66.さぁ、どうしようかしらね
ジャンに誘われるまま中に入るとそこには広いロビーがあり、穏やかな従業員たちに迎え入れられた。
ジャンは迷うなくカウンターに進むと、予約を入れた旨を伝える。しかし、ここで返ってきた言葉が予想外のものだった。
「ジャン様ですね。本日のご予約はキャンセルとなっております」
「……え?」
ジャンは顔を顰めた。予約をキャンセルなど、ジャンがするわけがないだろう。もちろんアリシアもしてはいない。ここに泊まることなど、知りもしなかったのだから。
「どういうことだよ。俺はちゃんと予約を入れたし、キャンセルなんかしてない」
「銀髪のきれいな方が現れまして、今日は泊まれなくなるだろうから、キャンセル扱いにしておいてほしいと言われました。伝言も預かっています」
ルーシエだ、と小声で呟いたジャンは、フロント係から小さなメモを奪うように受け取った。アリシアも同時に中を覗き見る。
「緊急事態、すぐ戻ってください……ルーシエ」
簡潔過ぎる内容から、相当急いでいることが見て取れる。アリシアはフロント係に食ってかかるようにして聞いた。
「この男が来たのは、いつ頃!?」
「二時間ほど前です。心当たりを探すから、ここに来ない可能性は高いと言われ、やむなくキャンセルとさせていただきました。申し訳ございません」
ちょうどその時間、食事を終えてジョルジュの家に向かっていたところだ。さすがのルーシエも、ジョルジュの家に行ったことまでは読み切れなかったのだろう。もしかしたらそれすらも読んでいて、ジャンが和解する時間をくれたのかもしれないが。
しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
「戻るわよ! ジャン!!」
「……っくそ」
ジャンは悔しそうに舌打ちをし、踵を返して走り出したアリシアについてきた。
悔しい気持ちはアリシアも同じだ。心を決めてようやくという時に、間が悪い。
とにかく、今はなにが起こったのかを確認する方が先決である。ジャンと過ごす時間は、この先いくらでもあるのだから。
城の敷地に入ったところから、すでに何人もの兵が戦の準備をしている。その物々しい様子から、確かに緊急事態ということが伺えた。
アリシアは自身の執務室へ急ぎ、扉を開け放つと同時に叫ぶ。
「ルーシエ、戻ったわ! なにがあったの!?」
そこにはルーシエ、マックス、フラッシュ、ルティーが顔を連ねている。一同は入ってきたアリシアとジャンを見て、ほっとしたような顔を見せた。
「アリシア様。時間がありませんので、ご自身の部屋で戦闘の準備を。説明はルティーがいたします」
「アリシア様、お早く」
アリシアの横をすり抜けて、ルティーが部屋を飛び出す。アリシアはそんな駆け足のルティーに小走りでついて行く。ジャンはルーシエに呼ばれて執務室に入っていったようだ。アリシアはルティーとともに、自身の部屋へと入った。
「なにがあったの?」
私服を脱ぎながら聞くと、ルティーは騎士服を準備しながら説明してくれる。
「ストレイアの南西で反乱が起こりました。ルーシエさんによれば、金鉱が採れる小さな村だそうです」
「ヤウト村ね」
「はい」
本来はそこはストレイアの領地ではなかった。アリシアが生まれた頃に、その金鉱を目当てに、ストレイア王国が武力を持って強奪した村である。
「ヤウト村に、反乱を起こせるだけの力はないはずだけど」
アリシアは、ルティーが差し出してくれた騎士服に袖を通した。
「献上するはずの金鉱を、少しずつくすねていたようです。それで他国から傭兵を雇い、反乱を起こした、というのがルーシエさんの見解です」
「そう。で、現在の状況は?」
「南西ヤウト村から起こった戦乱は、現在膠着状態。ヤウト村は人口こそ少ないですが、大きな鉱山地帯のため、包囲は難しいようです」
「鉱山地帯……」
採掘のために掘られた穴が、どこに繋がっているかわかったものではない。包囲は実質的に不可能であろう。油断をすると後ろを取られかねない。
