37.ちょっと落ち着きましょうか
「アリシア様。今日はラルシアル第八幼年学校です」
「うー、まだやるの? もう無駄じゃない? どれだけの会社や学校を回ったと思ってるの」
「水の書と相性のよい者を見つけられるまで……もしくはこの王都民すべてを調べ終えるまでですね」
「いまゾッとしたわ」
「風邪じゃないので行けますよ」
そう言われて、今日も水の魔法士を探しに行く羽目になった。かれこれ半年以上も探し続け、すでに秋の改編も済んでいるというのにまだ見つからない。
本日訪問する第八幼年学校は、その昔に火事があって、アリシアの両親が亡くなった場所だ。そこに新たに幼年学校が建設されている。雷神がデュランダルを売ったお金を、匿名で寄付してくれたお陰で。
アリシアは色々と複雑な思いを抱えて第八幼年学校に向かった。
水の書を習得できる者は少ない。一万人に一人と言われる中でさらに相性のよい者となると、五万人に一人とも十万人に一人とも言われる。
水の魔法とは、回復に特化した魔法だ。最高レベルまで解放すると、死んでいない限り全回復できるという、ちょっとありえないくらいの仕様になっている。
風や光の魔法にも回復魔法はあるが、それらに比べると数倍の回復力だ。加えて風や光の回復魔法は修復魔法なのに対し、水の回復魔法は再生魔法なのである。
平たく言うと、指を切り落とした場合、風や光の回復魔法では指の先がないと完全には治らない。しかし水の回復魔法なら、指先がなくともにょきにょきと生えるように再生するのである。しかしどちらの魔法も、傷を負ってから治すまでに時間がかかればかかるほど、傷跡が残るのは同じだが。大きな損傷ならなおさらである。
風の魔法士ならばそれなりに数はいるものの、やはり戦場では水の魔法士が重宝される。混乱した戦場で、指や腕を探して持ち帰ることは困難だからだ。
戦争で勝利するには必要なものがある。
絶対的な指揮官。天才的な軍師。腕の立つ将。兵士の数。地の利。団結力。そして回復力。
今ストレイアは、この回復力を補う為にアリシアに指令を出しているのだ。
しかし相変わらずアリシアの足取りは重いままだった。
「ねぇ、ルーシエ……この役目、アンナかグレイあたりに回せない?」
「お二人は将に昇進したばかりで、荷が重いかと思います」
「私にも荷が重いわ……」
項垂れるアリシアに、ルーシエは整然と告げてくる。
「この役は、アリシア様でなくてはならないんです。長く筆頭大将をしてらっしゃるアリシア様と、将に昇進したばかりのお二人では知名度が違いすぎますから」
「知名度なんて関係あるかしら?」
「軍に引き入れる際の説得力が違いますよ」
「ああ……やっぱりそこに行き着くのね……」
アリシアは、やはりそこを懸念した。一般人を軍に入れるという行為が、どうにも納得いかないのである。
騎士というものは、一般市民を守るために存在するという概念があるアリシアは、その一般市民を軍に引き入れるということに、釈然としないものを抱えていた。さらには引き入れに自分の知名度を利用しなければいけないのだから、気が沈むのも仕方がない。
「人の人生を狂わせてまで、やるべきことかしら」
「価値観によりけりですね。個を尊重するか、国を尊重するかの違いです」
「そんなことを言われたら、やらないわけにいかないじゃないの」
「それでこそアリシア様です」
アリシアはストレイアという王国の、筆頭大将という人間である。国のためには個を殺す必要性もちゃんとわかっている。それでもやはり、気乗りはしなかったが。
アリシアとルーシエが習得師を連れてラルシアル第八幼年学校に入ると、全校生徒に集まってもらい、そこで挨拶をした。今回は子どもが相手なので、なるべく優しく簡単に。それでいて威厳を保ちながら今回の主旨を説明する。
言いたくはなかったが、もし水の書を習得することができて軍に入れば、それはすごく名誉なのだと伝えると、子どもたちは目を輝かせていて罪悪感が募った。
演説を終えると、学年の高い順から水の書を試していく。水の書はまったく習得できない者が大半だが、数千人に一人の割合で本は体の中に溶けていく。しかし相性が悪いと熱や痛みを伴って、すぐに取り出すことになるのだ。また痛みがなくとも、書が体の中に入ったというだけで、魔法を使えない者もいた。
六年生が終わり、次は五年生に試し始める。そう簡単に相性のよい者など、現れるはずもない。アリシアはむしろ、誰も相性のいい者がいないことを願っていた。幼年学校は六歳から十二歳までの子どもばかりなのだ。そんな幼い子を軍に引き込んでいいはずがない。
次々に試される子どもたちを見ながらそんなことを祈っていたアリシアだったのだが、習得師が五年生に試し終わり、四年生に試し始めた時だった。一人の女生徒の体に、水の書が抵抗なくスウっと吸い込まれるように入っていったのである。
アリシアはすぐにその子の手を取り、慌てて言った。
「大丈夫!? 痛いでしょう。すぐに外してあげて!」
指示を出したアリシアを、金髪の少女はポカンと見上げている。
「いえ……全然」
「え?」
そしてその少女は笑った。自身の水の書が入っていった胸のあたりを見て、嬉しそうに。
「うわ……すごい。水が、流れる……体の中で、水が駆け巡って……」
恍惚の表情を浮かべる少女を見て、アリシアはルーシエと顔を見合わせた。
