正式名称はスリー・バイ・スリーと言うらしいです
気怠い掛け声が止んだ。まだ練習は始まっていないようであり、バラバラに体を動かしていた部活動生たち。彼らは一斉にこちらへと視線を向け、俺は堂々とその中を入場していく。向かうはバスケット部連中の元。
「なに? 俺の名前呼んだ?」
そう言って現れたのは、練習着の外からでも張り出した筋肉が分かるガタイの良い男子生徒。しかし、男臭い感じはなく、むしろ、この熱気の籠った体育館において清涼感さえ感じさせる。一目で分かった。モテるんだろうな、と。
「あんたが噂のヤリチン先輩ですか」
「もしかして喧嘩でも売りに来てる?」
「はい。勝ったら、岸波先輩をもらいます」
その言葉に、明石先輩は困ったなとでも言うように頭を掻いた。
「なんか、意気込んで来てもらって悪いんだけど、俺と陽子はもう別れたんだ」
「知ってますよ」
「……知ってる? じゃあ、なんで俺と喧嘩なんて?」
「いやぁ、男ってやっぱり元カレよりも強い男で居たいじゃないですか。だから、別れたとか関係なく、俺はあなたと勝負したいんですよね」
それに明石先輩は苦笑い。
「俺に勝てると思ってるんだ?」
「まぁ、悪評程度で彼女から逃げるような人よりは強い自信ありますけどね」
その瞬間、彼の視線が鋭くなった。
「俺が逃げた? 逃げたのは向こうだけど? というより……逃げられた、が正解だけどね」
先程までうるさかった体育館は、シンと静まり返り、他の部員たちもこちらの様子を窺っている。それを目ざとく見渡す明石先輩は、少し声を大きくした。
「もっと遊んでやろうと思ったのにね? まぁ、女のストックなんて腐るほどいるから別に構わないけど。だから、陽子に告りたいなら勝手にすればいい。まぁ……あいつは俺の中古――」
「その辺にしとけ……明石」
後ろから別の男バスの部員が、彼の肩に手をおいて発言を止めさせる。
「お前……何を聞き付けてここに来たのかは知らないが、勝手な事を言って、練習を邪魔するのは止めてくれないか?」
明石先輩並みに体を鍛えている短髪の男子生徒。おそらくキャプテンなのだろう。それほどの存在感があった。
そして、おそらく彼は知っているのだ。今回の全てを。だから、明石先輩を止めさせ、俺に事態の収集を忠告してくる。
だが、それこそが俺の推測を確実なものへと変えた。
やはり、この別れ話は、明石先輩が岸波先輩を守るためのものなのだろう。そんな彼女を探すと、体育館の隅にいて呆然とこちらを見ている。その表情には不安と迷いが入り交じり、俺はそれにすら確信を得てしまう。
「邪魔しているのはあんたの方だ。俺は明石先輩と話をしているんだが?」
「それなら日を改めろ。天津……とか言ったな? お前の話は三年生にも知れ渡っているぞ。これ以上問題起こして痛い目に遭うのはお前の方だ」
「いいや、今じゃなきゃダメだ」
俺は言い切った。彼の眉間にしわが寄る。そんな彼を払いのけ、俺は明石先輩へと詰め寄る。出来るだけ凄みを利かせようとして、腹にグッと力を入れた。
「……このままじゃ、あんたは一生後悔するぞ? 手放したものはもう戻ってこない。それをあんた、本当に覚悟してんのかよ」
「っつ!?」
一度切り捨てたものは戻ることはない。それがどんなに欲しくなっても、もはやそれは手に入らない。そして、いつの日か……もう欲しいとさえ思わなくなってしまう。それがどんなに善いことに思えても、やはり、きっと……してはいけなかったんだと思った。
俺にはもう戻せないものがあった。自分で捨ててしまったものがあった。それが今になって欲しいと思ってみても、心の底から思うことはない。そして、それが誰かを傷つける。
もしかしたら、俺が覚悟しなければならなかったものは違ったのではないか? 別の覚悟だったのではないか? そう、思うのだ。
「あんたが覚悟しなきゃならないのは捨てる覚悟なんかじゃねぇよ。持ち続ける覚悟だ。捨てるのなんて楽なんだよ。捨てちまったら考える必要すらなくなる。そして……いつか忘れるんだ」
「……なにをっ」
「あんたが本当にすげぇ選手だって言うんなら、それを言葉にしてくれる人を簡単に捨ててんじゃねぇよ」
岸波先輩は言ったのだ。明石瑛太は最高の選手だと。そんなことを言ってくれる人がどれだけいるのだろうか。
確かに、彼は記録から見ても最高の選手と言わざるを得ないのかもしれない。だが、それは彼の記録だけを見て得た評価だ。彼の最低で卑劣な部分を知らない者たちの、明石選手としての評価だ。
だが、岸波先輩は違う。彼の悪い部分も全部含めて……それでも笑って言い切ったのだ。明石瑛太は最高の選手だと。
