴の胸をたたいた。そして根津たちににっこり手を振って帰って行った。
「…おまえ、あんな美人といて、なんともないの?」
須藤が訊ねた。
「ぼちぼち生まれたときからいるから、別になにも。実はけっこう美人だったんだな、と気がついたのもごく最近だな。…それにあれは怖い女だぞ。」
「…おまえやっぱり…」
「…わかったわかった、そういうことでいい。」
…冴は最近はめんどくさいので、万事これで済ませている。
「…よくないだろー」
と、立川がいってくれたが、黙ってナデナデしておくにとどめた。
あいかわらず、藤原は立川に眉をひそめている。だが、先日の一件で冴とのあいだに完璧に勝敗がついてしまったので、我慢しているようすだった。
…だから喧嘩するのいやなんだ、と冴は思う。藤原も立川くらいストレートに文句をいってベタベタ甘えてくれればいいのに、と思うのだが、一度あれだけ圧倒してしまうと、藤原的にはもう、冴は「怖い人」なのだ。何をするにも勇気が必要なのだろう。
ユウのいうとおり、たしかに冴は、「てきとうにやる」ということができない。
「…その時計、なに。」
「…このあいだ、貸したんだ。時計がこわれたとかいうから。…紳士ものだが、ないよりいいだろ。」
冴はすらすら嘘をついた。そして最後に本当のことを。
「…親父がしてたやつなんだけどな。」
根津が言った。
「…そういえば、月島の親父さんの話ってあまり知らないな。…なくなったばかりなんだよな?交通事故ってきいた。」
「…ああ。」
根津は少し考えてから静かに言った。
「…どんなとーさんだった?」
冴はしばらく考えて、そして言った。
「…そうだな、元気で破天荒な男だった…かな。」
ふーん、と根津は言った。
他は誰も、なにも聞かなかった。
+++
家に帰ると、陽介がすぐに帰って来た。二人でおかえりただいまとイチャイチャしていたら、陽介が冴の左腕に気がついた。
「あ、時計。戻ってきたんだな。」
「ええ。さっき水森に渡されました。」
「…似合うよ。」
陽介はそういってニコニコ笑った。
「…俺、こういう金属バンドの時計はめてる男の手首、好きなんだよね。なんか、俺的にはすごくセクシーなの。」
そして冴の手をとって、甲にそっとキスした。
…さぞかし親父はあんたにとってセクシーな男だったんだろうな、と思ったが、ひがんでるみたいでいやだったので、すぐに努力してその考えを忘れた。…どうせもういない男だ。この時計もすぐに「直人の片身の時計」から「冴のしてる時計」に変わるだろう。
冴は微笑んで、その手で陽介の顔をなでてやり、前髪を指で梳いてやった。
陽介は満足そうに黙って、おとなしくじーっとされるがままでいた。
…カワイイ。
「…陽さん、むらむらして来た。…ドーナツでも買いに行きませんか?」
「…ムラムラすっと、ドーナツくいたくなるの?冴は…。かわってるね。」
「そうじゃなくて、ムラムラを忘れるために。…歩いて行きましょう。運動になる。」
「わすれなくていー」
「…節度のないつきあいしていると、焼き滅ぼされてしまいますよ。」
「…そのときは一緒に燃えようね。」
「一緒に燃えてみたところで、痛みが半分というわけではありません。」
「…わかったわかった、ドーナツね。はいはい。…スニーカー出すわ。」
陽介が身を離したので、冴は鞄を拾ってカードケースをだした。…すると小さなノートチップが誤ってバラバラとこぼれでた。陽介が身をかがめて、拾ってくれた。
「ありゃ…何これ、随分かわいい色のチップつかってるね、冴…あっ!!」
陽介は思わずそのノートチップに顔を寄せた。
「!!…冴っ!! …何だよこれはーっ!!」
…そのかわいいチップには『先輩』とタイトルが入っていた。
「あっ…」
「あじゃねーだろ!! なんだよこれーっ!! 読んだのか?!」
陽介はチップをべたっと冴の額に押し付けた。
「…もらったんですけど、…そういえば、忘れてた…。」
「なんでこんなもんもらうんだよ!! 没収!!」
陽介がポケットに突っ込むのをみながら、冴はぼそっと言った。
「…知ってるんですか?」
「文芸部の古典!!」
「こてん?」
「2年前のを延々再版してんだよあいつらはーっ!! とうとうノートチップ版まで作りやがった、昔は紙媒体だったのに…!! …いいかっ、お前は読むな!!ぜったい読むな!!」
「…」冴は意外に思った。もっと全然気にしてないかと思っていた。
「…どうして。…ちょっと読みたいですが。…陽さんのこと、綺麗にかいてあるんでしょう?女の妄想には愛がある。」
「んなもんねーよ!!あるのはただのゴシップ趣味だけ!!」
「…そんなに怒るなんて…。驚きました。ただの悪ふざけじゃありませんか、女子の。」
「やだーっ!! 他の男とやってあんあん言ってんのを、たとえフィクションでも冴に読まれるのヤダ-っ!!」
…そういうことだったらしい。
…冴は後編の『後輩』をこっそり教科のチップに紛れさせて、しまいこんだ。
木曜日の晩に、ひとりでこっそり読もうと思った。
THANX.
20080917 0924