46.救いようがないわ
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「じゃあ明日からよろしくね、ルティー」
「はい、よろしくお願いいたします!」
すぐに手続きを済ませ、ルティーは明日からアリシアの付き人となることが決まった。しばらくはこの執務室で幼年学校の勉強を自分でしながら、アリシアの仕事を見るという形である。さらに水の書との相性度を高めるため、積極的に魔法を使うよう指示していた。
「遅くなっちゃったわね。送るわ、ルティー」
「いえ、私が送ります。アリシア様はジャンのところに」
アリシアの提案はルーシエによって阻まれる。ルーシエにはジャンは休むとしか伝えていないのだが、その瞳が真剣でアリシアは頷いた。
「わかったわ。ルーシエ、彼女をお願いね。ルティー、また明日」
「はい、アリシア様。おやすみなさいませ」
おやすみというには早い時間だったが、アリシアはその言葉に頷いて王宮を出た。そして真っ直ぐに軍の宿舎に向かう。今日も寒い日ではあったが、マックスは国境にいるため彼の家には行っていないだろう。結婚して奥さんのいる家に一人で上がりこむような真似は、恐らくだがしないはずだ。
宿舎はジャンの言った通り寒かった。中に入り寮母に声をかけ、ジャンの部屋を教えてもらう。思えば、初めてここに足を踏み入れるのだ。いつもジャンが会いに来てくれていて、自分からは出向かなかったことがよくわかる。
ジャンの部屋は一階の奥から三番目の部屋だった。扉に消えかかった文字でジャンと書かれていて、アリシアはそっとノックする。
「……今いないから」
そんな声が部屋の中から聞こえてくる。その声は確実にジャンのものだ。
「誰か女の子でも連れ込んでるのかしら?」
そう言うと、少しして部屋の扉が開いた。
「……筆頭」
「酷い顔よ。大丈夫?」
「家に帰らなくていいの」
「そうね……今日はカールがアンナに付き合ってくれてるし、トラヴァスも仕事が終われば家に行ってくれるでしょう。親とは違って、また別の悲しみを吐き出せると思うわ。だから大丈夫」
ジャンはそれを聞いて無言で部屋に戻った。扉は開け放たれたままで、入れの意だと認識したアリシアは、足を踏み入れる。
初めて入った彼の部屋は狭くとも小洒落ていて、センスのよさを窺い知ることができた。ただしやはり、かなり寒い部屋ではあったが。
「筆頭が俺の部屋に来るなんて……初めてじゃない?」
「そうね……宿舎にも初めて入ったわ。これは確かに『アリス』の家に行きたくもなるわね」
ジャンは部屋に一つしかない椅子をアリシアに勧め、自分は突っ立っている。その姿にいつものような色気はなく、立っているのもつらそうな状態だ。
「どうしたの、ジャン……具合でも悪い?」
あまりの顔色の悪さにアリシアは立ち上がって、ジャンを支えるようにベッドに腰かけさせた。必然的にアリシアもその隣に座ることになる。
「風邪? ……熱はなさそうだけど」
己の手をジャンの額に当てるも、むしろアリシアの手の方が温かい。風邪ではなさそうだ。
「風邪じゃないよ……ただ自分に嫌気がさしてるだけだから」
「自分に嫌気……どうして? あなたはグレイの死に、なにも関与していないじゃないの」
「俺のせいだよ……元を辿れば」
アリシアは言われた通り元を辿ろうとするも、どこでどうジャンが関わってくるのかさっぱりわからない。しかしジャンが苦しんでいるのは事実だ。その理由を是が非でも知りたい。
「言って。どうしてそんなに苦しんでるのか。グレイが死んだから、というだけじゃないんでしょう」
そう言うとジャンは己の膝に肘をついて、前髪をグイと上げるように顔を伏せた。
「ジャン?」
「筆頭……俺は自分のせいで、周りの人の人生を狂わせてる……」
「どうしてそう思うの」
アリシアが聞くと、相変わらず顔色の悪いままジャンは答える。
