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麗人階級 -炸裂妄想未亡人編-  作者: 一倉弓乃
6/8

6 業火

「冴、おまち。あたしを連れて行って頂戴。」

 帰り道でユウにつかまった。

「…あんたの家へいって、久鹿と話すわ。」

「…ちょっと店に寄っていいか。」

「何買うの。」

「月桂樹の葉。…このあいだカレーを作ろうとしたらなくて痛恨だった。」

「そんなもん、そのへんの店にあんの?」

「このあいだ帰り道の八百屋にあった。」

 八百屋に立ち寄ると、「あれっ、今日はまた美人の彼女をつれて…」と驚かれた。いつもよく野菜を買うので、顔見知りなのだ。というか、大抵の人は、冴の顔を一度見ると忘れないらしいのだ。

「この姐御とは田舎が一緒なんです。従姉妹みたいなもんです。」

「そうなんだ?…美人の名産地なんだねぇ、田舎。道行く人はみなうつくしき、なんじゃないの?おじさんをいっぺんつれてってくれよ。」

 ユウはウフフと笑って、いらない林檎を買った。美しいと言われて嬉しかったらしい。よくわからんな、と冴は思った。

 店を離れてから、冴は訊ねた。

「…このへん全然来ないのか。」

「こないわねえ。ドミと往復してるだけだし。飲み会は繁華街だしね。」

「…商店街は楽しいぞ、繁華街より。…どうせお前、山に帰るんだろ、卒業したら。」

「まあね。」

「少しいるうちに歩き回ればいいのに。」

「んふ、そうね。…あたしは帰るけど…あんたは、大学出ても、久鹿んとこでねばっててもいいのよ。別に神社の跡継ぎじゃないんだし、川上女史は自立した女よ。」

 川上というのは母だ。冴は父方の家系に古武道を継承しているので、両親が離婚しても、月島の名前を残すためにそのままでいたが、母は旧姓に戻っていた。

「…」

「多分あの馬鹿はあんたを手許におきたがると思うわ。こういう上級品は、金だけあっても運がなけりゃ決して手に入らないものよ。あいつは育ちがいいから、そのへんのことはよーくわかってるわ。」

 ユウはそういって冴の腕をぽんぽん、と叩いた。冴はその手をピンとはじいた。

「…女だって、美しいと言われる期間はそう長くない。…男はもっと短いだろう。そんなものに人生を賭ける気はないぞ。」

「あらまあ。あんたの親父は別に美形でもなんでもなかったし…まあエエカラダしてはいたけど…、年はあんたのお袋さんと同年代よ?…久鹿はそういうところで相手を選んでいるわけじゃないの。だから心配しなくていいのよ。」

「…以前から一度ききたかったんだが、お前は俺をあそこの家政婦に斡旋するにあたって、親父と陽さんの仲はしっていたのか?」

「…あんたの親父はとんでもなく明け透けな男だったからね。久鹿はわかりやすい奴だし。…もう、隣に立ってるだけで犯してるようなもんだわよ、あれは。一緒に暮してたのはナオト叔父から聞いてたし…となればねえ。…まあ、それでも、本人なりに遠慮していたけどね。遠慮してたといっても、なにしろナオト叔父の基準の遠慮だけどね。」

 …隣に立ってるだけで犯しているような有り様の現場をみなくて済んだのは、仏の慈悲かなにかだったな、と冴は思った。

「…知っててよく斡旋したな?」

「…神さまがそうしろって。」

「都合のいいときだけカミサマ言うな。」

「あらん、ほんとよ?…久鹿が話持ってきたとき、まさかと思ったわ。こんなタイミングよく、こんなことってあるのねって。そういうときは、たいていカミサマのおぼしめしなのよ。」

 冴は短くため息をついた。

「…陽さんも自分の金で俺を養うとなったら、考え方もかわる。今は所詮、親の金だ。」

「…そうね、多分あんたをすぐに稼げる職につけるわね。おもいっきり、連邦軍の上級職とか。いまのところまだコネあるしね。どっかの代議士センセイのボディーガードや運転手くらいなら、明日でも口を知ってるはずよ。冬休みのバイトにどうかってなくらいよ。」

