43.なにかの間違いであって
「早く行ってください、マックス!」
「やだよ、なんで俺!?」
「今を逃せば余計に入れなくなってしまいます」
「ルーシエが行けばいいだろ!」
「二人に嫌われるのは嫌です」
「俺だってやだよ」
「私の場合、今後の仕事に支障をきたす恐れがありますので」
「あ、その言い訳はずるいぞ!」
そんな声が扉の向こう側から聞こえて、アリシアは目を開けた。目の前のジャンが、憎々しげに扉を睨んでいる。
「……なにかあったみたいだな」
「……そうね」
ジャンはベッドから降り、軽く息を吐いて立ち上がった。アリシアもまた、胸元を抑えながらベッドに身を起こす。
「二人を入れるわ」
「まぁ、仕方ないね……」
アリシアはすっくと立ち上がり、着崩れたドレスを少し直すと声を上げた。
「ルーシエ、マックス! なにがあったの? 入ってらっしゃい!」
アリシアが入室を指示すると、ルーシエは実に気まずそうに扉を開けた。後ろに隠れるようにいるマックスも同様である。
「申し訳ございません、アリシア様……邪魔をするつもりは……」
「いいから要件を言いなさい。緊急だから来たんでしょう」
「はい」
「説明して」
ルーシエがマックスを見てコクリと首肯し、先にマックスが口を開く。
「フィデル国との南国境沿いで、小競り合いが始まったようです。いつものようにすぐ収束すると思いましたが、敵が精鋭揃いで国境を突破されたとのこと。直ちにフラッシュに一小隊を率いて向かわせ、ルーシエに報告した次第です」
マックスの説明に続き、ルーシエが補填する。
「斥候に敵のいでたちを詳しく聞いたところ、恐らくカジナルの過激派かと思われます。マックスの対応は適切でしたが、フラッシュの小隊だけでは少々重荷かと。こんなことで兵の数を減らすわけにいきませんし、藪を突く者はどうなるか、身をもって知らしめる必要があると思います」
「私にババンと敵を倒してこいと言いたいのね?」
「つまりはそういうことです」
アリシアはコクリと頷き、『筆頭大将』の顔に切り替えた。
「わかったわ。ルーシエは今すぐ私の隊の騎兵を選抜、叩き起こして準備させなさい! マックスは斥候! 今すぐ現地に向かって状況を確認! ジャンもそれに同行し、敵の目的を探って!」
「はい!」
「っは!」
ルーシエとマックスが大きな返事をして、それぞれに素早く部屋を出ていく。残ったのは、アリシアとジャンだ。
「ジャン、あなたも早く行きなさい!」
「……わかったよ、筆頭!」
彼はもうアリシアとは呼ばず、そう言い放って部屋を出ていった。
アリシアはドレスを脱ぎ捨て、すぐさま騎士服に身を通す。長い金髪に施された髪飾りを取り去り、高く結い上げた。いつもの大剣を背中に装備すると、アリシアはここで一つ深呼吸をする。
そして己の胸元に手を当てた。出発前のアリシアの儀式だ。アリシアは、自身の中にある救済の書へと語りかけるように願う。
(脳裏に浮かぶ者たちすべてを、守りきれますように)
……と。
そしてアリシアは戦場に向かうべく、その足を一歩踏み出した。
***
戦場は思った以上に混乱していた。しかしフラッシュの小隊がなんとか耐えてくれていたことで、それ以上の侵攻は防がれていた。
アリシアは己の騎馬隊で敵を蹴散らし、捕縛し、撤退した者の追撃に向かう。
「マックス! 王都のルーシエに現在の状況を伝えて! 私は敵軍を国境際まで追撃し、警戒のためにそこで二晩を明かすわ!」
「っは!」
「フラッシュ小隊はここで捕縛した敵兵の見張りよ! ルーシエが誰かを寄越してくれるでしょうから、敵兵を引き渡したらすぐにこちらに向かいなさい!」
「うっす!」
「ジャン、あなたは私と一緒に追撃を! 取り逃した場合、そのままフィデル国に入って調査をしてもらうわ!」
「わかった」
こうしてアリシアは追撃に当たった。途中、敵の殿を務める者を捕縛したが、残りは国境を越えて戻っていく。アリシアは予定通りジャンを一人で調査に向かわせ、己の隊は正規の国境警備隊が組まれるまでここで待機することにした。
一夜を明かすと、ジャンがフィデル国の方から戻ってくる。なんらかの情報を手に入れてきたのだろう。アリシアはジャンを仮設のテントに招き入れた。
「どうだった? なにかわかった?」
「ルーシエの読み通り、あれはやっぱりカジナルの過激派だね。武力のほとんどを今回の侵攻にぶつけにきてたみたいだから、再興は当分無理そうだ。筆頭が蹴散らしてたし」
「そう。とりあえず任務完了かしら」
「そうだな。またすぐに攻めてくることもないだろうし、ここに何人か兵を残しておけば王都に戻って問題ないと思う」
そんな会話をしていた直後だった。物凄い勢いで馬が走ってくる気配がして、アリシアとジャンはすぐにテントの外に出る。猛スピードで馬を走らせてやって来たのは、マックスだった。
「どうしたの、マックス!?」
マックスの顔は汗だくで青ざめていて、尋常ではない事態が発生したということは、見てわかった。
「はぁ、はぁ……筆頭、今すぐにラルシアルへお戻り下さい!」
「なにがあったの!?」
「グレイ様が……死亡しました……!!」
その言葉に一気に血の気が引き、グラリと倒れそうになる。しかし筆頭大将という人間が、人の死で動揺を見せてはいけない。
「……この国境攻めは陽動だったの!? 王都が攻め入られたのね!?」
「いえ、どうやらシウリス様のお怒りに触れたようですが、詳細はわかりません」
「シウリス様の!?」
一体なにがどうなっているのだろうか。アリシアが真っ先に浮かんだのは、自分の娘だ。グレイが死んで、アンナが正気を保っているとは思えない。まさか、シウリスに刃を向けてはいないと信じたいが。
「アンナは……アンナは無事なの!?」
「この目では確認しておらず……アンナ様のことは、わかりません……っ」
「筆頭、戻ろう! ここで話してても埒が明かない!」
ジャンに促され、アリシアは馬に跨る。
「ラルシアルに戻るわ!」
「俺も行くよ! マックス、ここを頼む!」
二人は同時に馬を走らせた。心の理解が追いつかず、アリシアの動機は波打つ。
(グレイが死んだなんて……!! どうか、なにかの間違いであって!!)
アリシアが王都を出てから、まだ三日目だ。その間に一体なにがあったというのか。
悪い冗談であってほしい。戻ればグレイが『どうしたんですか、血相変えて』と微笑んでいてほしい。
「筆頭! 集中して! 振り落とされるよ!!」
「っく……!」
頭の中でぐるぐると駆け巡る嫌な想像と勝手な願望を振り切り、アリシアは王都へと急ぐのだった。