「今回だってこんな悲劇が起こったのは、シウリス様があんな性格に歪んでしまったからだ。そしてその責任の一端は、俺にある。俺があの時、ラファエラ王女を守れていたら……もう少し早く到着していれば……こんなことにはならなかった」
ジャンの思い込みの独白に、アリシアは首を横に振った。
「……ジャン。あれはあなたのせいじゃないし、今回のこともあなたは関係ないわ」
「本当にそう言える。ターシャさんの時だってそうだ。俺はあの人を死に追いやった。なのに一言も筆頭に謝罪することなく、のうのうと生きてる」
眉を寄せ、視線だけでアリシアを見つめる瞳は少し涙で滲んでいる。
「ジャン……そんなことを気にしていたの?」
「筆頭、ごめん……ずっと謝りたかったんだ。ターシャさんの人生も、あなたの人生も……俺が狂わせた……」
ジャンはずっと。あの火事の日からずっと。こんな罪の意識を抱いていたのだろうか。その苦悶の表情で、彼がどれだけ後悔していたかはわかる。しかしそれは、アリシアに言わせればお門違いもいいところだ。
「ジャン、言っておくけど、私の人生は狂わされてはいないわよ。母がいようといまいと、私は筆頭大将となって今と同じ人生を歩んでるに違いないわ。母にしても、最後に助け出したのが偶然あなただったというだけで、きっと死ぬまで誰かを救い出してたはずよ。だからあなたが気にするようなことは、なにもないの」
アリシアはジャンに反論されぬよう、畳みかけるように「それに」と続ける。
「例えば、あなたがラファエラ王女を救うことに成功していたと仮定するとどう? アンナとシウリス様は、ずっと仲良く成長していたかもしれないわ。グレイが入り込む余地なんてないくらいにね。幼い頃からずっとアンナと結婚しようと思っていたグレイは、絶望していたかもしれない。だから……アンナと気持ちの通じ合えたこの人生の方が、きっとよかったんだわ」
「そんなの、屁理屈だよ……俺は、この世に生を受けるべき人間じゃなかったんだ」
ジャンの心の底から出てきた言葉に、アリシアは言葉を詰まらせる。ルーシエから聞いた話では、ジャンは忌むべき子としての扱いを受け、親に要らない子だと目の前で言われて捨てられたという。
ジャンはそうして育ってきてしまったことで、人の人生が悪い方に動いてしまうと、自分のせいだと思い込んで生きてきていたのかもしれない。
「誰にも必要とされてないと思って生きてきたの? ……馬鹿ね……」
「実際そうなんだよ。ロクロウにあなたを頼むと言われた時は、俺を頼ってくれる人がいて嬉しかった。だから俺は、あなたの力になりたいと思った」
ジャンは言葉の通り、ずっとアリシアのために邁進してきたのだろう。雷神に頼りにされたことが嬉しくて、それがジャンの人生の目標となっていたのかもしれない。アリシアは、かつて雷神が『なにかを見つけられた奴の目は変わる』と言っていたことを思い出す。
「けど結局、あなたにとって俺は……必要な人間じゃなかった」
ジャンがその言葉を発した瞬間、アリシアはジャンの両頬をバチンと叩く。そしてそのまま顔をグイと自分に向けた。
「なにを言ってるの!! 私があなたを必要としてない!? 本当にそう思ってるのなら、救いようがないわ!」
「アリシア……筆頭」
驚いたように目を広げるジャンに、アリシアは続ける。そんな考えを持っているジャンが、どうしても許せない。
「私だけじゃない……ルーシエだってマックスだって、フラッシュだって! あなたにとって彼らはなんなの? 単なる仕事仲間というだけ? 違うでしょう!!」
「俺にとっては必要な奴らでも、相手にとってそうだとは限らないだろ」
冷めた口調で言われ、アリシアは惻隠の情をジャンに向けた。
「……救いようがないわ、本当に」
「救ってよ、アリシア」
ジャンの頬に当てていたアリシアの手を、彼はゆっくりと掴んで顔から離す。
「俺は誰より、あなたに必要とされたい」
そう言われるのは嬉しい反面、納得のいかない言葉だった。すでにアリシアはジャンを必要としているし、彼の存在を認めているのは自分だけではない。それをどうにかして伝えたい。
