7 週末カレー
いつもよりちょっと帰りが遅くなった。
家に着くと、陽介が縁側にぼけーっと座って、夕日を見ていた。
冴は玄関から入る前に、庭から縁側へ回った。
「陽さん」
声をかけると、陽介は顔を冴に向けた。
「…遅かったね。」
「すみません。…ちょっと見舞いに寄りました。」
「…友達?怪我でもしたの?」
「昨日からクラスに具合の悪いやつがいて。」
「ふーん。…冴、カレーはいつ?」
「時間がかかるから、週末につくりますよ。」
「あっそう。」
そういうと、ふいっと顔を背けた。
…拗ねている。
「…すぐ御飯にします?」
「…いいよ。宿題あるだろ。やれば。」
陽介はそういって立ち上がり、中に入ってしまった。
冴は玄関から中に入った。
鞄を部屋に放り込み、制服を着替えた。
陽介を探すと、2階の部屋にいた。
陽介の部屋は二間続きの広い場所で、半分は和室、半分は洋室だ。洋室のほうに机や本棚があり、和室のほうは床の間がついている。真中で襖を閉めると独立した2つの部屋になる。
陽介は和室のほうで、畳に足を伸ばしていた。
冴が部屋に入ると、
「…猫飼いてーなー…」
と誰に言うともなく言った。
…飼わなくても毎日庭にいれかわりたちかわり猫は来ているのだが、陽介は猫をみつける目がないらしく、いつも気付かない。
「…俺を飼ってるんだからいいでしょう。」
冴は陽介の背中に向って座り、言った。
「…冴は飼ってるんじゃねーもん。」
陽介はちょっと不満そうに言った。
「…冴は…」
いろいろ考えた挙げ句、結局冴を「飼う」以外の表現が見つからなかったらしく、陽介は黙り込んだ。
冴は少し笑って助け舟をだした。
「俺は飼ってるんじゃなく囲ってるんでしたっけ?」
陽介は振り向いてじろっと睨んだ。
「…冴は、…おれのほうが面倒みられてんだもん。」
「…なにかの面倒みたいんですか?」
「…そうじゃないよ。でも、冴だって忙しいんだから、…俺もひとりでいられるようにしなきゃって。…猫、昔いっぱい飼ってたから、猫なら飼える…あいつらいれば、退屈しないし。」
陽介はそういって、ぼんやりと畳の目をなぞった。…さびしくないし、を飲み込んだのがわかった。
…その手を掴んだ。
「わっ、…びっ…くり…した。」
陽介は本当にびくっと怯えて、冴を肩ごしに見上げた。冴はその見上げてきた顔をそのまま残りの手で押さえて、キスした。
「…なんだよ…。」
「ただいまのキスをしていなかった。」
「どうでもいいだろ、別に。」
「よくない。けじめ。」
「…おまえ、なんかまだ怖いんだけど。」
「…俺の火はまだ燃えてるんだろうな。まだもう少し。何もかもが灰になるまで。」
手を放すと、陽介は体の向きをかえて、冴と向かい合って、正座した。
「…おかえりなさいをしてなかった。」
「…いつも逆ですからね。」
冴がにっこりすると、陽介はなぜかおそるおそるといった様子で、冴とそーっと唇を合わせた。
「…おかえり、冴。」
そして、何も起らないのを確認してから、ほっとしたように、冴の胸に身を預けた。
「…なんかどきどきする。怖い。でも、…くっついてると安心。」
「…」
陽介の体は、炎をあげたりはしなかった。…いつもの澄んだ波動が、ふれたところから鈴のようにひびきわたるばかりだ。
「…ねえ陽さん?」
「…ん?」
「…どこも痛くないですか?」
「…べつに。なんで?」
「…いや、なんでもないならいいんですけど、…」
冴はちょっとほっとしたような、がっかりしたような気持ちだった。
けれども、陽介を抱いているときはいつだって心地よいし、…神聖といってもいいような、不思議な光のなかに包まれて、冴はそれだけでも充分に、夢のように幸せだ。
だからまあ、いいか、と思った。
こんな綺麗な光で冴をつつんでくれるのだ。変な火がもえるよりずっといいにきまってる。
「…冴は、その、水森の火に焼かれても、熱くないの?」
陽介が言った。
「ええ、まあ、多少、ちりちりしてイライラする程度。」
「…冴の多少って、なんかハカリシレナくて怖いな。どのくらい多少なんだろうって。」