「…センセイ衆はともかく…連邦軍にコネ?」

「そうよ。…自分は親父のコネで企業の閑職でもねらうんじゃないかしら。…あの男は可愛がられたいからツメや牙をかくしてるだけで、本当はかなりのやり手なのよ。」

 …それはあの数学のときっぷりをみれば、多少は見当はつく。だがそれにしたって。

「一度ちゃんと二人で将来のこと話してごらん。馬鹿馬鹿しいロマンティシズムはその数分間停止して、よ?」

 …意外な展望だった。

 二人で連れ立ってしばらく歩くうち、住宅街にさしかかった。

「…そういえばユウ、この鏡だが…」

 冴が胸ボケットから鏡をのぞかせると、ユウは「ああ」とうなづいた。

「…ジュッと焼けたでしょ。…救急車きてたものね。返って来た自分の呪で今頃、満身創痍ってとこ。懲りたんじゃない?意識ではわかってなくても、魂は察知するわ。あたしをみたら震え上がるわよ。」

「…俺の友達が一人反応してる。」

「…だろうね。言ったじゃない、森を焼くって。」

「…予測済みか。」

「あんたに絡んでた糸は一人分とは程遠い量だったからね。」

「…じゃあほかにも…」

「そうね。…久鹿が倒れなきゃいいけどね。」

「…どういう意味だ。」

「…あんたに糸なげかけて、がんじがらめにして、ひっぱろうとしている相手はことごとく焼けるわよ。久鹿があんたの冷たさを呪っていれば、それも返るわ。…まあどうだか、ミモノじゃない。あいつの執着が愛なのかエゴなのかわかるわよ?」

