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麗人階級 -炸裂妄想未亡人編-  作者: 一倉弓乃
5/8

5 猖獗

 ユウにはどこに行っても会うのに、どうして同じ条件の陽さんとは、学校でちっとも会えないんだろう、と冴は退屈な国語の授業を聞きながら、ぼんやり黒板を眺めていた。

「…じゃあその心情が文中にいちばん良く出ているのは、どの言葉だ?ぼけーっと女のことを考えてる月島くん!」

 突然当てられたのでびっくりした。

「…はいっ?!」

 クラスがどっと笑った。

「はいっ?!…じゃないだろう。…色ぼけすんのは10年早いんじゃないのか?答えなさい。」

 …なんで世の中の人はみんな俺の考えてることがわかるんだろう、まあ、女じゃなくて男だが…と冴は思った。

 …藤原と根津がふりかえって、口をぱくぱくと「ミボウジン」の形に動かして冴をからかっていた。 

「…質問をもう一度言うか?」

「えっ…いや、大丈夫です。」冴は軽くまばたきした。「…ええと、『白いパラソルがくるくるまわって』の『白い』」

「そこでいいのかね?!」

 何人かがクスクス笑った。

「…まちにまった末オーケーが出たので、その若い婦人はこころが弾んで、いつもは丁寧に開閉していた白いパラソルを、その日はばっとひらいて鼻歌まじりにぶんまわした、その印象がつまり端的に、『白いパラソルがくるくるまわって』という表現になっているかと…またその晴れやかな気持ちを表すために、ここでわざわざ白という色が選ばれているのではないかと…だから『白い』なのではと…」

「だったら『歌いながら』じゃないのかね?」

「…」そうともいうが、どっちでもいいじゃねーかよ、と冴は思った。「…視覚的な鮮やかさは歌よりパラソルかと思って。」

「だれが視覚に限定した?」

「…よくきいてませんでした。」冴はめんどくさいのでそういった。じゃあだれが聴覚に限定したっつーんだよ、と思った。冴は視覚で生きてる人間なので、視覚、とくに色彩のもたらす印象がものすごく強い。

 …国語は大嫌いだ。

「…お前、夜ちゃんと寝ろ。ぼんやりしすぎ。それに彼女ともりあがるときはちゃんと避妊しろよ、ガキが。」

「…」

 月島はじろーっとセクハラ教師をにらんだ。男同士だけど避妊具してますともいえなかったので、せめてもの意思表示だった。教師は傲然と冴を見下ろした。

「…センセイ、月島の美貌にとち狂ってないで、ちゃんと授業してくださーい。」

 …須藤がトボケた調子で言った。クラスはまたげらげら笑った。

 授業が終わってから、立川が笑ってやってきて、冴の肩をばしばし叩いた。

 声をひそめて、立川は冴の耳もとで言った。

「菅原センセイさ、きっとお前のこと好きなんだぜ。でもお前全然きがつかねーし。ぼけーっとしてるし。…ヤキモチやいてんだよ。」

「誰にだ。」

「ぷっ、未亡人だろ。」

「お前らレベルの妄想か、教師のくせに。」

「教師も人間だ。ゆるしてやれ。お前のウツクシさが罪なんだ。おれだって教師だったらお前のこと必要以上に見ちゃうぜー。それに当てる。ぜったい。1時間に3回くらいあてる。だって月島ウツクシ-んだもん。ぜったいネチネチいじめる。だってそうしないと月島は教師の一途な思いに気付かねーもん。鈍感だから。」