「まさか……」
「アリシア様、これを」
ルーシエが己の手帳を見せてくれた。そこには初歩の回復の詠唱呪文が書かれている。アリシアはそれを受け取り、少女に見せた。
「これを読んでみてくれるかしら」
「あ、はい……」
少女は言われた通りにその言葉を紡いでいった。詠唱呪文は古代コッツ語のため、現代人にはまったく意味を成さない文字の羅列である。これを見ながらとはいえ、言葉にするのはかなり難しいはずなのだが。
「……え?」
驚いたことに、一度も詰まることなく滑らかに詠唱をしている。そして少女に体全体が薄い水色に光り始め、それが右手へと移動している。
少女の右手がアリシアに向けられた瞬間、アリシアは水色の光に包まれた。
ぶわり。
アリシアの金髪がまるで水の中で揺蕩うように広がる。そして脳天から爪先に、水が流れるのを感じた。
怪我などなにもしていなかったが、この感覚は確かに回復魔法と同じものだ。
身体中のすべての汚れが洗い流されたようなそんな感覚を覚えて、アリシアはいつの間にか瞑っていた瞳をそっと開く。そして、目の前にいる少女を見据えた。
「あなたの、名前は?」
「……ルティーです」
それが、アリシアとルティーの出会いだった。アリシアはまだ幼い少女を見て、心を痛める。もちろん、誰であろうと心は痛んだであろう。しかしあまりに幼すぎる彼女を見て、アリシアはどうすべきか迷った。
「ルティー……あなたには、ストレイアの……高位医療班としての、名誉が……」
「アリシア様。彼女には今から、王宮の方に来ていただきましょう」
そう言葉を詰まらせながら説得に入る姿を見て、ルーシエがアリシアに素早く助け舟を出してくれる。
「……今から?」
「はい」
ルーシエの意図はわからなかったが、彼の意見に従って間違いだったことはない。皆が見ているこの場での説得はアリシアの気持ち的に難しいものだったので、ルーシエの言葉に従い王宮に戻ることにした。
ルティーが緊張の面持ちでアリシアについて来る。
「そんなに硬くならなくてもいいわ。今から向かうのは、私の執務室だから」
「は、はひ……」
「アリシア様。軍のトップであるあなたの部屋に行くのに、硬くなるなというのは無理な話かと」
「そう? 取って食べるわけじゃないんだけど」
体の小さなルティーはさらに体を小さくさせ、震えながら廊下を歩いている。
(これはまともに話ができるようになるまで、時間がかかるかもしれないわね)
そんな風に考えていると、廊下の向こうから髪にメッシュの入ったバンダナ男がやってきた。フラッシュである。
「あれ!? 筆頭!? 今日は休みじゃなかったんすか??」
「見ての通りよ。一仕事してきたわ」
「めちゃくちゃちっちゃいの連れてますね。かっわいー」
「ひ、ひぃっ」
フラッシュに覗かれ、ルティーは小さく悲鳴をあげた。メッシュの入った筋肉男に声をかけられて、怯えてしまったようだ。
「こらフラッシュ。脅さない!」
「へ? 俺、別に脅しては……」
「さっさとあっちに行きなさい。ッシッシ!」
ひでぇ、そんなの犬にも言わないくせに……とブツブツ言いながらも、フラッシュは事情を察したのか素直に立ち去ってくれた。が、ルティーの様子が変だ。今度はアリシアを見て怯えた瞳をしている。
「どうしたの、ルティー?」
「狂犬に見えたフラッシュを追い払ったアリシア様が、今度は狼に見えているんですよ」
「あ、あらぁ~……」
ますます萎縮してしまったルティーの手を取ろうとすると、ルーシエの影に隠れてしまった。前途多難という言葉が脳裏に浮かぶ。
「嫌われちゃったかしら……」
「アリシア様のいつもの姿を見ていただければ、すぐに打ち解けてくれます。なので普段通りにお過ごし下さい」
「普段通り? 難しいわね」
視線を斜め下に泳がせながら、眉間に皺を寄せる。いつも通りと言われると、部下や兵たちを叱責することもある。そんな姿を見せては余計に怯えさせてしまいそうだ。
「ここが私の執務室よ。入ってちょうだい」
「ひ、はひぃ……」
ガッチガチのルティーが、右手と右足を同時に出しながら中へと進んだ。これはどうしたものだろうかと、アリシアは頭を悩ませる。
「ではアリシア様、後はよろしくお願いします」
「え!? 一緒に説得は!?」
「お任せいたします。私は他にやるべきことがありますので」
「ちょっとぉ、ルーシエ!」
「あわわわわわわ……」
「では失礼したします」
ルーシエはアリシアの気持ちも顧みず、無情にも出ていってしまった。残されたのは、ルーシエに任せようという思惑が叶わなかったアリシアと、狼と二人っきりにされてあわあわ言っているルティーだけだ。
「あ、あのね、ルティー」
「はひぃいっ」
「えっと……ちょっと落ち着きましょうか。なにか飲む? ホットレモンなんてどう?」
「いえ、けけけ結構です! おおおおかまいまく……」
アリシアは、どうすべきかわからず固まってしまった。敵に恐れられることはあっても、子どもにここまで恐れられたのは初めてだ。結構なショックがアリシアを襲う。せめてルーシエがいれば、場の雰囲気も変わったのだろうが。
「……ルティー、ちょっと待っててくれる? すぐに戻るわ」
ルティーはコクコクと震えながら頭を何度も振った。それを確認し、アリシアは誰に緩衝材になってもらおうか考えながら、部屋を出たのだった。




