06.まだ出会われていないだけ
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トラヴァスはなにを考えているかわからぬ表情で、ルティーをジッと見つめている。精察されているのだ。ルティーの今後の発言如何で、きっとこの人は敵にも味方にもなるだろう。正念場だ。
ルティーはふうっと息を吐き出し、呼吸を整えた。そして吐き出す息は、穏やかな問いとなって彼に語りかける。
「トラヴァス様は、誰のために戦っておいでですか?」
「無論、ストレイア国民のために」
ルティーの問いに、滞ることなく返事がきた。
「それは、本当のことでしょうか」
「……なに?」
ルティーの言葉に、トラヴァスは少し眉間に皺を寄せた。彼はこの発言を、当然のことながら快く思ってはいないだろう。
「トラヴァス様がおっしゃっていることは、建前ではありませんか?」
「建前、だと?」
「はい。今から小娘が生意気を言いますが、どうかご了承くださいませ」
「いい、続けてくれ」
こういうことを聞かずにはいられないのがトラヴァスのいいところだと思う。ルティーは惑わずに、まっすぐに視線を向けた。決して威圧はせず、どこまでも純粋な瞳を。
「トラヴァス様がストレイア国民のために戦っているのは真実だと思っております。けれど、本当にそれだけでしょうか。特別な誰かのためにその頭脳を生かし、剣を振るってはいませんか?」
「例えば?」
「例えば、恋人や、家族のために」
「恋人とは前に別れてからそれきりだ。家族は守るべきストレイア国民に位置付けしている。特別視しているつもりはない」
「ではまだ出会われていないだけですね」
「……む」
一拍待っても言葉の続かないトラヴァスに、ゆっくりと、そして堂々とルティーは語り始めた。
「『特別な誰か』に出会った方々を、私は知っています。その人のために戦うことで、どれほど強くなれるのか。……トラヴァス様はまだ、ご存知ないのでしょうね」
こんな不遜な態度を取って、内心肝が冷えた。一か八かの賭けだ。生半可な方法で、この人を説得できるはずなどないのだから。
「命を懸けられる対象が、会ったことも見たこともない人、というのが私には信じられません。それが騎士道精神だというのなら、その通りなのでしょう。でも私は騎士ではありません。見ず知らずの国民のために命を懸けることはできないんです。私が戦場に赴くのは、そこに特別な誰かがいる時だけです」
「その特別な誰かというのが、アンナだと?」
「はい、その通りです」
言ってやった。言い切ってやった。悔いはないが、反応が怖い。
トラヴァスは変わらずルティーの瞳を覗き込むように見ているだけで、なんのアクションもない。この沈黙の時間が酸素だけを食い尽くしているかのように、どんどんと息苦しくなる。
二人は互いを探るように目を見つめ。
そして厳しい目をしたままのトラヴァスが、口を開いた。
「……最後にひとつだけ聞こう。なぜ、アンナなのかを」
トラヴァスからの最後の質問。彼の揺らぎが感じ取れる。ルティーの背水の陣は無駄ではなかったようだ。この答え方ひとつで進退が決まるに違いない。しかしその問いに対する答えなど、決まっていた。
「人に惹かれるのに、理由があるのでしょうか。私はアリシア様に惹かれ、そして偶然その娘であるアンナ様に惹かれただけです」
「……偶然、か」
真っ直ぐに告げるとトラヴァスは鼻でフッと息を出すようにし、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
「偶然ならば仕方ない。通達の書類を渡しなさい」
「え……? は、はい!」
慌ててルティーは通達の書類をトラヴァスに差し出した。今のは了承、ということでいいのだろうか。あっさりと言われてしまい、どこか半信半疑でトラヴァスの様子を見守る。
書類を手にしたトラヴァスは、己のペンで文字を書き加えていた。文官と字を似せるのに苦労しているようだ。
そしてその作業が終わると、トラヴァスはそれを持ったまま立ち上がった。
「一緒に来なさい。アンナの付き人にさせてやろう」
「は、はいっ!!」
あまりの嬉しさで、夢の中にいるかのように目の前に霞がかかる。ソファから立ち上がったまではよかったが、数歩進むと足元が覚束なくなり、ルティーはその場にへたんと座り込んだ。
「ルティー?」
「は……あ……よ、よかったぁ……」
そんなルティーを見て、トラヴァスは苦笑しつつも手を差し伸べてくれた。ルティーはその大きな手を取り、なんとか立ち上がる。
「私とあれだけの問答ができるなら、直接アンナ相手でもどうにかなったのではないか?」
「いいえ、直接ですと、どうしてもアリシア様のことを全面に出されてしまうでしょうから……」
「まぁそうだな。第三者が言う方が効果的だろう」
あっさりと肯定しながらトラヴァスは歩き、ルティーはそれに続く。そしてアンナの執務室にノックをし、入っていった。
「ああ、トラヴァスか。どうした?」
そう言ったアンナの部屋は、本や書類が棚や机から出されて雑然としている。筆頭大将用の執務室に移動予定なのだろう。つまりは、アリシアの執務室に。
「片付け中か、忙しそうだな」
「まぁな。前筆頭大将の部屋も片さねばならんし、しばらくは引越しと書類整理になりそうだ」
「手伝おうか」
「有難いが、遠慮しておく。どこになにがあるか自分で把握していなければ、後々面倒だからな」
「ああ、言い忘れていたが、手伝うのは俺じゃない。ルティーだ」
そこでアンナは初めてルティーに顔を向けた。その顔は訝しげに眉を寄せている。
「ルティーが? なぜだ?」
「アンナの付き人になるそうだ」
「なに?」
