45.アイアースってなに……?
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黒い服に身を包んだ一団が、丘の上を支配していた。
その葬儀の参列者の数で、彼がどれだけ多くの人に慕われていたのかがわかる。さらにそこには人の姿だけでなく、なぜか犬猫の姿まであった。
「ルーシエ。なにかわかった?」
「いえ。シウリス様がグレイ様に剣を振るわれた理由は、誰にも」
「現場に居合わせた者は?」
「真っ先に駆けつけたのがアンナ様。次にトラヴァスさん、そしてルティーだそうです」
「トラヴァスに話は聞いたの?」
「まだ詳しくは。彼も色々と駆け回ってくれていたので、ゆっくり話を聞く暇はありませんでした」
アリシアはトラヴァスの姿を探し、そして見つける。彼も喪服に身を包み、グレイに別れの挨拶をして戻ってきた。アリシアはそんな彼に近寄る。
「トラヴァス」
「アリシア筆頭」
「聞きたいことがあるわ」
「なぜグレイが死ぬことになったのか、という質問ならお答えできません。私にもわかりかねますので……」
「じゃああなたがその目で見た状況を、詳しく聞かせてちょうだい」
そう言うとトラヴァスは首肯し、話し始めた。
「私は王宮に来ていたルティーとともに、アンナ様の執務室を訪れていました。しばらくして、不意になにかが倒れるような衝撃音がしたのです。直後、アンナ様は聖騎士の盾を手に、部屋を飛び出していきました」
聖騎士盾というのは将に昇格した際に賜る物で、ほとんどの将は部屋に飾るだけの装飾品代わりにしているものだ。アンナは盾を操れるので、それを重宝しているようだったが。
「アンナ様を追って行き着いた先は、シウリス様の執務室。そこには倒れ伏したグレイ様と、その前に立ち、盾で彼を守るアンナ様。その姿は……」
しかしトラヴァスの言葉はそこで切られた。言う必要がないと判断したのだろう。彼の説明は簡潔でわかりやすく、その状況が目に見えるようにわかった。これ以上聞き出したところで、なにも出てこないだろう。彼の目は、少し離れたアンナを捉えたまま、動かない。
「ありがとう、トラヴァス。もういい……」
「まるで、アイアースのようだった」
アリシアが会話を終えようとすると、トラヴァスはボソリとそう言った。アリシアに知らせるためというよりは、心の声が勝手に漏れ出た、というように。
トラヴァスはしばらくそのままアンナを見ていたが、やがて「失礼いたします」とアリシアの前から離れていった。
トラヴァスとの会話が終わると、少し離れていたルーシエがいつものようにアリシアのそばへと控える。アリシアは去っていった彼を見ながら、ルーシエに問いかけた。
「ルーシエ、アイアースってなに……?」
「北方の神話に出てくる英雄の名ですね。確か、踵に矢が当たって死んだアキレウスという神の遺体を、それ以上傷つけられぬように盾で彼を守ったのが、アイアースだったはずです」
「……そう」
ということは、アンナが駆けつけた時、グレイは事切れていたのだろう。グレイの遺体を必死に守るアンナの姿がありありと目に浮かび、睫毛を伏せた。
「葬儀は終わりです。戻りましょう。アンナ様はトラヴァスさんが掛け合ってくれたおかげで喪失休暇扱いになっていますが、アリシア様まではそうはいきませんので……」
「……そうね」
まだ結婚していなかった二人は書類上他人であり、喪失休暇が使えるはずもなかった。が、トラヴァスが手を尽くして、喪失休暇扱いにしてくれたのだろう。将になったばかりのアンナを降格させないために。そして友である死んだグレイのためでもあるようにも思えた。
王宮に戻ろうとしたアリシアがふと見ると、そこにはジャンの姿があった。ジャンはアンナに声をかけようとし、しかしそれをやめて言葉を飲み込んでいる。
それは、デジャヴだった。遠い昔、アリシアの両親が死んだ時。幼き日のジャンはその葬儀でアリシアを見て、なにかを言いたそうにしていた。結局話しかけられることはなかったが、あの時ジャンはなにを言うつもりだったのだろうか。
「ルーシエ、先に行っててちょうだい。後でジャンと戻るわ」
そう告げると、アリシアはジャンの元へ向かった。ジャンはこちらに気付き、アンナになにも言わず、アリシアに向かって歩いてくる。
「どうしたの、ジャン。アンナに言いたいことがあったんじゃないの?」
「……別に……」
「別にって顔じゃないわね。言いにくいことなら私から伝えるわよ」
そう言うも、ジャンからの応答はなかった。しかし沈鬱な表情をされては放っておけず、アリシアはジャンを見つめる。
「どうしたの? あなたがアンナのために心を痛めてくれるのは有難いけれど……」
「違うんだ、筆頭……俺のせいだ……」
「……なんの話?」
ジャンは苦しそうに顔を歪め、アリシアから視線を外した。ジャンの言わんとすることがわからず、アリシアは彼に詰め寄る。
「ジャン……どうして自分のせいだなんて……」
「ごめん。俺、今日は仕事休ませてもらうから」
通常勤務ならば今日はジャンは休みの日だ。それに文句をつけるつもりはないが、あまりに悲しい瞳で逃げるように去って行くジャンを、アリシアは心にさざ波を立てながら見送った。