「どうすればいいの? どうすればジャンは、私に必要とされてると感じるの?」
「俺に抱かれて。俺を受け入れて」
そう言って伸びる手を、アリシアは身を逸らして躱す。そしてジャンから逃げるように立ち上がった。
「……っ、筆頭」
「そんなことであなたは必要とされていると感じられるの? なら、今まであなたを受け入れてきた女性たちは、みんなあなたを必要としていたということになるわ。でも、違うんでしょう」
アリシアの言葉に、ジャンは反応を示さなかった。つまりそれは、肯定の意味に違いない。
「だから抱かれたりしない。そんなことをしなくても私はあなたを必要としているし、ルーシエたちも同じ気持ちなのよ。それを理解してくれるまでは、あなたには抱かれたくないの」
そう言うと、ジャンの顔がほんの少し緩んだ。『あれ?』というように。その表情の意味がわからず、アリシアはジャンの次の言葉を待つ。
ジャンはアリシアの言葉を頭で復唱しているようで、その唇が声なく動かされていた。そしてその意味をジャンは言葉にする。
「……俺がみんなに必要とされてると思うことができれば、あなたは俺に抱かれてくれるんだ」
ジャンの言葉に、アリシアの顔はカッと熱くなった。しかし、つまりはそういうことだ。あの時、アリシアはジャンに抱かれることを拒まなかったのだから。
「ええ、まぁ……そう、ね」
「わかった。俺はみんなに必要とされてる」
「変わり身早いわよ、ジャン!」
「筆頭よりマシだよ」
ジャンは立ち上がりアリシアを掴むと、抱き締めようとその腕を引っ張ってくる。しかしアリシアはそれに抵抗し、己の腕を引き外した。
「だめ、ジャン……」
「……なんで」
「あなたと結ばれると、浮かれてしまいそうな自分がいるのよ」
「いいよ、浮かれなよ」
「今は、だめだわ」
「……なんで」
不服だと言わんばかりに問われたアリシアは、申し訳なさから目を伏せた。
「アンナは、婚約者を失ったばかりなのよ……」
「それとこれとは話が別だろ」
「娘の気持ちも考えられないような親には、なりたくないの」
今度はジャンの方がアリシアから顔を背けた。そしてボソリと呟く。
「……また俺は待たされ坊主か」
今まで散々待たせてきた。その挙句、彼を受け入れるような言動をしておきながら、また保留という事態になっているのだ。さすがのアリシアも、この状況に罪悪感が募る。
「ごめんなさい。もう少しだけ待って」
「もう少しって、いつ。二年、五年、十年?」
ジャンは苛立ちというより、諦めに近い様子で尋ねている。そんな彼に、アリシアは真摯に答えた。
「アンナの悲しみがある程度癒されて、あなたが仲間に必要とされていることを実感できた時」
「また曖昧だな……」
「私もロクロウをちゃんと諦められるだけの時間がほしいの。でも必ず一年以内に心を決めるわ」
雷神を諦めると口に出すと、途端に胸が苦しくなる。しかしこの先ジャンを選ぶとするなら、かつて愛した者のことを忘れなければ前に進めなかった。
「……わかった。ここまで待ったんだ。期限が決められただけ、有り難いよ」
「ジャン……」
少し微笑んだジャンを見て、アリシアもまたホッと笑顔を向ける。
ジャンは皆に必要とされている人間なのだということを、認識させてあげたい。そうして心の傷を癒し、今まで思い込んでいたことは間違いだったのだと気付かせてあげたい。
そう思うと、途端にジャンのことを愛おしく感じ始めた。
「筆頭、そろそろ出て。その顔、たまらなくなるから」
「あ……ら……ごめんなさい」
退室を促され、アリシアは素直に扉に向かう。一体どんな顔をしていたというのだろうか。アリシアはほんの少し熱くなった自身の頬に触れながら、ジャンの部屋を出る。
「おやすみ、筆頭」
「おやすみ、ジャン」
向けられた笑みを独り占めにし、アリシアは熱い息を吐きながら扉を閉めたのだった。