「俺が女を見る目は間違いだったのか? その女が、最高だと称えた、あんたを倒すことにこそ意味がある……そう、言ってるんだが?」
明石先輩は唇を噛み締めた。俺なんかよりもずっと体格が大きいのに、今の彼はてんで相手にならない気さえしてくる。そんな征服感が、俺を笑わせてくれた。
「この喧嘩は押し売りなんかじゃない。俺がわざわざ売ってやろうって言ってんだ。ここで買わなきゃ、もう一生買えないぞ? 選べよ……あんたが本当に岸波先輩をまだ好きでいるならな」
彼の瞳は揺れた。迷っているのだ。やはり、彼は好きなのだ。当たり前だ。だからこそ、彼らは付き合ったのだから。
あと一押し……。そう思った時である。
「わかった。その勝負、俺が明石の代わりに買ってやろう」
先程まで俺を帰そうとしていた彼がそう言った。
「ちょっ、なんで……」
「諦めろ明石。今分かったぞ。こいつは……お前と同類の馬鹿野郎だ」
そう言って、クックッと笑う。
「天津、勝負ってのは本当の喧嘩じゃないんだろ?」
「喧嘩なんてしたら、謹慎程度じゃ済まないですからね? もちろん、バスケで勝負しましょうよ」
「……おまっ……えっっ……明石に、バスケで勝負を挑むつもりなんだなっ……」
何故か笑いを堪えられてしまった。いや、俺は本気なんだがな。
「……その心意気やよし。勝負は今からか? 今ならまだ監督来てないから出来るが?」
思った以上に話の分かる人で驚いた。だが、この勝負にはもう一人、巻き込まないといけない奴がいる。
「まさか? 俺一人で明石先輩に挑むなんて無謀ですからね? スリー・オン・スリーでやりましょうよ。日時はそちらが指定していいですよ。部活の邪魔にならない時間で」
「お前のダメな時間は?」
「あぁ、俺だいたい予定ないんで。いつでも相手になりますよ?」
「そうか……そうかっっ……」
超絶上から物を言ってやったのだが、彼には笑われてしまう。
そんな様子を明石先輩は呆然と見ているだけ。
「これはあくまでも、『岸波をかけた男と男の戦い』ってことで良いんだな?」
そんな確認をしてくる彼に、俺は肩をすくませた。
「……そう言ったはずですが?」
「そうだよ、な。……いやぁ、すまんすまん」
この人、話が分かりすぎて辛いな……。なんか俺が馬鹿みたく思えてくる。
岸波先輩にしてもそうだが、三年生は全体的に度量の大きな人が多い気がする。たぶんそれは経験値の差なのだろう。たった一年早く生まれているだけなのに、こんなにも違うものなのだろうか? ……いや、一年の差は大きいのかもなぁ。俺もつい最近、一つ下の奴を丸め込んだ覚えあるしなぁ……。
きっと、彼らの一年はそれほどに価値のあるものだったに違いない。価値あるものだったから、こんなにも器が違うのだろう。
「じゃあ、明日の昼休みだな? 俺たちはまだ試合を残してるから、練習時間を削ることは出来ないが、自主練習の昼休みなら時間をつくれる」
「じゃあ、それで」
俺はすっと明石先輩から離れる。彼は、未だに信じられないという顔をしていた。
「おい、天津。お前バスケ部入らんか? 今なら直々にこの俺様がしごいてやるぞ?」
背中を向けた瞬間、彼が言った。この人……話分かるのはありがたいが、せっかく作った空気を台無しにしかねないな……。
だから、俺は振り向いた表情に嘲りを浮かべて生意気に答えてみせたのだ。
「今からバスケって、あんた俺の高校生活ぶち壊すつもりかよ」
だが、彼はニンマリと笑っていた。
「諦めたら、そこで試合終了だぞ?」
「……バスケがしたいなんて、誰が言うかよ」
あぁ、これだからバスケマンってのは嫌いだ。勝手に熱くなって、勝手に盛り上がって……そもそも、あんたはこの話に関係ないだろ。
俺は、明石先輩との勝負を取り付けて体育館を出た。少し手こずるかと思ったが、思わぬ介入により、簡単に約束を取り付けてしまえた。風は微々たるほどしか吹いていないのに、体育館の熱気があまりにも強くて、それすら涼しく感じてしまう。
「さてと……役者はもう一人いるんだよなぁ」
そして大きくため息を吐き出す。難関はまだあった。まだ、俺にはやらなきゃならないことがある。
そして、ちょうどその役者が体育館に現れた。
「……なんで、天津くんがここに?」
その隣には金剛さんがいた。そんな彼女には答えず、俺はその役者へと歩みよる。
「たった今、明石先輩に岸波先輩を賭けて、スリー・オン・スリーでの挑戦状を叩きつけてきた」
「……はぁっ?」
「試合は明日の昼休みだ。遅れたら容赦しないぞ? 北上」