葬儀が終わり、アリシアは娘に一声かけるためにその姿を探す。
人がまばらになったグレイの墓の前で、アンナは立っていた。その目に涙はなく、ただ苦しそうに顔を歪めて胸を押さえている。アンナの隣にはトラヴァスとカールの姿があり、アリシアは三人に近寄った。
「アンナ……私は仕事に戻らなければならないけど……」
アンナは声を発することなく、ただ無言で頷いている。それを見たカールが、彼も苦しげにアリシアを見て言った。
「アリシア筆頭……俺、今日は休みなんで、アンナのそばにいます」
「そう……ありがとう。よろしくね、カール」
「頼むぞ、カール……」
トラヴァスがその場を後にし、アリシアもまたカールにアンナを託して王宮に戻った。
その日アリシアは国境警備隊の選抜をし、各隊士に通達をする。明朝に出発し、夜中に現地に着く予定だ。あちらにいるマックスとフラッシュが戻ってくるには、まだ日にちを要するだろう。
その作業の最中、アリシアはシウリスと廊下で出会った。アリシアが敬礼すると、シウリスは一瞥しただけで去っていく。
どうしてグレイを殺したのか、とは聞けなかった。
シウリスを纏うオーラがいつにも増してドス黒く感じ、話しかけられるような状態ではなかったのである。例え聞けたとしても教えてはくれないだろうが。
グレイの死は、すでに不敬罪として処理されていて、なにを聞いても適当を言われて終わりにされるとわかっていた。
(結局グレイの死の真相は、わからずじまいになってしまうのね……)
グレイの名誉を守るためにも、不敬罪という悪歴を払拭させてやりたい気持ちはあった。しかしシウリスという存在を知り、グレイという人柄を知っている者ならば、グレイが無実だということは推し測れるものだろう。
──危険を冒してまで、俺の名誉を守ろうとしなくていい──
そんな声がどこからか聞こえたような気がして、アリシアは口を噤んだのだった。
「アリシア様、ルティーが来ております」
アリシアが己の執務室に戻ると、中にいたルーシエがそう言った。すでにルティーは執務室に入っており、アリシアを見ると同時に、椅子から立ち上がって綺麗に背筋を伸ばしている。
そう言えばトラヴァスは、ルティーもグレイが死んだ現場にいたと言っていた。凄惨な状況を目の当たりにして、少女は深い傷を負っていないだろうかと気にかかる。
「ルティー、つらい体験をさせてしまったわね……本当にごめんなさい」
「アリシア様、私をあなたのおそばに置いてください」
アリシアが謝罪すると同時に、ルティーは声を上げて言った。まさかこんなことを言われると思っていなかったアリシアは、目を丸める。
「……え? なんですって?」
「私のこの力がお役に立てるのならば、軍に入ります!」
「……ルティー」
ルティーは初めて見るであろう人の死を前に、なにかを感じ取ったのかもしれない。ルティーを軍に引き入れなければいけないアリシアにとってそれは願ったり叶ったりではあったのだが、こんな特異な状態で引き入れることに疑念を抱いた。
「ルティー、軍に入るということは……特に高位医療班は、人の死に直に触れるということよ。その覚悟が、あなたにはある?」
ルーシエはなにも聞かぬふりをして自身の仕事を片付けている。ルティーはしばらくの沈黙の後にこう言った。
「私はその……高位医療班? というのには入りたくありません」
「なら、この話は……」
「私は、アリシア様のそばにいたいんです!」
少女はきっぱりとそう言った。高位医療班には所属せずに、アリシアのそばに。ルティーの意図が読めず、アリシアは眉を顰める。
「ルティー、高位医療班というのはごく限られた者にしかなれない、素晴らしい役職なのよ?」
「そんなものになりたいとは思いません」
「待遇もかなりいいわ。お給金も将並よ」
「私は、アリシア様を助けるためにおそばにいたいんです。お金がほしいわけじゃありません」
そう言われてしまい、どうすべきかとルーシエに助けを求めるように彼を見る。するとルーシエもこちらを見ていて、コクリと力強く頷いた。
「ルティーを軍に入れましょう。ただし彼女の希望通り、高位医療班としてではなく、アリシア様の付き人として」
「付き人?」
「はい」
付き人というのは地位が低く、もちろん給金も安い。水の書を習得した者が受ける待遇としては、最低レベルだろう。しかしルーシエは続けた。
「正直な話、彼女の年でいきなり高位医療班に配属されると、無用な嫉妬ややっかみを受けることがあります。アリシア様の付き人として実績を積み、十三歳になってから医療班に通わせて勉強させた方がよいでしょう。高位医療班への配属は、さらに実績を積んでからの方がよろしいかと」
「……そう、ね……」
水の魔法士というのは、とかく妬み嫉みの対象になりやすい。いきなり高位医療班に放り込んでは、子犬のようなルティーは潰されてしまう恐れがある。確かに、しばらくは付き人と称して自分のそばに置いておく方が賢明かもしれない。
「ルティー、私の付き人という形で構わない? お給金は安くならざるを得ないけど」
そう聞くと、ルティーは元気よく「はい!」と返事をし、その小さな体を真っ直ぐに伸ばした。
こうしてアリシアは、ルティーという水の書を習得した付き人を持つことになったのだった。