「俺の顔なんざどうでもいい。」

「よくないよくない。みんなお前の顔みたくて学校きてるから、うちのクラスは。」

「毎日見てるだろう、いいかげん飽きろ。」

「無茶言うな。たまに夢にでてくるぞ。…あー美しい。俺おまえの友達になれて幸せよ。」

 立川はうれしそうに冴の両方の頬をてのひらでぐりぐりした。 

「立川くんあぶなーいっ。」

 近くの女子がクスクス冷やかした。

「別にあぶなくねーよ。ホントにあぶねー奴は、こゆことできねーんだって。」

 立川がそういって冴に頬擦りすると、藤原が立川の後ろ衿を掴んで引き剥がした。

「…やめろよ立川。…月島も拒めよ。気色悪いぞ。」

「…まあ、いいだろ、別に。なつきたいだけなんだから。庭にうろうろしてる猫と同じだ。」

「あっ、ひでえや月島、そうだよどうせ俺は庭のニャンコ~だからもっと~ニャーン」

「…立川てめーは変態か?月島、…未亡人にもそう言えるんだな?」

 するとさっきの女子が俄然くいついた。

「えっなになに、未亡人て!」

「未亡人というのはだな…」

「女子にまで話すな! 大惨事になる!」 

 …月島の抵抗虚しく、未亡人の妄想は、その日の夕方までに、あっというまに全クラスに広まった。


     +++

 翌日からいろんな相手に未亡人のことを聞かれるようになり、冴はもうめんどうくさかったので、「好きに妄想してくれ。まかせる。」と一律に答えることにした。すると、女子の妄想がまざったせいか、「未亡人は来年周囲の反対をおしきって、うらわかい月島少年と籍をいれ、彼の卒業を待って湖の教会で結婚式をあげ、二人でヨーロッパに愛の逃避行らしい」という結末におちついた。…女子の妄想ってほんとにすごいな、エロいだけではなくて愛と生活と人生がある、と冴は他人事のように感心するしかなかった。

「…ちなみに、未亡人の名前は須磨子という説とベリンダという説がある。」

「だれだそれは…。…おまえは俺を血祭りにあげているんだぞ、藤原。気がついているか?」

「なんのことだ?俺のことを心配してお守りまで持って来てくれた優しい男を、俺が売ったとでもいいたいのか?」

「…その通りだ。わかってるならいい。」

「月島くん不潔ッ!」

 通りすがりの女子が笑いながら冷やかしていった。

 藤原にもう一言文句を言おうとしていたら、別の女子が

「ベリンダ愛してるっ」

と声をかけていった。

「…責任とって俺と籍いれてもらおうか、藤原。」

「…無茶苦茶言うな。」

 幸い、陽介は昨日、話を聞いて死ぬほど笑ってくれた。それだけが救いだった。…陽介は女の扱いがどうこうというのではなくて、基本的に、藤原や根津と同じように妄想が大好きで、たとえ自分がその対象にされても、とくに気にしないだけなのだ、ということがなんとなくわかった。そういう受け流しかたもあるな、と冴は感じた。

「…こんなんじゃ俺はもう嫁に行けないぞ。」

「なんで嫁にいくんだよ。嫁もらえばいいじゃんか。」

「同じだ。」

「おなじじゃないとおもうぞ。」 

「まあ…冗談はこれくらいにして、早く体育館に行こう。着替えが間に合わん」

 体育は3クラス合同だ。男女別に授業が行なわれて、いつもは関係のない人物とも顔をあわせたりする。

 更衣室で、見知らぬ相手から「充実した性生活」について色々話し掛けられた。

 流石に、みていた根津が言った。

「…月島、スマン、ちょっと言い出しっぺの一人として反省してる。」

「…もう一人はまったく反省してないようだ。」

「あれは…おまえが立川に触られ放題になってるから、ヤキモチだろ。ちゃんと拒め。藤原が可哀相だ。必死で我慢してるのに。」

 冴はイラッとした。なんだって立川はこう冴をイラッとさせる男なのだろう。

「…その腐った女子のごときノミソはボールとともにゴールに叩き込むがいい。」

 …根津に八つ当たりした。

 その日の体育はバスケットだった。

 冴は若干荒れ気味だったので、わりと思いきりやってしまい…全試合かなり勝った。 

「月島ーっ、すてきー抱いて-!」

 立川に懐かれたのでおもいきり顔にタオルをまきつけて頭の後ろで縛り上げた。 

「ふごっ、ほどいてくれっ!」

 マグリットの絵みたいな立川の顔に冴はひそひそ言った。

「…大惨事になるから俺に抱き着くな。」

「プッ、月島が抱くのは須磨子だけだよな。」

 …まったく知らない男子に冷やかされて笑われた。


     +++ 

 昼休み、騒ぎがついに教師の耳に入って、冴は職員室に呼ばれた。

 担任の小島は、眉をハの字に寄せて、

「おーう、大丈夫か、月島。なんか大惨事らしいが。」

と言って、笑った。

 …俺の担任けっこういい担任だったんだな、としみじみ思った。

「…全部あいつらの妄想です。」

「…おまえはイマジネーションを喚起させるタイプなんだろうなあ…。…久鹿が中年の未亡人にされてるのにはワタシも参った。申し訳ないが笑ったよ。」

 小島は陽介の担任だったこともある。

「…まあ、みんなお年頃だから、あまりお前も目くじらたてないで。ほっとけばみんな数日で飽きると思うから。…あまり続くようであれば、各担任からそれとなく注意するから。」