「…だから、多少。」
「だからぁ。」
二人はクスクス笑って、そのまま畳にごろごろ寝転んだ。
「…冴、ごはんのまえに、俺のことちょっと食う?」
「…いいですね。極上オードヴル。」
陽介は座り直して服を脱ぎ始めた。
冴はしばらくねそべったまま、それを眺めていた。
陽介は自分が裸になると、冴の服をぬがせた。冴の肌があらわれるたびに、陽介は、肌の感触を楽しむように、さらさらと撫でた。冴の肌きもちいーんだよ、と甘えたように言う。冴は陽介が欲しがるだけその肌を許してやった。
「…今回その火で焼かれたやつはどんなやつらなの?」
「…俺を逆恨みしてた占い師、犬か猫かで言えば犬型人間の昼飯仲間、セクハラ教師…俺が把握してるのはその3人です。」
「…そっか。それで燃えなかったのか、俺。」
「…それでって。」
「俺、別に冴に愛されてない不満とか、無視されてる苦渋とか、なんかそういう、恨みつらみ、ないもん。冴いつも俺のこといっぱい抱いてくれるし。…すぐ来てくれるし。…ずっとそばにいてくれるし。…キス好きだし。」
「…セックスもすきだし。」
「…俺もすき。」
冴は陽介を畳にころがして、自分が上になった。
…うらみつらみか、と冴は思った。…藤原のイメージとあまりに噛み合わなかったので、そうは思っていなかったが…。恨まれてたのか、と思うと、なんとなく寂しかった。
「…まるで俺がよそでは人非人みたいじゃないですか。」
冴はそう言いながら陽介の体をさらさら撫でてから抱き、肩や首を吸った。
陽介がちょっと甘えた声で言った。
「…冴、今日どっかで苛めっ子してきたろ。相手はその昼飯仲間?…友達っていえばいいのになんでそんな言い方すんの?…その子、冴のこと好きだったんだと思うよ。でも冴、無視して生殺しにしてたんじゃないの?それでだんだん、余った愛が変質しちゃったんじゃないの?」
…ということは…
「…苛めっ子なんかしてませんよ。」
冴はとりあえずすらすらとうそをついた。…あとで考えよう、と思った。
陽介は目をほそめた。
「冴が、日があるうちに、『くわして』って顔してるときは、血がたぎっちゃったとき。…そういうときの冴、すぐわかる。…目がきらきらしてて、楽しそう。俺が多少腐ってても、平気で押し切ってくる。」
「好きに言ってなさい。…言っときますが、もう日、暮れましたからね。」
陽介は楽しそうに笑った。
「…俺も虐めてよ、冴。」
「…虐めたいですね。あんたが…ユルシテって泣いて這いつくばって懇願するのを…優しく引き起こしてそっと抱いて息が詰まるほどキスして、…そうして、さらにもっともっとひどく責め続けたいですね…。」
藤原が聞いたら卒倒するな、と冴は思った。けれども冴の恋人は、うっとりと潤んだ目で冴を見つめ、そしてその温かい素肌で冴を抱き締めた。
「…冴、今日は、店屋物でもいいよ。」
「だめ。肉をくっちまわないと、腐る。」
+++
今週末こそはカレーを、と冴は考え、念入りにスパイスの種類を頭の中で確認しながら朝の道を登校した。
…山ではめずらしくないのだが、慣れた道を夢中で歩くと、冴は道を「はしょる」ことがある。
とびこえてしまうらしいのだ。父に言うと「それがどうした」と言われるだけだが(父にとっては日常茶飯事だったらしい)、冴にとっては物凄い怪現象だった。
…エリアでそれが起ったのは衝撃だった。U市では一度もなかったからだ。
学校ドームは閑散としていて、早起きの暇な小学生が一人二人いる以外に、生徒の姿はなかった。
…はやすぎる。
それでも仕方ないので、冴は靴を履き替えて、教室に向った。
…玄関が開いてるということは、教師かドームスタッフがもう来ているんだろうな、などと思った。
階段も廊下も、綺麗に清掃されていて、朝らしい明るい光で満ちていた。
教室に入ると、案の定1番のりだった。
かるくため息をついて、鞄からノートを出し、昨日陽介とお楽しみが過ぎてできなかった課題を片付け始めた。
一教科おわったところで、2番手が登校して来た。
