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あなたを忘れるべきかしら?  作者: 長岡更紗
第三章 ジャン&ルティー編

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03.アリシアの最期の言葉を

 筆頭大将アリシアの葬儀の日は、晴れだった。

 彼女は今、まっさらな騎士服に身を包み、棺桶の中で眠っている。


「ジャン……アリシア様に、最後の挨拶をしましょう……」


 ルーシエが、ジャンの背中をそっと押してくれた。

 彼もまた、アリシアの亡骸を見た瞬間、崩れ落ちた一人だ。アリシアに憧れ、ひたすらに努力をし、人生をアリシアに捧げてきたルーシエ。平静を保っているようでも、顔色は悪く、ジャンを押し出す指先は震えている。

 フラッシュ、マックス、そしてルーシエが、アリシアとの最後の別れを済ませる。そばにはアンナが控えているが、彼女の目を見ることはできなかった。

 ジャンは棺桶に歩み寄り、美しく化粧をされた彼女の顔をしっかりと見つめる。

 帰ったら、結婚をするつもりだった。

 誰より幸せになれると思っていた。

 まさか、こんな結末が待っていようとは。


「アリシア……」


 好きだった。愛していた。

 やっと手に入れられるはずだったのに。


 ジャンはそっとアリシアに手を伸ばし、頬をなぞる。

 吸い付くほどの美しい肌は、揺らぐことのない湖面のような静謐さを保ち、冷涼にジャンを迎える。

 そんな彼女に、ジャンはゆっくりと己の顔を近づけた。


(アリシア……)


 ジャンの緑眼から、一筋の涙が溢れ落ちる。

 触れ合った唇に温もりはなく、ただただ無機質だった。


 それでもジャンは。

 初めて触れ合えた喜びを噛み締める。

 この感触を忘れぬように。

 アリシアとの、最初で。

 そして、最後の口付けを。


 そうしてジャンは、ゆっくりとその唇を離した。

 二度と触れ合えぬ悲しみが押し寄せ、その場に立ち尽くしてしまいそうになる。

 アリシアの綺麗で明るい緑色の瞳を、せめて最後に見たかった。


「あなただったのね……」


 そんな声が、ジャンを我に返らせる。


「アンナ……」

「母さんの恋人。気がつかなかったわ……」


 アンナはそう言って、少し肩を竦めた。

 ジャンはこの場を逃げ去りたい気分だった。アリシアの娘であるアンナに、どう謝罪していいのかわからない。実際、ジャンは逃げるようにして次の弔問客と入れ替わった。


 謝らなければいけない。わかっているのに、それができない。


 ジャンは、フェルナンドとターシャが死んだ時のことを思い出す。あの時も、アリシアに謝ろうとした。でも、どうしても勇気が出なくてできなかった。

 それだけではない。グレイが死んだ時も、アンナになにも言えなかった。そして、今回も……。


 仲間の元へと戻り、遠くから見るアンナは『筆頭大将』の顔であった。一晩泣き明かしたであろう目元は隠せていないが、それでも凛として弔問客の相手をしている。グレイの葬儀の時よりも、確実に成長している彼女を見て、ジャンは込み上げるものがあった。

 そしてふと思い返す。アリシアの、最期の言葉を。


 ……アンナ……


 その言葉を最後に、アリシアは口を噤んだ。なにかを言いたそうにして、しかしそれを飲み込んでいたように思う。それがなんだったのか、ジャンにはわからない。わからないが、彼女の最期の言葉を、アンナに伝えないわけにはいかないだろう。

 今までのように逃げてはいけない。この葬儀が終わったら、アリシアの最期の言葉を告げ、謝らなければならない。


 葬儀は、その参列者の多さから、長時間に及んだ。アリシアが、皆に慕われていたことがよくわかる。

 やがてアリシアが土の中に消えると、人はポツリポツリといなくなった。そしてアンナの周りに数名しかいなくなった時、ジャンは意を決して彼女に歩み寄る。アリシアが最愛の娘を、死の間際に気にしていたことを伝えるために。