アンナの顔が険しくなった。トラヴァスも単刀直入に切り出したものだと、その手腕を見守る。
「私はルティーを付き人にするつもりはない。お前も知っているだろう」
「ああ、それなんだがこれを見てくれ」
そういうとトラヴァスは、先ほど手を加えた通達書をアンナに見せた。
「これは……ルティーの配属通達書? 配属先は、医療班か……私の付き人、だと!?」
アンナはその紙をくしゃりと握っていた。怒りはもっともだろう。彼女はそんなこと、一言も言っていないはずなのだから。
「どういうことだ、トラヴァス!」
「ああ、すまん。どうやら書士が勘違いをしたようでな。俺もそのミスに気付かず、判を押してルティーに回してしまった」
トラヴァスはまったく悪びれもせずそう言った。なんという大胆な作戦。こんなことでうまくいくのだろうか。
「ルティーがアンナの付き人にというものでな。どうだ? 彼女を付き人にしてみては。ルティーならばアリシア様の部屋の書類は熟知しているし、この引越しも手伝わせればアンナの物も整理できるはずだ。アンナ自身がすべてを覚えこむ必要はなくなる」
「そんな理由でルティーを付き人になどできない。まだ彼女は十一歳なんだぞ」
「医療班に配属になるにしろ、アンナの付き人になるにしろ、彼女は働かなければならないんだ。希少な水の魔法士をやすやすと手放すことがあっては、いくら筆頭大将と言えども進退に関わってくる」
「トラヴァス……脅すつもりか?」
「いいや。私は事実を述べたまでだ」
ピリ、と空気が軋んだ。アンナ相手だと、ここまで挑発と脅しを明らさまにしなければいけないのだろう。自分にこれができただろうかと考えて身震いする。やはり、トラヴァスを味方につけておいて正解だった。
「アリシア前筆頭大将がルティーを医療班に配属させず、手元に置いていた理由がわかるか?」
「なに? ……ルティーが付き人を望んだから、という話は聞いていたが」
その通りだ。自分から願い出て、ルーシエがアリシアを説得してくれた。だからルティーはアリシアの付き人になれた。
「この王宮で働く者は、ほとんどが十八歳を超えている。医療班も、オルト軍学校で厳しい訓練をくぐり抜けてきた者や、学校で専門知識を学んできた者ばかりだ。そんな中にただ水の書を習得させられただけの子どもが、なんの苦労もなく入ってみろ。どうなるかは火を見るより明らかだろう」
「それは、そうだが……」
なんだかデジャヴだった。トラヴァスはあの時のアリシアとルーシエのやり取りを見ていたとでもいうのだろうか。彼の説得はさらに続く。
「アンナにとって悪い話ではあるまい。そもそもアンナが今まで付き人らしい付き人をつけなかったのは、信用の足る人物がいなかったからだろう? 極秘扱いの書面が多くなると、どうしても疑心暗鬼になるからな。重要な情報を売られでもすれば、一発で一般兵に格下げだ」
「わかっているなら彼女を連れて出ていってくれ」
「だからこそ、ルティーが最適だというのだ。アリシア前筆頭大将を死なせた罪の意識のある彼女が、その娘であるアンナを裏切るわけがあるまい?」
そんな風に説得するとは思ってなかったルティーは、顔が引きつった。できればアリシアを死なせたなどということは言ってほしくなかったが……しかしアンナの顔を見ると、今までとは違い、少し情のある瞳をルティーに向けてくれている。
「ルティーにしても、一人で医療班に放り込ませるのは酷というものだ。筆頭大将の付き人という肩書きを得て、その庇護下に置くことでこそ、この王宮を生き抜ける。つまり双方にとってメリットしかないわけだが?」
話の持って行き方がうまい。こうも反論の糸口を容赦なくシャットアウトされては、ルーシエ並の頭脳がある人間でなければ言い返すことはできないだろう。
事実アンナも、トラヴァスの言葉にフーッと息を吐いた。そして最初に渡されていた通達の書類をトラヴァスに見せる。
「まったく、お前という奴は……この書類も、お前が捏造したな?」
「おや、バレてしまったか」
トラヴァスは相変わらずの無表情で、特段悪びれる様子もなく肯定した。
「で、トラヴァスがこんな捏造までした理由を聞こうか」
「二人にとってよりよい形をとると、こうなっただけだ。格好よく言い換えるなら、今後のストレイア王国の要となる人物に、良質な環境を与えるため、といったところだな」
トラヴァスがとどめを刺すと、アンナは「まったく」と口の端を上げた。
(もしかして、この流れは……!)
ルティーの胸はトクトクと注がれる水のように細かに波打ち、器から溢れんばかりに期待が高まっていく。そしてそれを抑え込むように、耳を澄ましてアンナの言葉を待った。
「捏造の件は不問にしておいてやる」
「それは有難いな。今度夕食でも驕ろう」
「その辺の安価な店なら許容できんが?」
「心得ているさ」
珍しくトラヴァスがにっと笑い、アンナもまた口の端を上げた。そしてアンナはルティーに体を向け、トラヴァスに見せた笑みとは別物の、少し柔和な笑みになる。
「そういうことだ、ルティー。私の付き人になってもらえるか?」
心臓が大きく膨らんだのではないかと思えるほど、ドキンと鳴った。好きな人に告白をして、了承を得られた時というのはこんな感覚だろうか。
頭に衝撃を受けたかのようにクラクラとし、視線は一点集中、アンナしか見えない。
「あの……本当に……!?」
「実のところをいうと、付き人がいない環境は限界だったんだ。書類の整理を任せられる者がいると、助かる」
「はい……はいっ! 私、一生懸命頑張ります!」
アンナが微笑みながら近づき、ルティーに手を差し出してくれる。
(アンナ様の……付き人……!)
強く、美しく微笑む女神の、その温かな手を。
ルティーは震える両手で握り返した。




