日向舞の提案
「なんだよ……その雑誌の数は」
日向舞に相談を持ちかけたはいいが、どこで会うのかなど全く決められない俺は、悩みに悩んだあげく前回彼女と話をした喫茶店を指定した。その待ち合わせ時間にいくと、日向舞は既にいて、大量の雑誌を卓に広げて読んでいた。
見れば、海外旅行の雑誌ばかりである。
「クラスの友達といくつか旅行の予定あるから」
平然と言う日向舞。「地球の歩み方」と書かれたシリーズ雑誌には、ヨーロッパや西海岸の風景が写る表紙で飾られていた。
「お土産いる?」
「いや……いい」
「あっそ」
「まぁ、気を付けてな」
そんな言葉をかけて彼女の向かいに座った。
「というか、その格好できたのね」
「ん? なんかおかしかったか?」
「……別にいいけど」
言われて自分を見回すが、特におかしなところはない。Tシャツと半ズボンにサンダル。夏らしくてよいではないか。ポケットにはハンカチもあるため、汗など拭うもをかし。まぁ、クーラー効いてるからそんなことしなくていいんだけどね。
「それで相談したいことって?」
「あぁ、実は金剛さんに告白された」
カチャン……と、彼女の持つカップが小さく音をたてた。
「そう……それで……?」
「りんちゃんと同じだ。俺は、二人にちゃんとした答えを出したい」
「前回、あなたは、しょうりんに答えをちゃんと出したって言ってなかった?」
「あぁ。だが、それじゃあ二人は納得しない。俺が出したいのは、二人が納得出来る答えだ」
「それは、“二人が天津くんを諦められる答え”ということで良いの?」
「……あぁ。今のところは」
「今のところ、ね。それで? 何故私に相談なの? 天津くんからそういうの言ってくるなんて思わなかったけど」
「分からなくなったんだ。俺が今までやってきたやり方では、そういったことに対する答えを出せなくなった。俺はずっと誰かを遠ざけていたから。それに、お前はそういったことに対して経験を持っているんだろ? だから、何かしらの意見を聞こうと思った」
正直に答える。彼女は、カップを口に寄せて一口飲み、静かにそれを置く。
「あなたが言ってるのは……中学の時の私よね。確かに、私は何人かの男の子に告白されたことがある。それで、何人かの友達を無くしたのも事実。だから、恋人なんてつくらないと決めたし、そうやってやってきたことも否定しない。でも、それはもう止めてる。それは……天津くんがそれでも良いって教えてくれたから」
そう言って、ゆっくりと俺を見つめる日向舞。
「だから、私の経験はあまり役には立たない。私がしてきたやり方をするなら、天津くんは二人を遠ざける為に二人を傷つけなきゃならない。でも……それこそが、あなたらしいやり方だとも思ったけどね」
そうだ。これまでのやり方で二人を諦めさせるのなら、俺は二人を失望させれば良いだけだ。相手を煽り怒らせ、馬鹿やって失望させ、揺るぎない真実を叩きつけ傷つけ、そうやっていつも誰かを遠ざけてきた。それこそが俺の為であり、他ならないその誰かの為であるという正義を以て。
だが、りんちゃんも金剛さんも、それらをしてきた俺を好きだと言った。誰かを遠ざける為に貫いてきた俺を好きだと言ったのだ。そんなのは想定してない。こんな奴を彼氏にしたいだなんて女子が……しかも二人も現れるなんて思いもしなかった。
「よくよく考えてみれば贅沢な悩みよね。しょうりんと金剛さん、どちらも素敵な女の子よ? そんな二人から告白されておいて、どちらかを選びたいとかならともかく……どちらも選びたくないなんて」
呆れたように日向舞は言う。それが贅沢な悩みであることは承知の上だ。
「でも……その辛さも私は分かるつもり。願ったわけじゃないのに、選ばれてしまうことの虚しさも。きっと、選ばれなかった時の方がずっと苦しいはずなのにね?」
「選ばれないことには慣れてる。それを乗り越える自信だってある。だが、選ぶのは慣れてない」
「あなたってそういう奴よね。いつだって大切なことだけは理解してるくせに、いつだって大事な時には居なくて、いつだって……嫌な選択肢ばかりをかっ拐っていくもの。選ぶ方は楽だと思う。だって、選びたくない選択肢を、天津くんがいつも先に選んでしまうから」
「別に、そいつらの為にやってるわけじゃないがな」
そう返すと彼女は少しだけこちらを睨みつけ、やがて息を吐き出す。
「まぁ、いいわ。これまでみたいな事をせず、素直に私に相談してきたところも褒めてあげる。天津くんがどうしようもないなら、私が知恵を授けるわ」
そう言って日向舞は得意げに微笑んだ。
「本題に入りましょう。私が思い付いた解決方法を教えてあげる」
「答えじゃなく、方法なんだな?」
「もちろん。答えは天津くんが出すべきでしょ? それに、この方法なら天津くんじゃなくて、しょうりんや金剛さんが答えを出す可能性すらある」