「…貴様…っ」

「あたしはあんたの母親からあんたのこと頼まれてんのよ。周囲があんたになげてくる薄汚い糸なんてすべて焼き尽くしてやるわ。久鹿も例外じゃないわよ。」

「陽さんがいるのは学び舎じゃないだろう!」

「ふふん、言うわね。」

 ユウは髪をさらっと払った。

 家につくと、まだ陽介は帰って来ていなかった。

「あー、遠いわねえ。毎日こんなに歩いてるの?まるで山にいるみたいだわ。」

「…歩かないと豚のように肥えるぞ。」

「あら、素敵な縁側。いい庭だこと。あたしここで待たせてもらうわ。お茶でもいれてもってきなさいよ。」

「…」 

 冴は憮然として台所に立った。

 ユウに茶をだしてから、炊飯器に米を仕掛けたり、夕食の下ごしらえをしたりしていると、電話がかかってきた。…陽介だった。

「あ、陽さん、なんだか遅いから…今日は、何か…急用でも…?まさかお加減が悪いんじゃないですよね?」

「…俺、今、近くのコンビニにいるんだけど、どうしても足が動かねーの。家でなんか起ってる?」

「…ミズモリ・ユウが来ています。」

 それを聞くと、陽介はチッ、と舌打ちをした。

「何しにだよ。」

「…お話ししますから、帰って来てください。」

「…帰れねーって。どうすりゃいいんだよ。」

「…じゃ、お迎えにあがります。」

 冴はユウに声をかけた。

「おい、陽さんが動けなくなってる。」

「…かなり苦しんでた?」

「いや、あんたの気配に警戒して動けないらしい。」

 そういいながら冴は、ちょっとこう…遠慮しろ、と、両手でボール状のものをきゅっと押し縮めるようなジェスチャーをした。ユウは憮然とした。

「やあね、もう。いつまでたっても弱虫ようちゃん泣き虫ようちゃんなんだから。」

「じゃあ迎えに行ってくる。」

 冴は家を出た。


+++

「陽さん、おかえりなさい。…具合、悪くないですか?」

「わっ!」

 陽介は冴が腕を掴むと、びっくりして飛び上がった。

「ああ、冴か。びっくりした。なんか、…怖いよ、お前…?」

「どこか痛くないですか?苦しくないですか?」

「う、うん、それは大丈夫。だけど…ど、どうしたの、冴」

「…水森が俺を浄化の炎で焼いているんです。」

「なんで…?」

「…たくさん糸クズつけてるらいので…。俺に火をつければ、糸を伸ばして来たやつに燃え移るので。」

「えええ、それ絶対俺も燃えるじゃん!!」

 陽介はひぃぃと怯えた。

「…すいません、そこまで考えなくて…」

「…どうすればいいの、とりあえず…アイス買う?」

「…そうですね。」

 二人はコンビニでアイスを買うと、家へ向った。

 家の縁側では、退屈そうにユウが待っていた。

「…お邪魔。」

 陽介はいやそうな顔をした。

「…何なんだよ一体。」

 するとユウはキッ、と顎を上げて言った。

「あんたに冴を紹介してあげたのはだれ?」

「…おまえだけど…。」

「よろしい。」

 ユウは林檎の包みを陽介に差し出した。

「…お土産よ。お食べ。間違いなくビタミン欠乏しているはずの野郎ども。」

「…」皮むかねーとくえないもん買ってくるなよ、とか言わず、黙って陽介はうけとった。…考えてみればどうせ皮をむくのは冴である。

「…実は、冴の色香にいろんな男女がまよっちゃって大変なの。…あんた、未亡人妄想の話は聞いたんでしょ。」

「…ああ、まあ。」

「…あんたはピンとこないかもしれないけど、高等部の2年はその噂でもちきりで、まさに猖獗きわめた状態だったわ。今回は火を付けて浄化をかけたけど、このままだと繰返す可能性が高いと思うの。…それで、お守りをもたせたいのだけど…縁切りといえば、うちの山ではナオト叔父。…あんた、冴にいつも持たせておくのにぴったりな物で、ナオト叔父の遺品持ってない?」

 陽介がピリピリするのではないかと思って、冴はひやっとしたが、陽介はとくにこだわりなく数分姿を消すと、やがてなにかを持って来て、無言で差し出した。

 …古風なアナログの腕時計だった。アンティークなデザインが小じゃれてて、値段の高いものではないのかもしれないが、品のよいものだ。冴も、父が生前それをしているのを見た記憶があった。

「…こんなもん隠し持ってるし。」

「…気に入ってて最後までつけてたよ。なんか貰い物らしい。3回も修理させやがってとか言ってたけど。…」

 いってたけど…、の後に不自然な間が生じた。

「…けど…?」

 ユウが促したが、そのまま陽介は思い出に沈潜してしまった。ユウは冴の顔を見て、「だめだこりゃ」という顔をした。冴も「しょうがなかろう」の顔をした。ユウは仕草だけため息のそぶりをした。

「…じゃ、これ少し預かるわ。あとで冴に渡すわね。…いいわね、久鹿?」

「…」

「いいかってきいてるでしょ、返事しなさいよ、ようちゃん!」

「…えっ、ああ、い、いいよ。」

 陽介はびっくりしてやっと返事をした。

 …冴は何故陽介に火がつかなかったかがなんとなくわかった気がした。


     +++

 …陽介より藤原のほうが自分を好きなのか、と思うと、冴は複雑だった。

 好き、というと語弊があるのかもしれない。多分、悪質な執着の仕方をしている、とか、そういう言い方が正しいのかもしれなかった。なにしろ、呪ってるやつを倒す、返しの呪法らしかったから。

 ユウは、愛とエゴが見分けられるといっていたが…それはどこで境界線を引くものなのだろうか。自分が陽介に対して持っている気持ちにしたって、愛情なのか欲望なのかよくわからないようなときもある。

