バスケでの勝負は
攻防が一転するスリー・オン・スリー。明石先輩がボールを持つ。彼の前に立つのは北上。そのことに彼は俺を見やって不満そうな顔をするも、何も言わず試合は再開された。
「……まぁ、いいや」
明石先輩はそれだけ言う。
北上はさすがにプレッシャーのかけ方が上手いのか、明石先輩は少し攻めあぐねているようだった。おそらく北上が『女子』というのもあるのだろう。そしてそれを北上も分かっているのだ。だから彼女は、躊躇なく体を入れてコースを消しにいっている。
などと……説明するのは簡単だが、それをやるのは相当難しいはずだ。なにせ、北上に劣らず明石先輩も自在にドリブルをついている。北上を左右に揺さぶって振りきろうとするが、彼女がそれに食らいついているのである。
だが、やがてそれは攻略された。
明石先輩が北上の頭上でパスを出したからである。
北上と明石先輩の圧倒的な差は体格と身長だ。そして、それは金剛さんと俺にも言えた。
彼が放ったフェイントもないパスは、意図も容易く金剛さんがついている相手に渡り、彼は金剛さんを気にすることなくそのままシュートを放った。金剛さんが必死でジャンプするもそれは届かず、ボールは綺麗な放物線を描いて呆気なくゴールネットを潜ってしまう。結局、為す術もないままに得点を返されてしまったのだ。
「なんだよ。明奈以外素人か」
明石先輩が言う。そう、北上以外の俺と金剛さんはまるっきりの素人だった。
そしてそれ以降、彼らは北上だけを重視してガードを固めだしたのである。
それに北上はどうしてもドリブルを止めざるを得ず、パスを出そうにもコースなどなく、最悪、ボールを保持したまま笛が鳴ってしまう。
「――つうかさぁ……なんでアンタ、もっと動かないの?」
痺れを切らしたように北上が俺に文句を言った。俺は俺なりに動いてはいた。だが、それは北上の想像通りの動きでは無いのだろう。そして、圧倒的に足りてないのだ。主に……体力が。
「いや……動いてるんだが、あれ? ……バスケってこんなキツかったっけ?」
金剛さんも隣で膝に手をついて息を整えている。相手のディフェンスを外そうと動き回り、相手をディフェンスしようと動き回り、普段運動などしていない俺と彼女は、三分も経たぬうちに疲れきっていた。
波乱を思わせたのは最初の得点だけ。それからは、ズルズルと得点されており、十点という差はジリジリと詰め寄られていた。
「本当に勝つつもりあんの?」
怒りの瞳。それに「ない」と言ったらもっと怒られるに違いない。
北上は大きくため息を吐き出した。
「やっぱ無理だったんじゃん。こんなの」
軽く床を蹴る北上。キュッッッと、擦れた音が鳴った。
「なんだよ……お前こそ、勝てると思ったのか?」
「はぁっ?」
その言葉に、北上は苛立ちを露にした。俺はタイムアウトを取る。
「北上、お前の最初のゴール。あれはお前にちゃんと勝つつもりがあったからこそ出来たプレーだよな。その後もメッチャ真剣にプレーしてるし、勝つつもりはあるんだよな?」
「当たり前じゃん。やるからには勝たないと意味ないでしょ? アンタ……何言ってるの?」
声には、さらに苛立ちが募る。それに俺は少しだけビビってしまいそう。なにせ、あれからゴール出来ず、ゴールされっぱなしだ。そうなっているのには俺にも原因があるくせに、その俺がそんなことを言っているのだから、怒るのも無理はない。
それでも、俺は笑顔をなんとか貼り付けてみせた。
「もしも北上が本気で勝つつもりがあるのなら、光明はあるぞ」
俺は言い切った。言い切れた。
バスケで勝負などしても、相手は浴びるほどバスケをやってる連中だ。そもそもの話、この試合は勝てるはずなどないのだ。それに、俺自身が勝つ算段をつけていない。勝てるはずもない。
だが、少しでも勝率を上げるため、土俵を整えてやることは出来る。それには少しだけ工作をしなければならない。
不機嫌そうに、怒りを隠すことない北上に俺は言った。
「北上、お前が明石先輩を倒すんだ。最初のゴールみたく、お前があの人を出し抜くしかない」
それにますます北上は眉を寄せた。
「当たり前じゃん……?」
「いいや、分かってないな北上」
そんな彼女に俺は提言してやる。
「俺と金剛さんは戦力外なんだ。頼っても無駄だ。全部、お前一人でやるんだ」
「……頭大丈夫?」
「お前こそ頭大丈夫か? なんで、俺たちにパス出そうとしてるんだよ。なんで、ドリブル止めちまうんだよ。そんなことする暇あるならシュートしてみせろよ。俺たちは置物でしかないんだぜ?」
もはや北上は呆れ始めていた。だが、呆れた態度を見せるのは俺の方。
「北上……お前、このままで本当にいいのか?」
そして、俺は本当に問うべきことを口にした。
「……あぁ? なんで動きもしないアンタなんかに、そんなこと言われなきゃならないわけ? それを言いたいのは、こっちのほ――」
「試合のことじゃない。お前自身の話だ」
俺は声を大きくして、北上を遮った。
「……わたし?」