「へぇ……そんな方法が本当にあるんですかい?」
「あるのよね? これが」
「是非とも教えて頂きたい」
「ふっふっふっ。よかろう」
くだらない茶番を終えた後に、日向舞は少しだけ焦らしてから言ったのだ。
「ずばり……しょうりんと金剛さんと、恋人になった想定をすれば良いのよ」
「なん……だと……」
尚も得意げな日向舞。その提案が、まるで最高のアイディアかのように鼻高々。
だが、待て。
俺は、反して残念な気持ちにならざるを得ない。それはつまり、恋人ごっこを俺にやれということだ。そして、その提案は既に金剛さんからされており、俺はそれを断っている。
これは少しでも期待してしまった俺が悪い。日向舞の提案は、良い解決方法じゃない。
「それは無理だ」
「……何故?」
「そんなことをして、結局選ばれない二人を考えてみろ。恋人ごっこをした分、俺はもっと彼女たちを傷つけることになる」
だが、それでも日向舞は崩れない。むしろ「……そういうこと」と、笑って見せたのだ。
「恋人ごっこなんて言ってないわ。私は『恋人になった想定』と言ったのよ?」
「いや、一緒だろ」
「違う。そもそも、天津くんの言ってる『恋人ごっこ』って、恋人気分をお試しで味わってみるということでしょ?」
「それをお前は言ってるんだろ? 試してみる……それはつまり、実験だ。俺がりんちゃんと金剛さんと恋人の実験をして、成功するか失敗するかを確かめるってことだ」
「実験って……。せめて体験とか言いなさいよ。聞こえ悪いわよ?」
「聞こえじゃなく、それ自体が悪いんだ。そもそも体験したって、一日そこらで分かるわけないだろ」
最近はバイトなんかでも体験というものがあるらしい。研修じゃなく体験。まだ取り入れてる企業は少ないが、その実態は体験しなくたって分かる。おそらく、その日だけ日本人お得意のおもてなしで体験者に取り入り、研修で優しく楽しいバイト生活を夢見させ、完全に取り込んだところでコキ使うのだろう。まるで蜘蛛の巣。そこに引っ掛かった者たちは、少しずつ確実に精気を吸われていくに違いない。体だけでなく、最後には心まで吸われつくし、テレビCMで彼らは同じことしか言わない。「このバイトで人生変わりました!」。違う……変えられてんだよ。そろそろ気づいてくれ。世界から見た日本人の勤勉さを。その勤勉という文字に隠された大義を。ただ、本人たちは幸せなのだろうから俺は何も言わない。考え方って人それぞれだしね。あぁ、働いたら負けだな……。
「ともかく、私が言っているのは恋人ごっこじゃないわ」
「想定って、そういうことだろ」
「あなたは付き合う想定しかしないの? 私が提案しているのは“別れる想定”よ」
何言ってんだこいつ。
「……心の声が洩れてるわよ」
ジト目で睨まれる。だが、俺は意味が分からなかった。
「説明してくれるか……?」
「もちろん。そもそも人を好きになるって、その人の良い部分しか見えないから好きになると思うの」
「まぁ、そうだろうな。……一般的には」
二人に俺の良いところなんて見せた覚えないけどな。むしろ、残念な俺しか見せてない気がする。だから、一般的にと付け加えておいた。
「でも、そうやって付き合っても、別れるカップルはいるわけでしょ? それは付き合ってみて、お互いの悪い部分を見てしまうからだと思うのよ」
「まぁ、そうだろうな」
「その悪い部分が許せるか許せないか、そこが別れるか別れないかだと私は考えた」
「許せないから……別れるしかない」
「そういうことよ。なら、それをしてみればいいのよ。しょうりんも金剛さんも、今は天津くんの良い部分しか見えてない。だから、逆に天津くんの悪い部分を探すの」
「……なるほど」
だんだん分かってきた。つまりはあれか……。
「俺の……粗捜しをするってことか」
「その通りよ。天津くんの悪いところを徹底的に洗い出して、しょうりんと金剛さんに、それを許せるか許せないかを判断してもらうのよ!」
嬉しそうに言うなぁ……。それをされる俺は、一体どう反応すれば正解なのだろうか……。
「たとえば、今日だって天津くんは女の子と会うっていうのに、だらしない格好でやってきた。これを許せない女子だっているよね?」
いるよね? って……俺に聞かれてもな。
「私の飲み物がなくなってるのに、全然次を頼んでくれる素振りもないし、それで幻滅する女子だっているでしょ?」
いるでしょ? って……俺に聞かれてもな。
「そもそも、あなたから誘ってきたのに時間前にはいないし、場所も別にオシャレじゃない喫茶店だし、ちょっと張り切った私が馬鹿みたいだし、それらに対する謝罪とかも一切ないし、そういうので怒っちゃう女子もいるよね!」
いますね……目の前に。あと、俺に文句言ってるようで、さりげなく店にも文句言ってますからね……。