 …火がつかなかったというのは、つまり、冴に対して悪い執着がないか、そもそも執着そのものがないか、そのあたりなのではないだろうか。

 陽介は冴のことをもしかして愛してないのだろうか、と冴は思った。

「冴~、アイスたべないの?」

「もうすぐ御飯ですよ。」

「あそーか。今日の御飯なーに?」

「…ふろふき大根と養殖ぶりの照焼。水菜のサラダ。林檎。」

「んー。」

 陽介は日没後、寒くなりつつあった縁側の雨戸を閉めた。

 …ユウはとうにドミへ向ったあとだ。

 黙々と食事を作っていると、自分から食器をならべた陽介はそののち、台所どころかダイニングからも出ていった。冴は、あれっ、と思った。いつもならダイニングのテーブルの席で、うっとおしいほどのんびり、新聞でも読みながら座っている。そういう距離感で甘えているのが好きな陽介だ。…母親の百合子が料理しているときも、そうしていることが多い。

 …なんとなく察するところがあった。

 ふろふき大根のタイマーをかけて行ってみると、陽介は2階の自分の部屋で机に向っていた。

 机の上には、小さな箱をひっくりかえした中味が丁寧に並べ直してある。

 …直人の遺品だった。

「…陽さん、」

 呼び掛けると、陽介はぴくっとして、ああ…、と曖昧な返事をしながら、箱にそのがらくたをしまった。…本当にやくたいもないものばかりだ。最初に掃除に入っていたのが冴だったら、間違いなく捨てていたような物。

 …直人はそもそも、あまり持ち物の多い男ではなかった。刀剣の類いは好きだったが、エリア入りするときに処分してしまっている。

 陽介は殊更なんでもない様子を装って、

「…いや、数珠とかのほうがよかったかな、と思って。」

などと、誤魔化した。

「…陽さん、よかったんですか?時計。」

「…いいも悪いも、そもそも俺が持ってていいものでもない。直人さんの遺品は全部お前のものだよ。…機械は、人間に使われているほうが、しまいこまれるより幸せだと思うし。」

 陽介はそっけなく言った。

「…陽さん、いつもいってますけど、無理しないでくださいね?」

「別に無理なんかしてねーし。…あれ、飯できたんじゃねーの?」

「…もうすこしです。10分くらいかな。」

 冴はそう答えて、そこを離れた。

 …陽介は、少したってから階段を下りてきた。

 冴がこっそり『見る』と、陽介は何か冷たいものに触ってしまったかのように、ひんやりと静まって、少し不満げだった。…ちなみに、失ってしまった相手に心の中でやたら不毛な問いかけをくりかえすと、こうなる。

 ダイニングの席について、リモコンで隣の部屋のテレビをつけた。

 バラエティ番組の笑い声が響いた。


     +++

 翌日学校へ行くと、藤原が休んでいた。

 須藤がおしえてくれたが、あのあと藤原は帰り道どんどん悪くなり、ついに歩けなくなって、須藤がタクシーをひろって送ったらしい。

「…今日中によくならなかったら、医者へつれていくとお母さんが言ってたよ。…まあ、おれたちが心配してもしょうがねえ。」

 …水森のやったことだから、いっとき辛くても、まさか死ぬことはないだろう。冴はそう思った。

 根津が登校してきたので、須藤は同じ説明をくりかえした。

「…だいじょーぶかね、藤原のやつ。」

 根津は頭を掻いた。

 一時間目は冴が今最も受けたくない国語の授業だった。

 バックレようかと一瞬本気で考えたが、まさかな、と思った。担任を信頼するしかないと腹をくくって待っていたら、1時間目にあらわれたのは、いつもは別の学年の担当をしている花崎というコロコロ太った女の教師だった。

「…菅原先生は体調をくずされましたので、今日はわたしが代わります。」

 冴はああ、そうかと納得した。

 …浄化の炎が燃やしたに違いない。

 花崎は字が綺麗で、普通の授業をする女教師だった。冴はほっとして授業をうけた。

 休み時間になると、立川がやってきた。

「…月島、お前今日もまだ怖い。…大弓、重体らしいぜ。…かーちゃんがいってたんだけど、…呪いが返ったんじゃないかって。」

「…そうかもしれんな。だから人を呪ったりするものじゃないんだ。」

「…うーん…。俺は、…いやだな、とか怖いな、とか思ってたけど、別に月島がお祓いしてくれたしさ、…大弓なんか死ねばいいとは思わなかったよ。…月島言ってたじゃん、なんか彼女の耳に、不愉快な断片がまぎれこんで、誤解したのかもしれないって。…もしそうだったら…なんだか、寝覚めわるい。もうちょっと話せばよかったかもって…。」

