1 学級美人
午前の授業が終わると、学校ドームは小学部から大学部まで、一斉に正午のチァイムを鳴らす。そのさまざまな音色は幾重にも重なってドームの中に反響する。凄絶に重厚な不協和音で、自分が中世の町にまよいこんだかのような錯覚を覚える。
…編入初日に冴を驚かせた怪奇現象(?)の最たるものがこれだった。…だから、まあ、ある意味順調な滑り出しだったのだなあ、と冴は思う。
少なくとも、故郷でおくっていた学校生活にくらべたら、それは眠いほどのどかだった。
「月島、今日学食か?」
「ああ。」
「俺もー。いくべー。」
「俺もいくー。」
「今日の定食なんだろー。」
「…ラーメンだときついな…」
冴は基本、来るものは拒まずのタイプだ。今は事情あって女は全員シャットアウトしているが、男に関してはまったく昔のまま、だれとでも気兼ねなく付き合い、それなりに楽しい時間を過ごすことにしている。
「…俺月島といると、みんな女子がみてくれるから好きよ。」
「お前がみられてんじゃなくて、月島がみられてんだろ。」
「いいじゃん。月島のついでにチェックされてるはず。」
「…おまえも大変だよな、どうしてこんな顔に生まれたんだよ、月島。」
クラスメイトの一人・藤原がそういうと、一緒にいた立川が、むにゅーんと冴の頬をつまんでひっぱった。
「…どうでもいいが引っぱるな。」
「どうでもいいだとう?! よくないっ!…いやあ、でも月島んちのかーちゃんて、ものすげえ美人なんだろ?…さわりゴコチが違う。」
立川が言った。
「それはぜったいそうだぜ。」
根津が言った。
冴は少し考えて言った。
「…母は小太りの中年女だ。肌はきれいだぞ、10代の肌だな。」
「…じゃあなにか、この美貌は父親ゆずりだとでもいうのか。」
「…祖父だ。…本当にどうでもいいんだが。俺は俺の顔は見えないからな。」
「…まあ、真理だな。」
須藤が苦笑する。
学食前の廊下は混み合っていた。もう黒山の人だかりだ。須藤が席をとりにいき、のこり4人で並んだ。
「定食、何だ?」
「Aが酢豚でBが八宝菜だな。」
「…今日は中華の日か…」
「俺酢豚でいいや。」
「なんだとう! 酢豚は俺だ!」
「…かってにしろよ…あ、月島、中華離脱?」
「ああ。…肉じゃが。焼き茄子があるといいがなあ…」
「…地味な食生活だよな、こんなに派手な顔なのに…」
「顔は関係ない。」
「いや、お前の顔はスパゲッティとか、ビーフシチューとかいう顔だ。ラ-油はいかん。」
「おい、せめてフランス料理の名前出せよ。なにがビーフシチューだ。月島はパテシエが作ってるんだぞ?」
立川が厳重抗議した。冴は呆れた。
「…だれだそれは。」
「じゃボルシチだな。」
「ボルシチはロシア料理だ。」
冴は別の列に並び、単品メニューを適当に拾ってレジへ行った。さっさと戻って、須藤と交代してやった。
男ばかり5人で食事をしていると、学食の隅のほうに、人だかりができているのに気がついた。
「…なんだ、あれ。」
藤原も気にしていたようだった。須藤が言った。
「アレだよ、アレ、C組の占師女。」
「ああ、大弓か。」根津が名前を知っていた。
「…あたんの?」
「あたるらしい。」
冴はふーん、とだけ思って、興味を失った。窓の外に目をやる。中庭の向こうは大学部の学食だ。…冴の家主がいるはずだった。今日はなにをたべているだろう。想像するだけで心がふわふわした。
「…でもあいつ馬鹿じゃん。かかわり合いになりたくないぜ。」
「馬鹿って。」
「…もめごと起こしてさ。」
「どんな。」
「…」
冴はまったくきいていなかった。焼き茄子に醤油をかけつつ、下宿の台所のどこにスパイスがしまってあるのだろう、と真剣に悩んでいた。冴は週末にかけて、愛する家主さんに、おいしいカレーをつくってあげる予定だったのだ。あの台所のどこかに、家主さんのお母さんがおきざりにしたスパイスが絶対あるはずだと思った。
…気まずくなったらしい須藤が言った。
「そういえば、月島って、家どのへんだよ。歩いてかえってるだろ。近いのか?」
冴はピクリと我に返った。
「ああ、30分くらいだ。」
「…こいつ、今なんか考え事してやがった。」
根津がニヤニヤ笑って言った。
「ぴくってなったよな、ぴくって。」
「なったなった。」
「女だな、女のことを考えてたろう。」
藤原が嬉しそうに話題に乗った。
「…いや、別に。…週末はカレーにしようかと思ってただけだ。」
「否定しやがったよ。」
「ますます怪しいな。」
「月島の女ってどんなよ。見てえよ。ミシテヨ。」
「…俺の予想では」藤原が楽しそうに言った。「年上だな!」
3人がオーと言った。
「年上かあ…いいな、ロマンだぜ。大人の女だな!」
「月島にはションベンくさいガキは似合わないぜ。」
「大金持ちのOLだな。外資系で、総務かなんかやってて。」
「いいねえ、スーツだねえ。タイトスカートだ。黒いハイヒールだ。セクシーな足首だ。」
「…お前ら…。」
冴は額をおさえた。実は確かにそういう女と付き合ったことがあった。…別の女に刺されて終わったが。
「きっと、会うたびに金くれるんだぜ、『冴、これ、…流行の靴か好きな音楽でもお買いなさい』とかナンとか。」
「いいねーえ、逆エンコ-」
4人一斉に言うので、周囲が何気なくこちらに注目した。冴はちょっと気まずくなった。