「だから、それを想定するの。どう? 悪いところばかりの天津くんには、とても良い方法だとは思わない?」
彼女は笑顔だったが、笑ってはいなかった。
「……思います。それと日向さん……次何飲みます?」
「……同じもの」
「じゃあ、頼んでおきますね。あと、少し寝坊してしまって……遅れてすいません。焦って家を出てきたので、身支度も出来ずにこんな格好で来てしまいましたよ。ははは……」
「本当は?」
「いやぁ、別にこのままでも良いかなぁって思って。ははは……」
「……言い訳したなら貫きなさいよ」
しまった。つい本当のこと言ってしまった。あれだ。日向舞が視力検査で使う機械の「方向は?」みたく「本当は?」なんて聞いてきたから、素直に喋ってしまったのだ。視力良い奴があの機械使って視力検査を終わらせる光景は、見ていて爽快感さえある。『環の切れた方向にキーを倒して下さい……方向は? 方向は? 方向は? 方向は?』。だんだん小さくなっていくランドルト環を屠っていくみたいでなんか格好いい。それで最後、印刷された紙を見て言うのだ。「この機械、1.5までしか測れないんだよなぁ……」。はいはい、異世界の学園物でよくある魔力検査ね。だいたい魔力を図る水晶を壊しちゃうのがお決まりのパターン。もはやあれを壊すためだけに描写されるシーン。使いふるされたテンプレート過ぎて今や当たり前体操だメーン。
日向はこちらを睨みながら、敬礼みたく頭を抑えて、やれやれとばかりに首を振る。
「効果はありそうね……。ありすぎて怖くなってくるわ」
「俺もだ。お前ってやっぱ頭良いのな」
「褒められてるのに全然嬉しくないのは、きっと負の感情の方が勝ってるからよね」
「だが――いや、やっぱりなんでもない」
言いかけて止めた。
「なに……? 言いたいことがあるなら言ってよ」
「ん……まぁ、なんだ」
俺はそれを言おうと思うのだが、あまりにそれが高慢な意見過ぎて言うのを躊躇ったのだ。だが、日向はそんな俺の態度に苛立ちを見せる。
……だから、仕方なく言葉にするしかなかった。
「もしも……それでも二人が、もしくは、どちらかが俺を……好きでいたら?」
自分で言ってて吐き気がした。なんだよ、それ。まるでそれを俺が望んでるみたい。
だが、日向舞は嫌悪感など見せずに答えてくれた。
「その時は……諦めなさい。もう諦めて付き合っちゃいなさい」
「諦めるのか」
「そう。だって、そんなあなたを、それでも好きでいてくれる女の子よ? そんな女の子、たぶんもう一生出会えないわ。だから、責任持って付き合いなさい。好きになったのは向こうだけれど、好きにさせたあなたにも非はあるのだから」
「……なるほど」
少し考えていると、日向舞は軽く吹き出したように微笑んだ。
「まぁ、大丈夫。たとえあなたが二人から嫌われちゃっても、二人と付き合っても、私は天津くんを嫌いになったりはしないから。だから安心して粗捜しされちゃって」
「お優しいんだな? 提案は全然優しくないが……」
「天津くんが悪いのよ。ほら、またあなたの悪いところが見つかった」
「お前が見つけてどうすんだよ……。あと、お前の悪いところも同じように見つかってるからな?」
「そうやって他人を道連れにしようとするのも悪いところよねぇ……」
「そうやって俺だけを引き剥がそうとするな。その提案をしてきた時点で、お前も大概だから」
「天津くんの為に考えたのよ?」
「違うな。りんちゃんと金剛さんとの関係を壊したくないお前自身の為だろ?」
「うわぁ……そういうのって、思っても言わないわよねぇ……」
「言わずにおく方が良くないだろぉ……」
その後も、俺たちは飽きることなく互いを罵り合い、日向舞のおかわりを頼むことすらも忘れてしまう。そのやり取りが終わったのは、店員さんがやってきて「あの……他のお客様のご迷惑にもなりますので、もう少しだけお静かにお願いします」と、注意された時。どうやら喧嘩をしていると思われたらしく、なだめるような口調だった。
恥ずかしくなったのは言うまでもない。日向舞も、顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「あの……じゃあ取り敢えず、紅茶二つお願いします」
なんとかそう言って店員さんを退ける。日向舞の言う恋人の想定の想定を、俺たちは無意識にやってしまっていたのだ。
「どう……だ? 別れる気になったか?」
なんとか場の雰囲気を一掃しようと、そんなことを聞いてみた。すると、日向舞は「あっ……いやぁ……その」と口ごもった後に。
「まぁ、今の……私の代わりに対応してくれたのは……褒めてあげても……いいかな?」
などと、視線を漂わせながらそんな事を言ったのである。
いや……褒めたらダメじゃん。