「はあ、わかりました。」

 小島はそばに来て、声をひそめて言った。

「…国語の菅原センセイから、なんか注意あった?」

「…ええ。」

「…なんて。」

「…ここで言っていいんですか?」

「…うーん…」小島は頭を掻いた。「じゃ…こっそり。」

 冴がひそひそ耳打ちすると、小島は顔をしかめた。

「…うーん…別の子たちにきいたとおりだなあ…」

「…なんか言って来ました?」

「いや、大丈夫。…まあ、あんまり、教師いじめないであげて。」

 その理屈に、冴は少しむっとした。

「…こっちがいやがらせされたんだが。」

「ぼーっとしてたのは確かだし…須藤くんがやりかえしたでしょ。」

「…別に須藤はギャグにして流しただけですよ。須藤がながさなかったらもっと場は緊張していたと思います。」

「そのギャグのたちが悪い。…月島がいい子なのはワタシはしってるよ。でも月島は大人に誤解されやすいし、態度もでかいし…こういうとき、凄く不利なんだよ。…事実がどうあれ、周囲の大人が判定を下してしまったら、それは裁判の判決と同じで、君はもう従う以外なくなってしまう。…月島、教師って大人だと思う?」

「…そう信じています。」

「…そうだね、月島がそう信じてくれることをワタシは嬉しくかつ誇らしく思うし、ワタシ自身そうありたいと思っているよ。…そういう教師ばかりだったらどんなに良かっただろう。」

 小島は最後のひとことを、ことさら小さな声で言った。

「…」

 …巷ではどこぞに金を積んだり、議員さんだのなんだのにお百度踏んだりして教師になったやつが何人もニュースになっている。冴の田舎では、特別なコネクションを持っていない大学生が、教採を通るためには最低100万必要だと言っていた…。言っていたのは市長補佐官だった父だ。もしなりたいなら別のコネがあるからやってやるぞ、早めに言えよ、と…なに半分に値切るから気にするな、俺は採用委員のだれそれが生徒のスカートの中を盗撮したりだとか、人事決定権のある校長にも更衣室から制服や水着盗んで金つくってるやつがいるの知ってるから、ちょっと脅せば安くなる、と…。まあでも値切り過ぎるとお前があとでいびられて大変だからな、半分くらいがいいとこだろ…。冴は聞いているうちに胸が悪くなって断ったものだった…。公務員になるのはやめようと思ったのは、あのときだ…。

「…わかったね。」 

「…はい。」

「…まあ、こっちでなんとかしとくから…傷に塩ぬるような真似だけはヤメといて。下手こいたらどうなってもしらないよ。」

 小島はそうひそひそといって、冴を職員室から出した。


     +++

 学食という気分になれなかったので、学校生協でおにぎりと野菜ジュースを買って、中庭に出た。椅子はあきがないので、芝生に腰を下ろした。

 向うの建物は大学部だ。陽介がどこかにいる。冴は軽くため息をついた。いま、陽さんに会いたい、と思った。会ってあのふわふわした柔らかい髪にさわったり、あの瞳に見つめられたりしたい…そう思った。そうしたらきっと、こんな気分など気にならなくなる。指先だけでも、ほんの少しでも触れあえば、まるで美しい音楽のように、清浄な波動がひろがってこの身を清めてくれるだろうに…。

 だれかが背後でクスっと笑った。

 冴は反射的に、視界を切り替えた。

 …驚いた。ユウの言葉通り、なにかがみっしりと手足にからみついている。あまりよくない色のものだ。さり気ない手つきで、冴はそれをぱっぱっと払った。…すぐにとれた。

「…言ったでしょ、呪いがかかるって。」

 …後ろにいるのは、大弓に間違いなかった。冴はわざと振り向かなかった。

「…謝りなさいよ。」

 噛みつくような言い方だった。…冴は無視した。

「許してくれって、懇願しなさいよ。」

 …Sか、と思った。そこだけは仲間だな、と。

 冴は大弓をインチキよばわりしたことはないのだが、自分が助かるために根津を売るわけにもいかなかった。

「…絶対後悔するわよ。」

 冴が無言のままだったので、大弓は立ち去った。少ししてから、冴は遠くにいる大弓の後ろ姿をながめた。…どろどろした色だ。ああなると、さきに物理的な処置をしたほうが早い。綺麗な水で水ごりしたりだとか、なにかそういったことだ。だが、まさかそんなことをすすめても、聞き入れないだろう。