ふと顔をあげるとそれは…藤原だった。
「…お早う。…大丈夫か?」
入り口で立ち止まっている藤原に、冴は声をかけた。…藤原をよくみると、何か光るものが左側を守っているのがわかった。いつもどおりだ。
藤原はそこで意を決したような顔になり、つかつかと冴に近付いて来た。冴が手をのばすと、藤原は椅子にすわったままの冴を抱きしめた。
「…月島、昨日は来てくれて有難う。」
…心臓がどきどきしているのが聞こえた。…冴は藤原の勇気が好きだ。
「昨日は邪魔したな。……楽になっただろう?」
「…うん。…そうだ、もう大丈夫だろう、これ、返すよ。」
「ああ。」
藤原は制服のブレザーの前をあけて、水森のお守りを裏からはずすと、冴に返した。冴はそれを受け取った。
よしよしと手をのばして勇気をねぎらって撫でてやってるところに、喋り声が近付いて、次の集団が教室にたどりついた。
「おはよーっ!!」
元気よくはいってきた女子達は、二人をみて塩の柱と化した。
+++
「…おどろいたぞ、月島。おまえ、女とぜったい口きかないと思ったら…そうだったのか。」
…根津に言われるならともかく、須藤に言われると、冴もいささかちょっと問題を感じた。
「いや、誤解だ。…立川だってしょっちゅう俺にだきついてるじゃないか。な?立川。」
立川はくるっと振り返って、手をにぎにぎした。…まだ宿題が終わっていないので、必死なのだ。
あまり仲良くない男子がぼそっといった。
「…まえからちょっと、怪しかったけどな、トイレとかで…。」
月島も須藤も無視した。
「…まあタッチはあれだから、別にいいが…藤原はそういうキャラじゃないだろう?」
「…キャラとかいわれてもな。」
「登校するなりすごい話を聞かされた俺たちの身になってくれ。…なにしてたんだ?」
「…別に。再会を喜びあってただけだ。」
「おまえ昨日の帰り見舞いに寄っただろうが。半日ぶりの再会を抱き合って喜ぶのか?それはニホンの作法じゃねえぞ。…それで藤原はどこに行ったんだ。」
「しらん、ほっとけ。ホームルームまでには…」
冴がそこまで言ったとき、根津が嬉しそうに登場した。
「オハヨ-!」
そしてまっすぐに月島のところへやって来た。
「月島、きいたぞ!!」
「何を。」
「お前、陸橋の南の八百屋に凄い美女つれて行ったんだって?しかもなんかマニアなハーブ買ったって?! 八百屋の親父が俺の制服みておしえてくれたぜ! 何が男子大学生の家主さんだ、お前のカレーの相手はその美女だな?!」
冴は「うわーっ」と思い、比較的素早く言った。
「あの女は(いろいろ端折って言うと)いとこ(みたいなもん)だ。…お前なんだって八百屋なんか行くんだ。ドミで飯出るだろう。」
「古本屋の帰りにトマトが食いたくなったんだ。」
根津が気を使って美女と噂を立ててくれようとしているのはわかるのだが、まちがってもこんな話が陽介の耳に入るようなことがあってはならなかった。
…後ろのほうで、女子がぼそっとつぶやいた。
「…月島くん、サイテ-! 藤原くんのこと、弄んだのね。」
「えっ、なにっ、藤原がどうしたって?!」
「なんでもない、くいつくな!」
須藤が呆れて言った。
「…隠しても時間の問題だぞ、月島。」
…藤原がもどってきたのは、ホームルームがはじまってからだった。
どうしたとたずねる担任に、藤原は
「急性の腸カタル」
と答えた。
…ひらたくいうと、突然下痢したという意味だった。俺様な月島とちがって同情を集めた藤原は、誰からも深くはつっこまれなかった。それはもう、むしろ、誰か下痢止めの薬の名前でも連呼して陽気に盛り上がってやってくれと頼みたいほどに、みんな口をつぐんでいた。
その週のうちに浄化の炎は鎮火した。
大弓も退院したという噂だった。
+++
週末、ついにカレーづくりに着手した。
陽介から、今日はちょっと遅くなると連絡が入っていたので、自分一人の夕食は簡単に済ませて、かなり気張って材料を刻んだ。有線TVのクラシック番組をかけ流して、のんびりとタマネギを炒めた。
