剥がれた本性
「時間、あるかな?」
教室で霧島から話しかけてくるとは思わなかった。俺は彼の為を思い、敢えて教室での接触は避けていたために、その言葉に面食らってしまう。周囲でも少しざわついた気がしたが、おそらく何かしらの業務についての話だと思ったのだろう。そこまで気にする者はいなかった。俺は教室からゆっくりと出ていく霧島に従い、なるべく何でもない風を装う。どこかで話さなければならなかったのは俺とて同じ。場所を選ばないところと、霧島の思い詰めたような表情から察するに、おそらく日向舞のLINEでのやり取りで怒られたのではないだろうか。
だから。
「別に気にしてないけどな……俺は」
人気のない渡り廊下まできたところで、開口一番にそう言ってやる。
「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
まぁ、言い訳があるなら聞いてやらんまでもない。
「……君は、舞ちゃんのことをどう思ってる?」
「……どうって、別にどうも」
言い訳がくるのかと待ち構えていたら、普通に質問が飛んできて動揺してしまった。舞ちゃんって、日向舞のことでいいんだよな……?
「正直に言うよ。俺は舞ちゃんのことをいいなって思ってる」
そうして見つめてくる瞳。その目には力があり、固い決意があるように見えた。俺は、そんな瞳で見つめられたことなどなかった為に思わずたじろいでしまう。……というより、日向舞を良いと思った霧島に動揺した。
「良いって……その、好きとかそういうアレか……?」
彼の目を見て話すことができず、言葉さえも口ごもってしまった。うわぁ、超カッコ悪いじゃん、俺。わかっていて出来ないのは、やはり霧島との会話が苦手だからなのかもしれない。
「うん、それであってる」
「へっ……へぇ」
こいつは何故、こうも堂々とそれを口にできるのだろう。何故、そんなにも真っ直ぐに己の気持ちを吐き出せるのだろう。何故……それを俺に言ったのだろう。
その言葉があまりにストレートだった為に、変な反応をしてしまった俺の方が幼く感じてしまい劣等感がこみ上がってくる。いや、優劣をつけるのなら、向こうの方が上なのだからこれは自然のことではある。
「だから今度の日曜は、俺のことを応援してくれる人を連れていくつもりだったんだ」
その言葉に、俺は改めて霧島を見た。
「応援って……あいつは、お前と友達とをくっつけようとしてるんだぞ?」
「それは分かってる。でも、一目惚れなんだから仕方ないじゃないか」
「仕方ないって……」
待て。こいつは何を言ってるんだ。一目惚れ? じゃあ、霧島は日向舞のことが好きで、日向舞は友達の為に今回の事を企画して、その友達は霧島のことが好きで……。なんだよ、その報われない魔のトライアングルは。
「天津くんが、舞ちゃんのことをどうとも思っていないならお願いがあるんだ」
尚も真っ直ぐに見つめてくる瞳。俺は、その口から出てくるであろう言葉がなんとなく分かったような気がした。だから、無意識のうちに後退りをしていたのかもしれない。聞きたくなかったのだ。それは、俺にとって難しいことだとわかっていたから。
だが、そんな悪あがき虚しく霧島は静かにそれを口にした。
「俺と舞ちゃんが上手くいくように取りなして欲しいんだ」
霧島は言い、少しだけ頭を下げた。見たくなかった。聞きたくなかった。そんなこと俺には到底無理だから。たぶん、霧島だってそんなことは承知の上なのだろう。だからこそ、こうして先手を打ってきたのだ。俺が日曜に同行することはほぼ確定しているから。そんな俺が、完全にあちら側についてしまわないように。
だが、これで納得はいった。あの日、霧島があっさりと日向舞を受け入れた理由に。
「お前は、最初からそのつもりで約束をしたんだな……」
それに顔を上げた霧島は苦い顔をする。そりゃそうだろう。彼は最初から、日向舞の友達と付き合う気なんかさらさらないくせに、この約束を受けたのだから。
「約束は守る。あの時に取り付けられたのは、付き合うこと、ではなくデートをすること、だったからね」
「詭弁だな」
俺は吐き捨て、霧島は唇を噛みしめた。
「お前なら、その約束がどういった意味を持つのかを真に理解していたはずだ。だから、その約束を受けるということは、それも加味した承諾じゃなければいけなかったはずなんだ。なのに、お前は自分の都合の良い部分だけを掬って語っている。お前は言ってることも、やっていることも、何もかもが不誠実だよ」