 そんな必要はまるっきりないと思うのだが、というか、立川は藤原と事情が違うのだから、むしろもっと怒るべきだという気がしたが、…この寛容さが立川のいいところなのだから、仕方なかった。

 愛を強要できないように、怒りも強要できないのだ。

「…」

 冴が何と話そうか考えていると、立川は話を変えた。

「ところでさ、藤原、昨日変だったよな。どうしたんだろ。さっき須藤から聞いたけど…寝込んでるって?」

「そうらしいな。」

「…あいつ、ストレスためてるからなあ。」

 冴は意外に感じた。それを立川がいうのが、不思議だという気がした。

「…ストレス?赤ん坊の泣き声か?」

「いや、違う。…あいつってさ、間違ったこと許せないタイプなんだよ。だから、何かとストレスがたまるんだよ。隣席の私語から、街角の信号無視まで、なにからなにまで、気にかかるんだ。…まあ、丁度イイからのんびり休めばいいと思うけど…目が、イッチャッてたよな、昨日。」

「…だいぶ悪そうな感じではあったな。」

 冴も気にかかった。

 …女に会いには行けないが、藤原なら話しに行ってもいいだろうと言う気がした。…だが、近付くと炎はもっと強くなり、藤原の苦痛は増すだろう。…そうだ、電話するかな、と思った。

「…あとで電話してみようかと思うが、どうだ。」

「うん、月島から電話してやったら、藤原も元気出んじゃね?」

 …決定した。


     +++

「まあ、月島さん…?…ですか…。あ…お名前はときどき…。」

 その台詞のあと、藤原の母はずいぶん長いこと、黙りこんで冴を見つめた。

 …冴は慣れているので、じっと待っていたが、お母さんがあまりに何もいわずにぼーっと見とれているので、仕方なく口をひらいた。

「…昼に具合をきくのに電話をしたら、どうしても会いたいというので…」

「あらっ、そうですねっ、ごめんなさいっ。」

 母はきゃーと驚いて、左右にうろうろしてから、ぱっと引っ込んで「しげのりーー」と呼びながら走って行った。

 …藤原はしげのりというのか、とそのとき冴は初めて知った。

 少ししてお母さんは戻ってきた。

「ごめんなさい、ちらかしてますけれど、どうぞ。」

 …きれいなスリッパが足許に並んだ。

 藤原の家は高層マンションのまんなかあたりの階だった。ながめはすこぶる良い。…赤ん坊の泣き声がした。

 部屋は広かった。冴が故郷で暮していた部屋の倍はあるだろう。天井も高い。部屋はきれいに片付いている。というか、広い家はそもそもちらかりにくいものだ。窓のそばのデザインのいいベッドで藤原は白い顔で横になっていた。

 …守りの光りがか細くなってきえかかっていた。

 お母さんが引き返してから、冴は声をかけた。

「…美人じゃないか。」

「だれが。」

「藤原の父の妻。」

「…いやらしい言い方するなよ…。」

 藤原は力なく笑った。

「…大分悪そうだな。」

「うん…。苦しい。熱もなんもないんだぜ。なのにじりじりして…力がはいんなくて…。歩けねえ…。」

 ベッドのそばまで行くと、藤原は無理に起き上がった。

「…無理しなくていいぞ。」

「起きたほうが話すの楽だから…。机んとこから椅子もってきて座ってくれよ。」

 冴はいわれたとおり、そのモダンな美しいフォルムの椅子を持ってきて座った。

「…大弓、どうなってた?」

「…重体らしいが、命に別状はないはずだ。」

「…ふうん。そんなに悪いのか?」

「…」

 冴が答えようか考えていると、藤原の母が飲み物を持ってきてくれた。…なぜか、ワンピースに着替えていた。冴は、俺も陽さんの客が来たときは着替えたほうがいいのかな、などと、的外れなことを考えた。