「そうだ。お前だよ北上。お前、このまま明石先輩に負けたままでいいのか? お前がバスケを始めた理由に結末をつけるとするなら、明石先輩に勝つこと以外に何がある? お前は……それをしなくてはならないんじゃないのか?」
北上がバスケを始めた理由は、明石先輩が好きだったからだ。そんな彼に近づきたくて、彼女はバスケを始めた。……だが、明石先輩と恋人になりたいのなら、近づきたかったのなら、何故、彼女は選手という道を選んだのだろう。
北上は、岸波先輩と同じようにマネージャーという道もあったはずなのに。
そして、その方がずっと明石先輩に近づけたはずなのだ。
そして、それをしていれば、北上が失恋することもなかったかもしれない。
これは――そもそもの話である。
「北上、お前が失恋したのには、お前にも間違いがあるとは思わないか? お前が本気で明石先輩と付き合いたかったのなら、お前こそ男バスのマネージャーになって、あの人をサポートする側に回れば良かったんじゃないのか?」
そして、これは……あくまでも俺の想像の話。
「何故、お前はマネージャーではなく選手になった? なぜ、選手として明石先輩と恋人になることを願った? お前は、その理由をプレーとして示さなくちゃならない。お前は選手なんだからな?」
金剛さんは言っていた。口にしないと伝わらない、と。だが、口で言ったって伝わらないこともある。それに、言葉で伝えたって、きっとそれは百パーセント伝わらないし拒絶されるだけだ。
だが、たとえ拒絶されるにしても、自分が納得いくならいつかは立ち直れる。北上が立ち直れないのは、彼女自身が納得出来ていないからなのだ。
「北上。お前は明石先輩が好きでバスケの選手になった。それは、お前がバスケの選手として明石先輩を好きでいたかったからだ。それを……ここで示せよ。ここでそれをしないと、きっともっと後悔するぞ?」
北上は固まっていた。
「北上、お前がそのつもりなら、俺たちが全力でサポートしてやる。お前がどういうつもりでこのコートに立ってくれたのか俺は知らないし、ぶっちゃけ知りたくもない。だが、お前はバスケ選手で、明石先輩もバスケ選手で、どちらも純粋にバスケをやってきたのなら、お前は選手としてお前の恋に決着をつけなきゃならない。それがお前の選んだやり方だからだ」
北上は選んだのだ。選手として、明石先輩と恋人になる未来を。そして、それが崩れたから彼女は否応もなく落ち込んだのだ。
だから、北上に与えてやらなければならない結末は、選手としての何かだ。そして、それを真に与えてやれるのは、北上自身だけなのだ。
俺は、固まる彼女の肩にそっと触れた。すると、魔法が解けたみたいにビクリと反応する。
「北上。この試合に勝つには、お前の力が必要だ。そして、お前が明石先輩との恋に決着をつけるのも、お前自身の頑張りが必要なんだ。たとえそれがどんな結末だったにせよ、気にすることはないと思うぞ。なにせ、お前が明石先輩が好きで始めたバスケは……そんな不純な理由は……お前を立派な選手に仕立てあげたほどに強かったんだからな?」
北上明奈。女子バスケ部のエースにして、一年生からレギュラー入り。
その実績は、果たして生半可な気持ちで至ることの出来る地位なのだろうか?
俺は違うと思う。
俺がボッチとして、その玉座に君臨するのも、そこには大きな覚悟と決意があったからだ。それがあったからこそ、俺は孤高の神となった。
同じだ。北上は本気だったのだ。だからこそ、彼女には華々しい地位が与えられたのだ。
だったら、その通りの答えを出してやらねばならない。
これは、その為の試合なのだから。
「北上。もう俺たちのことは気にするな。他の二人も、お前が気にならないように俺がしてやる。だから、明石先輩だけ見てろ。そして、お前が明石先輩を好きでいる気持ちを、言葉でなくプレーで見せてみろ」
北上は喋らない。ただ、その瞳にはもう怒りの炎は灯っていなかった。
代わりに。
「……じゃあ、私はどうすればいい?」
息を切らしていた金剛さんが膝から手を離した。俺を真っ直ぐに見つめて、それを問いかける。
それに俺は笑う。バスケなどでは最初から勝負にならない。
なら、もはやバスケの試合など壊してしまえばいい。
「あぁ。少し耳を貸してくれ」
そう言って、俺は金剛さんに指示を与えた。それを話終えると、彼女は疲れた表情に呆れの色を浮かべて見せる。
「……ほんと、あなたって卑劣なやり方しか選ばないのね?」
そして、彼女もまた笑っていた。
「――試合再開だ!」
タイムアウトが終わり、俺と金剛さんはそれぞれ配置につこうとする。その時、後ろから不意に腕を掴まれた。
見れば、北上が依然として眉を寄せたまま、不思議そうな表情をしている。
「ねぇ……アンタもしかして……」
「話は後だ。もうタイムアウト終わってるぞ」
そう言って腕を振り払う。それに俺が答える必要はなかった。
北上がこの試合に立った理由を……俺が知らずとも良いのと同じで。