霧島海人は賢い人間だ。それはペーパー上に現れる点数がすべてを物語っている。彼はサッカー部に所属し、人間関係すら良好にこなし、その上成績さえ優秀だ。彼には分かっているのだ。自分たち学生が優劣を決める手段として用いているものが何なのかを。だから、部活を頑張り、友達を増やし、勉強だってしている。その三つが、自分のステータスに関わっていることを熟知しているのだ。でなければ、そのどれもが上手くいっているはずがない。
だから、霧島海人は賢いと言えるのだ。
だから、賢い人間である霧島海人は、誰よりも誠実であってほしかった。
「不誠実……か。確かにそうかもしれない。だけどね、俺は自分に素直なだけなんだ。欲しいものは手に入れるし、その為の努力だってする。俺は君とは違うよ天津くん」
向けられた敵意に、今度は俺が唇を噛みしめた。
「……教室の隅なんかで何かを待ったりしない。何かが変わることをただ願ったりしない。ただ呆然と、日々を送ったりしない。それはひどく頭の悪い生き方だと知っているから」
言い返す言葉が見当たらなかった。反論がないわけじゃない。ただ、彼を言い負かすほどの何かがそれには不足している気がしたのだ。
「俺は自分を犠牲にして誰かの為に生きようとは思わないよ。自分の為に生きる。だから手段は選ばない」
「それで誰かが傷ついたとしても、か?」
「うん、そうだね。だからこそ俺は、自分が傷つく覚悟もしてるんだ。誰も傷つかないなんて無理だよ。もしもそんな世界があったなら……ひどく退屈だろうね」
最後の言葉。霧島はまるで天津風渡という存在に言っているかに思えた。
「君を引き込むのは難しそうだからやめておくよ。それに、引き込んだところで役に立つか分からないしね? でも、君は今のことを彼女には話せないはずだ。何故なら、それを言ってしまえば今回の件は全て壊れてしまうから。それは、友達の為を想う舞ちゃんの気持ちを蔑ろにすることになるから。だから、君は今のことを話せない」
「……口止めか?」
「さぁ? でも、君が彼女のことを想うのなら黙っていた方がいい。何も知らぬ態度でいた方がいい。いつもの君みたいに」
ここぞとばかりに俺のことを傷つけてくる霧島海人。たぶん他の奴なら泣いちゃってるね。
だが残念だったな霧島海人。お前は一つ、思い違いをしている。
「お前の言いたいことは分かった。もちろん、お前の側に付くことはない」
「オーケー。でも、俺が舞ちゃんの友達と付き合う未来はないと思うよ。今、気になっているのは舞ちゃんだしね」
こいつ、語れば語るほどに魔王感が出てくるな。今ならこいつが校舎を破壊したって信じられるレベル。
「それも理解した。だから俺からはもう何も言わない。というか……もう何を言っても無駄だろ、これ」
「そうかもね」
霧島海人は賢い人間だ。周囲を知り、自分を知り、その上で何を優先することが自分の為になるのかを知っている。どうすれば、後悔のない未来を進めるのかを考えている。
だがな、霧島。周囲を知り、自分を知り、自分の為に何かをやってきた人間がお前だけとは限らないんだぜ? どうすれば後悔のない未来を進めるのかを、常に考えてきた人間は他にもいるんだぜ?
それはきっと、やり方の違いがあるにせよ本質は同じなのだ。
だから対抗する術はちゃんとある。
霧島。お前は、今の圧倒的破壊力をもった言葉に、何故俺が耐えられているのかを考えないといけない。じゃなけりゃあ、いつか足下を掬われることになる。だが、それを今言ったところで理解などしてもらえるはずがない。過ごしてきた過程が違いすぎるからだ。
だから、今は反論はしない。
「じゃあ、日曜はよろしく」
「あぁ、こちらこそ」
覚えておくことだ。神ってのは世界を壊せる者のことじゃない。世界を救える者にこそ、その名は相応しい。
俺と霧島は、それで話を終わらせた。最後に残ったのは、春の穏やかな陽気だけ。それはまるで、嵐の前の静けさを思わせた。何かがゆっくりとうねり、渦巻き、飲み込もうとしているように思えた。
にも関わらず、仰いだそこにあったのは真っ青な空。こうして空を見上げるのもボッチの習性なのだろう。きっと、地獄のような底辺にいるから、どこかにクモの糸でも垂れ下がってないかと探しているのかもしれない。
そんな空を見て思った。
……日曜、行きたくねぇなぁ。