「あこがれるぜ逆玉。うち金ねーからよー。」
「いや、あきらめるな立川くん! 『金』でない女はきっといるぞ! 」
「あー俺も月島みてーにうまれたかったよ…造作は無理としても、せめてその綺麗な肌がほしかった…女に『抱いて』っていわせてーなー…」
「…月島、貴様はおれたちの希望の光だ。必ず金持ちの女をゲットして、逆玉を実現してくれ!」
「そうだ、おれたちにゆめを見せてくれ。」
「…親の金なぞあてにしないで、自分で稼げ。その男らしい姿に、女は魅力を感じるんだ。キーワードは自立だ。」
冴はそう言って、焼き茄子の皿をあけ、ごはんを口に運んだ。
…再び奥の席でざわめきが起こった。
5人は聞こえないふりをした。
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家に帰ると宿題ができないので、冴は放課後の図書館でノートを開いていた。正直、家に帰ってお利口さんな家主にきいたほうが、本のありかなど早いのだが、宿題とかぎつけると後ろにやってきてうろうろしたあげく、冴が飲み物を注ぎに立った隙に代わりに全部やってしまうような人物なので、油断がならないのだった。
藤原と根津も一緒にいた。藤原の家は小さな赤ん坊がいて泣き声が五月蝿いのだそうで、根津はドミなのでプライバシーがないとのことだった。
根津のノートをカンニングしようとした藤原が怒った。
「…根津、宿題やれよ。なにやってんだ。」
「ああ、コレ、文芸部の原稿。俺今年入ったんよ。宿題はドミでやる。別に見られてもかまわないから。」
「…ということは、文芸部では寮母にみせらんねーもの書いてるってことか。」
「寮母にみせられるもん書いてるうちは駄目だろ。…といいつつ、別にそうでもないんだよなー俺は。会誌は実家の親に売り付けてるぜ。」
「駄目じゃン。」
「きひひ。…でも女どもはすげーぞ。」
「文芸部の?」
「そう。エロ本作って、部費かせいでる。滅茶苦茶エロいぜ。ホモのだけどな。」
「…」
藤原が黙り込んだ。
「…ナニの実物も知らんクセによく挿し絵まで書くよな?」
根津はわざと嫌がらせよろしく藤原に言った。
冴は内心「女どもなんざ…知らないのか単なるうっかり間違いなのかわからんぞ」と思ったが、口にはしなかった。
「月島、読むか?」
突然話をふられたので、冴は少しうろたえた。
「…いや、結構だ。」
「…お前さ、綺麗なんだから、女だけじゃなくて、男も狙えるんじゃね?勉強しとけよ。ためになるぞー。最新号は現金で500だ。おもわず勃ったらおなぐさみ。」
「やめろよ。」藤原が嫌そうに言った。「…月島、なんとか言えよ。」
冴は話を変えた。
「…そういえば、このへんでガラムマサラ売ってる店知らんか?」
「ガラムマサラ?なんだそれ。エロい?」
「エロくない。カレーに入れるんだ。」
「…おまえってさ、家で飯つくってんの?」
「作ってる。」
「一人暮らし?」
「いや、下宿してる。家主が一切料理できないんで、飯つくってやる代わりに、下宿代を割り引いてもらってる。」
二人はくいついた。
「家主は女だな?!」
大声にならないように気をつけながら二人は揃って言った。
…この流れで男だとは言えなかった。冴は黙ってノートに地図をはりつける作業を続けた。…二人は有頂天だ。
「そうだったのか。家主が女だったんだ!」
「広い一軒家に一人暮す、中年女だな?」
「あいてる部屋をウツクシイ男子高校生に貸して、飯をつくらせている。…セレブだな! セレブのバツイチ女だろ。それか慰謝料成り金だ!」
「バツイチ、そうだな、バツイチにちがいない。すごい色っぽい女だけど、多分家事ができなくて離婚されたんだ。ベッドに飽きたとたん、マザコン旦那がすてたんだな?!」
「間違いない。…いいなー月島、そうか、お前がイマイチ、エロ話に乗ってこないのは、性生活が充実しているせいだったのか。」
「…まて、今話がとんだぞ?」
冴はおもわずつっこんだ。すると二人は「なんだよあたりまえじゃねーか」という顔でかわるがわる言った。
「旦那にすてられた可哀相な中年の美女だぜ?」
「寂しい布団を、お前があたためてやってるんだろう?」
「エロいっ!」
「エロエロだーっ!!」
冴はがっくりきた。
…いわれてみれば、家主は中年男のカレと死別した可哀相な美人であることは確かで、その寂しい布団を冴があたためてやっているのだった。
その沈黙をどう察したのか、藤原が言った。
「…あ、もしかして、力なくおちこんでる未亡人なんじゃね?!」
「未亡人か?! 死別か!? チクショーこの野郎! おいしい! おいしすぎる!!」
…この鋭さはどこから来るのかききたい冴だった。こいつら霊感あんのか?!と思った。
「…いい加減にしろ。うちの家主は男だ。」
冴は二人の妄想を打ち切ってやるつもりでそういった。
すると根津が言った。
「よし、そうかっ、じゃ、やっぱり買っとけ!!」
…そう言って根津が差し出したのは、『先輩』という題の、ピンクのパッケージの同人誌らしきチップだった。
「ちょっとそこの2年生、五月蝿いぞ。」
教師の声がしたので、冴はさりげなくそのチップをノートに隠してやった。
…歩み寄って来た教師が「図書館は…」などと、ありがちな説教を始めた。