「アンナ……」

「ジャン」


 トラヴァスとカールに囲まれていたアンナは、ジャンに体を向けた。先ほどは持っていなかった紙が、クルクルと巻かれてアンナの小脇に抱えられていた。


「アンナに、アリシアの最期の言葉を伝えに来た」


 率直に目的を告げると、アンナはハッとして顔をあげている。そして唇をキュッと締め、覚悟を決めたようにコクリと頷いた。その顔立ちは、相変わらず雷神を思い起こさせる。


「アリシアの最期の言葉は、『アンナ』だった。アリシアはアンナの名を呼んで、なにかを伝えたそうにして……けど、なにも言うことなく……逝ったよ」


 アンナはジャンの言葉を聞くと睫毛を伏せる。それでも最期に自身を気にしていてくれたことを喜ぶように、少し微笑んでいた。


「母さんが……そう。ありがとう、ジャン。母さんを看取ってくれて」


 アンナの言葉に、ジャンは声を詰まらせた。ありがとうなどと言われる立場にない。こちらが謝罪しなければいけないのだから。


「……アンナ……」

「ジャン、ミダという女性は知ってる?」


 ジャンが口を開くと、アンナはそれを遮るように、ジャンの孤児院時代の仲間の名を告げた。


「ミダ? まぁ、知り合いだけど……」


 そう答えると、アンナは脇に抱えていた紙をそっと取り出し、それを広げる。こちらから、それがなにかは見えない。


「母さん……ジャンの前では、こんな顔をしてたのね……」


 アンナは驚くほどの柔和な笑顔を見せ、そしてその紙をこちらに向けて渡してくれた。

 その瞬間、ジャンの淀んでいた心が、暖かな春の風が舞い込むように洗われる。

 アリシアと過ごした時を、鮮やかに、克明に脳裏に映し出した。

 それはアリシアの、ジャンへの気持ちを露わにした表情を、細密に描き上げている絵画。

 互いを見つめる瞳が、今ならわかる。この時、この瞬間、すでに二人は強く惹かれ合っていたのだと。


「……アリシア」


 またも熱いものが込み上げてきた。

 ミダの描き上げたこの絵を、アリシアは見ずに逝ってしまった寂しさが募る。


「ミダは私にくれたけれど……あなたが持っていた方がいいかと思って」

「ああ……欲しい……」


 ジャンが素直にそう答えると、アンナは少し目を細めて頷いている。

 写真のようなアリシアの絵を、アンナが欲しくないはずはなかっただろう。それでもなんの抵抗もなく譲ってくれたことに感謝した。

 と同時に、ジャンはジャケットを探る。その中にあるのは、一冊の古い本。


「アンナ……これを」


 ジャンは、アリシアが身につけていた救済の書を取り出した。本来なら、これをアリシアの形見としてもらおうと思っていた。しかしこの絵を頂けるならば、こちらはアンナが持っておくべきだろう。


「これは……母さんの……」


 ジャンが差し出すと、アンナはゆっくりそれを受け取った。そして割れやすいガラスを手にするように、そっと優しく抱きしめている。


「アリシアと、その書に俺は助けられた。……ごめん、俺のせいなんだ。アリシアが亡くなったのは……」


 ジャンは己の罪科を、初めてちゃんと口にして謝った。最愛の人を亡くしてつらいのは自分だけではない。アンナも同じなのだ。その死の真相を、彼女は知る権利がある。そして、ジャンを裁く権利も。

 アンナはジャンの謝罪の言葉を聞いて、ゆっくりと顔を上げた。その顔はどこかアリシアを思わせるような笑みで、ジャンは思わず息を詰まらせる。


「あなたを救えたのなら、母さんは本望だったはずよ。謝る必要なんてないわ」

「アンナ……」

「ありがとう、母さんを愛してくれて」


 アンナの言葉になにも言えなくなる。感謝される資格が自分にあるのだろうかと。アンナの優しい瞳を見ていられず、ジャンは彼女に背を向けた。


 その先に見えるは、己が仲間たち。ジャンが一歩一歩、歩み寄ると、彼らがジャンを抱え込むように迎えてくれる。

 こらえきれなくなったジャンは、泣いた。(むせ)び泣いた。

 アリシアを愛した自分を、誇りに思いながら。

 二度と彼女に触れ合えぬ、悲しみにくれて。

 強い日差しは、まるでアリシアのように明るくさんさんと彼らに降り注ぎ。

 そんな光の中で、仲間に囲まれながら、ジャンはいつまでも泣いていた。

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