「…あれか。」

 すぐ上で声がして、冴はびっくりして見上げた。まったく気配を感じなかったのだ。…ユウだった。ユウは虹色にきらめく3重の光をまとっている。太陽から無限に力を吸収するその光の環は、高速でユウの回りを回転しているのだった。ふーっと近付いて来た小さなもの…多分さっき冴が払ったものの断片…が、環に触れた途端、粉々に粉砕されて飛び散る。

「…きったない女ね。」

 ユウは呆れたように言った。

「…ほれ、これお使い。」

 差し出されたものは、古い小さな鏡だった。

「…ポケットにいれればちょうどいいんじゃない。胸にいれとき。鏡の面、外に向けてね。…すーぐ効くわよ。」

 冴は受け取って、言われたとおりにした。

「…しかしねえ、あんたも損よね。同じ学校にきてみて、初めて月島の血の恐ろしさがわかったわ。…これじゃU市になんかぜったい居られないに決まってる。お母さまもへとへとになるでしょうよ。…あんたには強い守護をつけなきゃ駄目だわ。まして同じ家にはあの久鹿もいるんだから。…あんたの親父がなんか残してくれればよかったんだけどねえ。遺品はどうしたの?」

「…母がかたずけたはずだ。…あとは多分…確かめたことはないが、陽さんも少しもっていると思う。…とりあげるのはしのびないけどな。陽さんの宝物だ。」

「…あたしから久鹿に話してみるわ。U市までいく金ないし。…あんたは今はとにかく動かないで。まずこの蜘蛛の森を燃やしましょう。はた迷惑だったらありゃしない。学び舎に、こんなもの。相応しくないわ。焼きつくしましょう。」

「…わかった。」

 冴がうなづくと、ユウは冴に手をかざした。

 …次の瞬間、冴は紅蓮の炎に包まれる幻を見た。


     +++

 午後の授業がはじまって間もなく、サイレンの音が近付いて来た。

 共通語の授業中だった。クラスはざわざわした。

 前庭の舗道に緊急車両がとまった。救急車だった。

「…静かに。」

 教師は注意し、クラスは一時、授業にもどった。

 しかし、間もなく通路をばたばたと人間が行き来し出した。

 ざわめきが止まらなくなった。

「…ちょっとみてくるね。ワークの23ページやってて。」

 今度は教師はそう言って出ていった。

「…なんだろね。」

 隣の席の女子が冴に言った。…冴は無視した。

 女子は不満げに言った。

「…月島くんて、そんなだからベリンダとかいわれるんだよ。」

 勝手に言え、知合いが刺し合うよりいい、と思った。

 教師はすぐに戻って来た。

「…C組の女子がちょっと倒れたらしい。ちゃんと病院にはこんだので、みなさんは心配しはおいといてベンキョ-。」

 …C組の女子。

 …藤原と目が合った。

「…じゃあ問の1からよばれた人でてきて書いて。問一スウェンくん、問二鈴木くん、問三…」

 授業が終わると、さっそく物見高い一部の生徒がC組に偵察に行った。

「…大弓だって。」

 予想通りの情報だった。

 …普通倒れたくらいでは、いきなり救急車にはならない。なにか尋常でない状態になったのは間違いなかった。

 立川がほっとした顔で言った。

「人を呪わば穴二つってやつだな。…な?藤原。」

 藤原は心ここにあらずの風情でうなづいた。

「…そうだな。」

 冴は藤原のところへ行って、言った。

「…別にお前のせいじゃない。」

「…まあ、俺のせいじゃないわな。あんな言い争いくらいで…時間もたってる。」

「ああ、気にするな。」

 藤原はためいきをついた。

「…あんな毒まき散らして歩いてるからだよな。立川の言うとおりだ。墓穴だよ。…お前の言うとおり、同じ目にあっても負けないやつもいるんだからな。…でも全員が、そんなに強いのか?」

「…藤原、同情はよせ。」

 須藤がやってきた。

「おい、次社会だぞ。教室移動だろ。」

「…地理だ。」

「…俺は世界史。」

 冴は藤原のそばを離れた。須藤が藤原を連れていった。


+++

 もたもた手間取っている立川の地理のノートを手伝ってやりながら、冴は少し苛立っていた。なにかに、じりじりと焼かれているような心地がするのだった。

「…月島、手伝ってくれるのは嬉しいけど、…なんか月島が怖い。」

「…すまん。」

 冴はため息をついた。

「なんかわけのわからんイライラが…」

「…ストレスはベリンダと解消しろよ。」

「…気持ちよく気絶したいか、立川。」

「したくない。…ほかの奴には勝手に妄想しろなのに、俺には気絶したいか、なのね、月島。俺はちょっと悲しい。」

 冴は苦笑した。おっしゃるとおりだ。

「…みんなお前くらいはっきり言ってくれると付き合いやすいんだが。」

「ほんと?じゃ、付き合おうぜ月島。俺んち金ないから貢げないけど、俺を嫁にもらってくれ。そうしたら毎日お前の美しい顔と寝起きできる。天国だ。そのためにこのちっぽけな人生なぞ棒にふっても後悔はないぜ。」