「ジュースなんかでよかったかしら。コーヒーのほうがいいのかしら。」

「ああ、…おきづかいなく。」

「しげのり、なんかたべれそう?」

 藤原は首を横に振った。お母さんはためいきをついた。

「いったいどうしちゃったのかしらねえ。明日は病院へいきましょうね、お父さんシフト休だし。」

 母はどうしたことかそのあと冴とやくたいもない世間話をしようとしたが、藤原におっぱらわれた。

「…すまん、うちの親普通の親だから、お前見て舞い上がっちゃってる…。突然我が家という掃きだめに鶴が舞い降りたのと同じだからな。許してやってくれ。」

「…何が掃きだめだ。おまえんち広くて綺麗だぞ。かーさん美人だし。」

「…それお袋に絶対言うなよ。お袋の気が狂う。…うちの親父は普通のデブだ。そのデブと、お袋は子供つくってるんだ。」

 冴はなんと返したものかわからなかった。

 …俺なんか親父の躾けた高級な奴隷を相続して昼夜の別なしにあんあん泣かせてるぞ、どうだ、すごいだろう、とでも言ってやりたかったが、仕返しなのか自慢なのかのろけなのかわからないのでやめた。というか、あまりに非常識なので遠慮した。

「…その調子じゃ課題は無理だな。…一応、根津が範囲をメールで送ってはいたが。」

「…あ、ほんと?元気でたらやるわ…。根津によろしく。…今はノート見る気力がない。昨日は須藤が家まで送ってくれてさ。ヤバかった。須藤がいなかったら家についてねーよ俺…。」

「ああ、須藤も心配していた。」

「…よろしくいっといてくれ…。」

「ゆっくり休め。…そういえば立川も、藤原は何かと我慢し過ぎだといって心配してたぞ。」

 立川の名がでると、藤原は片目を細めた。 

「…あの変態、今日もおまえにべたべたさわってたんだろ。」 

「…今日はそれほどでもない。」

「なんでかばうんだよ。」

「藤原、あいつは本当にそのへんの野良猫みたいなもんだ。目くじら立てるな。猫が俺にすりよってきたら怒るのか?」

「…」

「…藤原、あまり言いたくないんだが、…本当に危ないやつは確かにいるし、俺はそういうやつらと、嬉しくはないがほどほどにご縁があった。だが、立川はそういった人種とは別だ。」

「…別に俺だって立川がお前を襲うとか刺すとかいってるんじゃない。かりにそうだったとしたって、多分お前のほうが力あるし気迫も強いだろ。…ちがうんだ。ただ、べたべたさわって気持ち悪いっていってるだけだ。立川はあくまで人間で、猫じゃないんだから。」