煮込みに入った頃に、陽介が帰って来た。おかえりのキスをしてやると、陽介は機嫌よく風呂へ向った。
ほわほわになって上がって来た陽介に、冷たいジャスミンティーを出してやると、それを飲みながら陽介はにこにこした。
「いよいよカレー登場だな。」
「満を持して。」
「ふふふ。楽しみ。」
半分飲んだところで、「あーそーだ」と陽介はたちあがり、少しして帰って来ると、冴に小さな封筒を差し出した。
「…?なんですか、この乙女な封筒は。」
「ラブレターじゃないの?用事があってショッピングセンターに寄ったら、高校生っぽい、可愛いワンピース着た子が駆け寄って来てさ、月島くんにわたしてくださいって。御免なさいってさ。…なんかあったの?」
「! …なんで陽さんに俺宛の手紙なんか託すんですか?」
「あのショッピングセンターでぼちぼち目撃されてんじゃないの、俺達。…冴、目立つからなあ。」
陽介は自分のことは棚に上げて言った。
「どんな女子ですか。」
「だから、可愛い子。…こう、茶色の髪を肩の上らへんで巻き巻きっとして。」
…そういう女子はこの世の中に死ぬほど沢山いる。
「…このあいだ会ったあいつじゃないですか?!」
「…違うと思うけど。ぜんぜん怖くなかったし。」
…ちなみに陽介は、あまり女子の顔に興味をもたない人間で、テレビの女性タレントなども個性的なコメディアン以外はほとんど覚えていない。
冴は食卓の椅子にすわって、陽介の前で手紙を開いた。ここで逃げ隠れしたら、あとで何を言われるがわからないからであって、けっして気を使わなかったわけではない。
手紙の書き出しは、月島くん、迷惑かけてごめんなさい、大弓です、で始まっていた。
+++
「…大弓は昨年、両親が破産してエリア落ちしているんです。…本人はお金持ちの男性と縁があって…エリアにのこったらしいんです。」
「…」
冴は陽介に手紙を差し出したが、陽介は首をふった。
「腐っても、人様宛のラブレターは読まねえよ。」
冴は仕方なくかいつまんで話した。
「…お金持ちの男性とつきあってみたいと…それが子供の頃からのゆめだったそうです。…大弓の家は小さな工場で…裕福なくらしとは縁がなかったと…。親も大弓を玉の輿に乗せて、家から出すことばかりを…ささやかな夢にしていたそうです。陽さんもいうとおり、大弓はまったくブスではなかったので…。この子はきっといい御縁があるはずだと…。無邪気に。」
「…」
「…いわゆる、出会い場みたいなところで知合ったそうです。セックスだけの仲というわけではないが、…正直、こんなおじさんが、こんな恋愛ごっこみたいなことをしたがっているのかと知っていささか驚いたと…。」
「…娘どもだってしたいんだ、オッサンだってしたかろう。まあ、不倫は反対だけどな、一応。」
陽介は憮然と言った。冴は苦笑した。…陽介は庶子だ。
「…親が突然エリア落ちを決めたとき、大弓がそのことを、パトロンにうちあけると、パトロンは必死で大弓をひきとめたそうです。自分が学費もエリア税も生活費も家賃もなにもかも払うからと…。大弓は驚いて…。だってそりゃ、大変な金額ですからね。このおじさんは、わたしが好きなんだとはじめてわかったというんです。…親に初めて、…お金持ちのおじさんに援助をうけていたと打ち明けたところ…親がショックを受けて泣いたと…。」
陽介はため息をついた。
「…うん、まあ、それは…どうかっこつけても、金もらっちまったら、売春だからな。」
「…」冴はうなづかなかった。「…大弓はそのまま両親と別れて…それっきり、家族とは音信不通になってしまったそうです。」
陽介は呆れて言った。
「…なにもそこまでしなくても、なあ。…親はきっと、うちに金がなかったばっかりに、とでも思って…娘にあわせる顔がなかったのかもしれないが…。」
冴は、そうですねとうなづいたが…世の中には、親がセックスしているのに拒絶反応を示す息子がいるのと同様に、娘がセックスしているのに拒絶反応を示す親もいることを知っていた。…だが、陽介に言う必要はないだろう、と思った。