「…そういう意味じゃない。」

「弄んだのか?」

「…ノートを粉砕されたいか。」

 立川は笑った。…立川は、いらいらするが、いい奴だ。変なことを喋りながら冴にべたべた触りまくって、こうして熱烈に求愛してくるが、ぜんぜんこれっぽっちも本気でないのだった。それでいてからかっているわけでもなく、嫌味でもない。友情はたしかに持っている。触ったりにゃあにゃあ言ったりは友情の証なのだった。…まったくもって庭の猫と同じといえた。犬型の社会性を持つ冴はいらいらするが、それは別に立川が悪いのではないということもよくわかっていた。

 ノートが終わって席をたった。急がないとホームルームだ。

 …そのとき冴はふと、急激に周囲の未亡人妄想が終息しつつあるのに気がついた。

 今だって、立川のベリンダが一度だけだ。視界をかえて立川を見た。ごくちいさな虫のような影があったので、ぱっと払った。虫のようなものは、ごうっと炎のような光をはなって消えた。冴は吃驚した。こんなことは初めてだ。…ユウは、冴にかかっている「蜘蛛の巣」を払うために、冴自身に火をつけたらしかった。冴は激しく浄化の炎で燃えている状態なのだ。

「…虫?」

「ああ。」

「あんがと。月島って、優しいよな。」

「優しいだろ。」

「惚れた。籍入れよう。渡りの向こうのすぐんとこにある可愛い教会で式あげようぜ。」

「…あそこ、新興宗教だぞ。」

 …そのあと、立川の口から、ベリンダの話はでなくなった。 

 教室でもそれは同じだった。

 …これは呪いの為せる技だったのか、と冴は認識をあらたにした。

 そうだ、本人に直接あたれないのであれば、こうやって周囲からやればいいのだ。

 狡猾なやり方だ、と思った。

 放課後図書室で宿題をやった。立川と藤原と、須藤もいっしょだった。

 立川は冴といるとこの日は気分がいいらしく、ついて来ただけで、宿題などせずに、棚の雑誌を冴のそばに持って来て、冴にべたべたしながら散漫にめくっていた。須藤は借りていた本を返してくると、次の本を選んでいた。藤原は…顔色が悪い。

「…藤原、具合悪いんじゃないか?」

「…俺、変か?…なんか変なモン食ったかな。…たしかに、なんだか、だるい。」

「無理しないで帰ったほうがいい。」

「うん…」

 藤原はのろのろと荷物をまとめだした。…須藤が新しい本を借りて持って来た。

「…藤原帰るのか。具合わるそうだな。大丈夫か?」

「…ちょっとだるいくらいだから大丈夫だと…」

「…俺も別に用すんだし、一応念のためついてってやるわ。」

 須藤がそう言ったので、冴は藤原のことを須藤にまかせた。

 藤原は席をたとうとした。…そのとき、目眩がしたらしく、目のあたりを押さえた。

「…月島…」

 冴は顔をあげた。…藤原はうつろな目になって言った。

「…おまえ…何持ってる?…そこ…」

 震える指で、冴の胸のポケットを指した。

「!」

 冴は視界を切り替えた。

 自分のほうから強い光が藤原を圧している。藤原の周囲に火は燃え移って、藤原を今にも呑込みそうに舐めている。…いつも藤原を守っている肩の光が弱い。これが消えたら藤原は一気に浄化の炎に焼かれるだろう。

 …つまり、こいつの不調の原因は俺か、と思った。

「…お守り鏡だよ。ほら。」

 ポケットから古い手鏡をちょっとだけ引っぱり出してみせた。藤原はつぶやいた。

「それ…」

「…藤原、気にするな。お前は体調が悪いんだ。今日は帰れ。」

 冴は少し悲しい気分で言った。

 …大弓を焼く浄化の火に焼かれるのだとすれば、それは…。

 須藤が藤原を連れて帰った

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