アリシアは剣を装着するためのバックルを、ウエストと胸の二箇所でカシャンと留めた。
「敵兵の数は不明ですが、どうやら有名な武将が……ん、重っ」
「剣はいいわ、危ないわよ」
ルティーが運ぼうとした大剣を、アリシアはヒョイと背中に装備した。準備が完了したアリシアは、ルティーとともに再び執務室へと急ぐ。
中に入るとジャンも戦闘服姿になっていて、どうやら説明も受けたようだ。
「準備はよろしいですか、アリシア様」
「ええ、いいわよ」
「では、詳しい戦況と今回の戦術の説明を致します」
ルーシエからわかり得る限りの敵兵の情報を頭に入れ、今回の地形を頭に入れ、戦術も頭に叩き込んだ。
「基本戦術はこのように。後は現場で臨機応変に対処をお願いします」
「ルティーも連れていくの?」
「はい。この位置での後方支援に危険はないはずです」
ルーシエの判断に、アリシアはルティーを見る。何度か小競り合い程度の戦には参加させたことはあったが、今度はそうはいかないだろう。まだ幼いルティーを、できれば連れていきたくない。
そんなアリシアの思いを読み取ったのか、彼女は強い語調で訴えてきた。
「大丈夫です! どうか、私に経験というチャンスをお与えくださいませ!」
ルティーの瞳を、アリシアは希望と捉えた。ルティーにも、なにかを与えられたのかもしれないと。ルティーの夢見るものが、一流の水の魔法士であるのかもしれないと。
「わかったわ、一緒に行きましょう。今まで以上の凄惨な光景を見ることになるかもしれないけれど……」
「覚悟しています!」
ルティーの決意を聞くと、アリシアは頷いた。
「ではルーシエ。あなたは早急に増援部隊の編成を」
「かしこまりました」
アリシアは己の右手を胸に当て、目を瞑った。
出発前の、アリシアのいつもの儀式。
脳裏に映るものすべてを、守れるようにと。
アリシアはゆっくりと目を開け、そして鋭い視線を前に向ける。
「ジャン、マックス、フラッシュ、ルティー。今から現地に急ぐわよ!」
「うん」
「っは!」
「オッス!!」
「はい!」
アリシアは一隊を率いて、王都ラルシアルを出た。
外はジャンと一緒に歩いた時と変わらぬ月夜で、美しい空だ。本当なら今頃は、ジャンと結ばれていたであろうに。まさか兵を引き連れて夜の街道を走ることになるとは思ってもいなかった。
ヤウト村は遠いので、あまりスピードを出し過ぎて途中でバテてはいけない。救護班は馬車に乗ったり乗馬の得意な者に乗せてもらったりしている。救護班警備は配置しているが、あまり離れ過ぎない方がいいだろう。回復の要である彼らが先に襲われることがあってはならないのだ。現地に急ぎたくても急げないというジレンマがアリシアの顔を顰めさせた。
「筆頭! 俺は先に行って詳しい戦況を把握してきます!」
早駆けの得意なマックスがそう言い、アリシアは馬を走らせながら頷く。
「ええ、頼んだわ!」
「マックス、俺も行く。敵兵力を把握しないことには、動けないだろ」
マックスが集団から抜けるのを見て、ジャンもまた馬を走らせた。
「ジャン、気をつけて!」
思わず上司としての喝ではなく、恋人としての言葉が出てきて、それを聞いたジャンは目を細めている。
「ああ、帰ってきたらすぐ結婚だ」
彼もまた、恋人の目をして集団から抜け出していった。今から戦地に向かわなければいけないというのに、別の意味で気持ちが高揚してしまっている。
「あっつ~、ここだけ灼熱地帯だぜ」
隣で馬を走らせているフラッシュに目を向けると、こちらを見てニカッと笑っていた。
「式には俺も呼んでくれるんですよねっ!」
「さぁ、どうしようかしらね」
「ひっとーぅ」
そりゃないっすよ、とでも言いたそうな顔を見て、アリシアはクスリと笑った。
「今回の戦闘で、一番の軍功を上げられたなら、呼ばないわけにいかないわね!」
「ひゃっほー! 任せて下さいっ」
アリシアとフラッシュは、何人もの部下を引き連れて現地へと向かうのであった。