「…さらに大弓を驚かせたのは、おじさんが独身だったことだそうです。」
「…バツイチ?」
「…うちの親父じゃないんだから…」
「…ほんとの独身?」
「…人間不信だったらしいです。事情はいろいろあったらしいですが。」
「…」
「…大弓とも結婚する意思はなかったそうですが…ただ、短い間でも、ちゃんと恋人として愛されたと…。それがわかってからは、とても幸せだったと…。」
「…」
どこかできいたような話だった。…冴は言葉を殊更に選んだ。
「…ただ、お年だったので、持病が悪化して亡くなったらしいんです。…大弓はそのときたったひとりになってしまって、とても辛かったらしいです。…死相がみえてしまったのは本当で、かつはじめてそういうものをみたこともあって…どうしたらいいかわからず、手をこまねいていたら本当に亡くなってしまったそうで。罪悪感を感じて…誰かに相談したくて、死相云々と騒いだと…結局は警察でさらに辛い目にあって…。」
陽介はため息をついた。
「馬鹿だな…。まあ、気持ちは少しわかるよ。…でも直人さん言ってた。『時季が終わって次へ行く』だけだから、学校を卒業するようなものなんだって。手をうったからどうなるってものでもないって。」
…陽介の亡くなった恋人も、本人を含め、周囲に「見える人間」がたくさんいて、最後は本人も周囲も死期をさとりながら暮した。まさにその時期に、陽介は彼とくらしていたのだった。
冴は一つうなづいてから、続けた。
「…その時期に、すべての事柄で、自分が被害者になってしまうような、そういう…暗黒の下降スパイラルみたいな考え方を身に付けてしまったそうです。」
「…」
陽介はますます深いため息をついた。
…そうか、陽さんも、そういう地獄にいたのか、と冴は思った。
「…大弓は昔から少し占いができて、…というか、霊感みたいなものが少しあったそうです。人からたまに可愛いと言われることを除けば、他にさしたる取り柄もないと思っていたので…あとはこの能力をのばすしかないといささか必死だったと…。ひとりでいきていかなくちゃいけないのだから、何かしないと、と思ったそうです。」
「…」
「…それで昼休みの学食で、占い修行をつんでいた、と。そこへ…ある時期から…彼女の言葉をかりれば『騒がしくて子供じみた男子』が集団で騒ぐようになり…傍若無人な彼らは図書室だろうとどこだろうとお構い無しで…『なかにひとり混じっていたちょっと綺麗な子に、援助交際や逆玉をそそのかしていた』と。」
「…そんなことあったの?」
「…冗談なんですよ。あいつらの日々の無邪気な楽しみだったんです。」
「…ちょっとって…すごい負け惜しみだよな。冴は『段違いに綺麗な子』、いや『断然圧倒的に綺麗な子』だよな。」
「…表現はどうでもいいです。」
「…いや、重要。…まあそれはともかく…イライラしたんだね。大弓さんは。」
「…したでしょうね。」
「…勿論、被害者になっちゃったろうね。」
「…そうですね。そこへ…立川の結婚占いです。」
「あーあ。」
陽介はうなづいた。
冴は手紙をめくった。
「…大弓から見ると、5人のうち二人くらいは意思の疎通のできない宇宙人のように見えて…ちなみに、大弓にとっては多くの男子が今はそうみえるそうです。」
「…それちょっとわかる。俺も女は宇宙人みたくみえる。」
「そうなんですか?」
「ウン。」
…こいつの女嫌いは思ったよりずっと重症なのだった。
「…一番話が通じそうに見えたのは俺だったらしいです。」
「…自惚れた女だな…」
冴は聞き流した。…そういう意味ではなくて、多分、冴が微弱に持っている霊感みたいなものを、彼女は察知していたのだろうと思った。
「…立川を励ますのに、大弓を否定するようなことを俺が言っていたと、友人にきいたそうで、とても腹がたったそうです。…誤解です。実際にいったのは根津です。」
「ウン。…伝言ゲームだな。」
「…毎週、マンションの近くのショッピングセンターに、陽さんと現れるのもしっていたと…。」
「…ウン。」
「待ち伏せして話をつけようとしたが…」
陽介はぽんと手をうった。
