41.夢が叶ったわ
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宴が終わり、来賓客は次々に王宮を去っていく。賑やかだったホールは一気に閑散とし、後に残ったのは片付けをするメイドと警備騎士くらいのものだった。アリシアとジャンは出口に立ち、踊り疲れたであろうアンナとグレイを待つ。すると二人は頬を紅潮させながら嬉しそうに戻ってきた。
「じゃあ母さん、私たちは帰るわ」
「ええ、お疲れ様。帰って疲れをとってちょうだい。明日、寝坊しないようにね」
「大丈夫よ」
「グレイも、よくアンナに付き合ってくれたわ。中々上手く踊れてたわよ」
「ありがとうございます。筆……その、か、かあさんも、さすがでした」
「当然よ」
フフンと鼻を鳴らすと、二人は苦笑いを向けてくる。アリシアはそんな二人の首に手を回し、ガバッと強く抱きしめた。
「息子よ! 娘よー! 今日はゆっくりおやすみなさいな!」
「ちょ、筆頭!」
「母さんっ」
まだ人の残るホールで抱きつかれた二人は、慌てて離れようともがいていた。しかしアリシアはそれを許さず、二人の顔をグイッと己に近付け……
「チュッ! チュッ!」
「っあ」
「もうっ」
グレイとアンナの頬に、一度ずつキスをした。
「うっふふ、おやすみのキスよ!」
「なにもこんなところでしなくたっていいじゃない」
「アンナったら恥ずかしがり屋ねぇ。そういうところ、ロクロウに似たのね!」
「今のは誰でも恥ずかしいと思うんだが……」
グレイは独り言のようにボソリと言い、顔を少しだけ赤らめて頬に手を当てている。
「うふふ。昔ね、母さんの母さんが、よくロクロウにこうしてたのよ。おやすみのキスを」
「……お婆ちゃんが?」
「ええ。だから私も息子ができたらしようとずっと思ってて。夢が叶ったわ」
ターシャが毎夜、雷神にキスをしていた理由がわかった。ただ単にかわいいのだ。キスをして照れる、若い男の姿が。
ターシャはそれだけではなかったかもしれないが、確実にこの理由もあるだろう。再度グレイを抱き締めたくなったアリシアだったが、アンナが怖いのでやめておいた。
「じゃあまた明日ね、グレイ、アンナ」
「はい、また明日」
「おやすみなさい、母さん、ジャン」
アンナとグレイはそのまま廊下に出ていく。その後ろ姿を見送っていると、アンナは甘えるようにグレイの腕を取っていて、アリシアは目を細めた。グレイも嬉しそうにアンナを見つめているのが嬉しくて。アンナが、グレイに頭を預けるように寄りかかっているのがかわいくて。そんな二人が、本当に心から愛おしい。
(ロクロウと一緒に二人の姿を見たかったわね……)
フェルナンドとターシャがアリシアと雷神を見守ってくれていたように。アリシアもまた、雷神と一緒にアンナとグレイを見守りたかった、と思う。
やがて二人の姿が見えなくなると、アリシアはホッと息を漏らした。
「あのアンナがもう結婚か」
「ええ。月日が経つのは早いわね」
「まさかアンナを『アンナ様』なんて呼ばなきゃいけない日が来るとは、あの頃には夢にも思わなかったよ」
あの頃というのは、ジャンがオルト軍学校に所属していた時に、休暇で家に遊びに来ていた日々のことだろう。
思えばジャンはアンナが生まれて数ヶ月の時から、ずっと見てきている人間である。ジャンもアリシアと同じように、成長の喜びと巣立ってしまう寂しさを感じているのかもしれない。
アンナとグレイが去っていった廊下を見ていると、一人の騎士がこちらに向かって歩いてくる。その男がアリシアに気づいて声を上げた。
「アリシア筆頭」
「トラヴァス。ルティーを送ってきてくれたの?」
「はい。今にも眠りそうだったので声をかけたのですが、まだ帰らないとの一点張りで。半ば強制的に抱き上げると、コロリと眠ってしまいましたが」
「あら、あなたもルティーには警戒されないタイプね」
「は?」
「いいえ、こっちの話」
アリシアがフフと笑うとトラヴァスは一瞬眉を寄せ、しかしすぐに元の無表情に戻った。
「遅くまでご苦労様。それに急に警備を交代させてごめんなさいね。彼女とデートだったんじゃない?」
「いえ、同じ騎士なので理解してくれています」
「そう。じゃあもう結婚しちゃいなさいな」
いつも通りババンと提案すると、「まだ自分に自信がつくまでは」とさらりとかわされた。
「トラヴァス、自信なら持っていいわ。今回はグレイとアンナが将になったけれど、次点であなただったのよ。来年はきっと将になれるわ」
「恐れ入ります。精進いたします」
「ところでルーシエは? 途中から姿がさっぱり見えなくなっちゃったけど」
ホールの中にも外にも銀色長髪の姿が見えず、アリシアはキョロキョロと周りを見回す。
「途中でマックス殿が来て、何事か耳打ちしておりました。その後、ルーシエ殿が私にルティーを任せると言って出ていかれましたが」
「そう……なにかあったのなら、すぐ私に言いに来るでしょう。ありがとう、もう帰っていいわよ」
「いえ、ここの警備が私の仕事です。最後の一人が帰るまでここにおります」
「片付けが終わるまでいる気? 真面目ねぇ。そこが評価ポイントだけど」
片付けが終わるのを待っていたら、十二時は確実に回るだろう。さすがにアリシアはそこまで付き合うつもりはない。
「じゃあ、私は先に上がらせてもらうわ」
「お疲れ様でした、アリシア筆頭、ジャン殿」
アリシアはくるりと踵を返して歩き始めた。そして当たり前のように着いてくるジャンを見上げる。
「アリシア、ミルクティー」
「いいわよ、淹れてあげる」
仕事終わりにジャンが部屋に来るのはいつものことだが、今回はそれだけではすまないだろう。宴が始まった時に言われたことの答えを、急かされるに決まっている。『今日』が終わるまで、もう三十分もないのだ。
しかしアリシアの中でまだ答えは出ていない。が、保留というわけにもいかない。今までジャンにさせてきた思いを考えれば、明確に答えを出す必要がある。いつまでもジャンに甘えて、こんな状態を続けるわけにはいかないのだから。