「…お前も大変だな。親がセックスすれば気になってしょうがないし、友達が別のやつに甘えれば気持ち悪くなるし。」

 藤原はショックをうけたようで、少しうつむいた。

 冴はため息をついた。

「…別に馬鹿にしたわけじゃない。大変だなと言っただけだ。」

「…お前、ほんとは立川にべたべた触られて気持ちいいんじゃないの?」

 藤原が小さな声で言った。

「…何だ?」

 冴は聞こえなかったわけではないが、わざとソフトに聞き返した。

 藤原は少し気張って言った。

「…だまって触らせてるお前も気持ち悪いんだよ。」

 冴はクスッと笑った。

 藤原は固まった。

「…何だって?」

 冴は今度ははっきりと繰返した。

 藤原は、しどろもどろになって言った。

「…触らせるなよ。…気持ちいいのか?」

「…触ってみるか?」

 冴が間髪置かずに問い返すと、藤原は急に赤くなった。

 冴は笑った。

「俺は触り心地いいらしいぞ。お前も触ってみるか?」

「…」

 答えられずに息をつめている藤原に手を伸ばした。

 まるで薄い紙を炎にかざしたときのように、冴をとりまいていた炎がみるみる藤原に燃え移る。

 冴は藤原の手首をつかんだ。

 藤原はそれまでもチラチラと燃えてはいたが、冴が手を掴んだ途端、燃焼するマグネシウムのように鮮烈な光炎につつまれた。

 冴は藤原があばれても、手を放さなかった。

 そして低い声で言った。

「…藤原、俺に、今その体でケンカを売るのはどうだろう…?」

 藤原は業火に焼かれる痛みに身をよじり、目を見開いたまま冴をふりはらおうと必死だった。擦れた小声で叫んだ。

「熱いっ…!!…放せ、放せ!…月島ァッ!!」

「…しーっ、騒ぐと美人のお母さんが見に来るぞ。…こんな姿を見られていいのか?おまえの普通のお母さんとやらに…。お母さんびっくりするぞ。」

「あ…ァ…アツイ…っ…放してくれ…あつい…」

 冴はその手を放さずに、さらに強く握りしめた。

「…藤原、大人しくしろ。…大丈夫、この火はお前を殺したりしない。…お前の内外のねばい糸を燃やし尽くせば、自然と消える。抵抗するな。」

「あ…ーっ…」

「…すべて手放せ。そうすれば楽になる。」

 藤原は浄化の火に焼かれる苦痛に硬直し、震えた。

「つ…月島…」

「なんだ?」

 涙を流して、藤原は言った。

「…かった…」

「ん?」

「…俺が悪かった…くれ…」

 途切れ途切れの謝罪が震える唇からこぼれた。

 …心がざわっと騒いだ。せつない喜びを覚えた。

 …もっと繰り返し言わせたい。

 わざと問い返す。

「…なんだ?」

「…ゆ…るして…くれ……ゆる…して…」

 その哀願を愉悦のうちに見守りながら、冴は逃げようとする藤原を無理矢理ひきよせ、耳に口を近付けた。そしてひそひそ囁いた。

「…別にたいして悪くないさ。ちょっと俺にかみついてみただけだろう?」

「…あ…っ、あ…」

「そんなこといつだって許してやってるじゃないか。」

 藤原は苦しそうに首を左右に振った。…息ができずにいる。

 …こいつ、かわいいな、と月島は思った。友人でなければ、うんと可愛がってやったのに、と…。

「…あと少しがまんしろ。…もうすぐ燃え尽きる。」

「…もうゆるしてくれ…つきし…ま…助け…」

「…藤原、俺はお前に呪いをかけられてもお前を許してやったのに…これ以上どうしてほしいんだ?…教えてくれ…。…お前を抱けばいいのか?女のように?それとも赤子のように?」

「…っ…」

 藤原の体から力が抜けた。…そのまま、藤原は冴の手をすり抜けて、崩れ落ちた。…燃え尽きた廃屋の柱のように。

 …藤原から炎は消えていた。

 冴は気を失った藤原の頭をそっとまくらにのせて楽な姿勢に整えてやり、涙をぬぐってやり、最後にふわりと布団をかけた。…呼吸はおちついている。

 …なるほど、これは清々しい。どうやら、冴に一番糸をからめていたのは、この友人だったのかもしれなかった。 

 のどが乾いたので、お母さんが置いていったジュースを一気飲みした。

「…藤原、明日学校に来たら、俺のとこに駆け寄ってぎゅーっと抱き着いて、『月島有難う』っていえよ?いいな?だれが見ていようと、必ずやれ。…それができれば、貴様の業は解ける。」

 気を失ったままの藤原にそう声をかけると、冴はグラスをもって部屋を出た。

 居間へ行くと、お母さんがあかちゃんをだっこしてあやしていた。

 しげのりくん、眠ったから帰ります、と言って、お母さんがいいというのを押し切ってグラスをあらって出て来た。…使ったグラスをそのままにして帰ると、そこの家庭がのちに大変なことになる場合があるのを、冴は知っていた。

 何も知らないお母さんがあかちゃんを抱いて見送りにきてくれた。あかちゃんはまだ何もしゃべらないが、ぱっちりとまんまるに目を開いて、冴をくいいるように見つめていた。

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