「無視された…」
冴はうなづいた。
「…憎しみが募って苦しいほどになり…。夜は泣いたと…。…そうこうしているうちに、藤原というやつが、学食で立川の仇をうつ一件がありましてね。」
「…どういうこと?」
「…占い師であれば、夜道の通り魔でなく、夜道の街灯であれと。」
「言ったの?それを?直球で?学食で?」
「そうです。」
「…カッコイイな!! 俺が女ならほれるな!!」
…冴はあろうことか、藤原にまで嫉妬した。
「…大弓は残念ながら、そこでも被害者になったようです。…藤原を憎んだと…。」
「…そうだよな。」
「…夜は一睡もできなかったそうです。神経が逆立ってしまって、いろんなものが見えて大変だったと。」
「…心霊系?」
「…実はその当時すでに俺はその話をたまたま本屋で会った水森に話していたんです。それで水森が俺の守護についていたらしくて。」
「…見えたの?あの怖い女が?」
「…とのことです。」
陽介はげんなりした。
冴は少し言葉を選んで言った。
「…俺はそのころ、恨みをかってたのは大弓だけじゃなかったので、大弓は非常に強気で、勝つ目算もあったと…。ただ、水森だけはおそろしくて、…俺が例の未亡人の噂に悩まされていたとき、これで落ちたら手を引こうと俺のところに謝るように言って来たんですが…」
「…冴は当然無視した、ってわけ。」
冴はうなづいた。
「…水森が俺に浄化の火をかけたのはその直後でした。」
陽介は目を押さえた。
「…悲惨だ。」
「…大弓は全部みえていたそうです。水森が俺に火をかけるのも…その火が…導火線を辿るように自分を追ってくるのも…やがて自分の体が花火のように火を吹くのも…。そのまま教室で気を失ったけれども、どれほど病院で痛み止めをうっても、鎮静剤を打たれても、その火も焼かれる痛みも消えることもなく、大弓は何日も絶叫して焼かれ続けたと…。」
陽介には、浄化の火の実感が今一つない。…多分きいたのが藤原だったら、震え上がっていただろう。…陽介はふうん、と言った。
「…やっと火が消えてみたら、気分がなにもかも変わって、まるで生まれ変わったようになっていたとのことです。…まあ、浄化の火ですから、そうなんでしょう。…それで…多分また俺は無視するだろうから、とどくことを祈ってこれを書いたと。今は藤原の言葉がとても身にしみると。…終りです。」
冴は手紙をたたんで、封筒にしまいなおした。
陽介はそうか…といってしばらく黙っていたが、のこっていたジャスミンティーを一口飲んで言った。
「…冴、大変だったな。…まあ、とりあえず、無事に終わってよかった。」
…冴は黙っていたが、実は例の教師はまだ学校をやすんでいるのだった。
「…一つ思ったんだけど…お前って、女子のこと、そんなに完膚なきまで無視してるの?」
「…ええ、まあ。」
「…挨拶と返事くらいはしたほうが、かえって波風たたない気がする。…俺は高校時代、とっつきにくい男で通して来た。本人にアタックするくらいなら、俺にたくしたほうが可能性があるなどと判断されたのは、正直初めてだ。」
「…」
冴は困った。…陽介は、冴が田舎を出て来た本当の理由が女難だったことを知らない。知らせてはイケナイと、各方面から厳命されていた。…とりあえず、合わせてだけおこう、と思った。
「…そうですね。もう少し気をつけます。」
…にっこりしておいた。
カレーは良い出来で、陽介はとても喜んでくれた。これなら俺ずーっとカレーでもいいよ、などと歯がうくような賛辞を言ってくれた。
冴は嬉しかった。努力が報われると、嬉しいものだ。そして自信作がよい評価をもらうのは、人生のささやかな喜びの一つだ。
…ところで冴は大弓を許すつもりはなかった。
あの女は、冴の、「清らかでかわいい愛しい陽さん」のことを、「いじわるで嫉妬深くてヒステリーな、まるで機嫌のワルイ女みたいな男」と公衆の面前で堂々と言った。
そしてそれを手紙の中で一言も詫びていなかったのだから。
藤原君抱いての事態になったら思う存分邪魔してやる。
…そうかたく決意していた。