「……はぁっっ!?」
北上は、驚きと怒りが入り交じった表情をする。
「意味が分からないんだけど?」
「分からなくてもいいぞ。既に君はメンバー入りしている。おめでとう」
「はぁっ?」
「天津くん。茶化さないで、ちゃんと説明して」
金剛さんが鋭く言い放つ。それに俺はしっかりと彼女を見据えた。
「言葉の通りだ。明日の昼休みに俺は明石先輩と試合をすることになった。勝ったら、岸波先輩をもらう約束をした」
「岸波先輩を……天津くんが……?」
「……あぁ」
それに金剛さんはジッと俺を見つめてくる。まるで俺の真意を図ろうとしているかのよう。だが、やがてため息を吐き出す。
「ほんと……意味分かんない。というか、よくそんなの受けてくれたね?」
呆れたような表情。諦めたような声。そして、彼女は……軽く吹き出したのだ。
「ほらね? こいつは、こういう奴なの。私がいくら頑張ったって、私がいくら一生懸命になったって、結局、最後にはこんなことしちゃう奴なの。ほんとっ、どうしようもない奴なのよ」
俺を見ながら放った言葉は、北上に向けて言っているようだった。
「……だからさ、もう頑張るのは止めようと思う。頑張ったって、たぶん、こいつには伝わりっこないもの。もう楽になりたい」
そして、金剛さんは俺へと詰め寄った。半歩しか詰め寄れなかったほどに距離が近い。急に顔が近くになって、焦ったのは俺の方。
「……骨の髄まで分かった。私だけが特別だったなんて、私の中だけの妄想だったんだ」
悟ったように彼女は唱える。
「だって、天津くんの特別は、最初から天津くん本人だけだったんだもの」
息が近い。体温が伝わってきそうなくらい近い。揺れる髪が、俺を撫でる。
「りんちゃんが言ってた。『天津くんは振り向かない。こちらが崩して壊すしかない』って。岸波先輩は言ったよね? 『男って馬鹿だから、無理したらダメだって。手綱を握ってなきゃいけない』って。なんか……ようやくそれを理解した」
それを俺はよく理解出来ない。というか、りんちゃん……そんなこと言ってたの……。
「ぜんぶ分かった。天津くんが馬鹿なんじゃなく、私の方が馬鹿だったんだ。……うん」
そうして、一人でに納得してしまう金剛さん。
「だから……もう一人相撲は止めにする。ちゃんと、あなたを巻き込んで、あなたにも苦しんでもらわないとね?」
その瞬間、金剛さんの腕が首の後ろに回された。甘い香りが強くなり、預けられた身体から体温が直に伝わってくる。
「――天津くんが好き」
「おまっ……え……」
北上が驚いていた。いや、俺の方こそビックリしてる。それを……今、ここで言うのか……。
「誰にも渡したくないと思った。盗られることに恐怖した。でも……一番渡したくないのは……一番盗られたくないのは、この気持ちだったんだ。それが、ようやく分かった」
彼女の声は落ち着いていた。それに、俺が動揺する。
「私は天津くんの全てを受け入れられるよ。受け入れようって、すごく思うよ。だって、天津くんはどうしようもない人だけれど……私にとっては最高の人だもん。だから周りがどんなことを言おうと、どんなに拒絶しようと、私だけは天津くんを受け入れる。この気持ちに嘘はない」
そして、すっと金剛さんは離れる。少し恥ずかしそうに回していた腕を後ろに隠して、頬は赤らんでいて……。
「こんな女の子、たぶんもう居ないよ? 天津くん」
上目使いの金剛さんは、最高に……可愛いかった。
感想欄で『軍艦が好きなのですか?』という質問が初期からポツポツあったので、この場を借りてお答えします。
私は軍艦が好きなのではなく、戦争に強く興味を持っているのです。ただ、これは語弊されかねない言葉なので説明しておきます。
日本は戦争における敗戦国家です。しかし、日本が有していた軍事力というのは、時に世界を震撼させるほどに強力であった時期もありました。そして、その強さを手にいれる為に日本が代償として捧げたものは、あまりにも大きなモノでした。
これは、日本だけではなく世界を観ても確実に言える真実だと思います。私はそういったアレコレに強く興味を持っているのです。
だから、よく軍オタと間違われてしまうことがありますが、正直彼らとは話が合いません……。
彼らは武器や戦闘機に関する知識はあっても、それを造った人々、それを操縦した人々、それを扱った人々、そして銃口を向けられた人々、作戦を指揮した人物、それを何故しなければならなかったのか? 何故、彼らは望んで戦いを始めたのか? 世界情勢、それらに関する話をしないからです。
私は軍艦が好きですが、それよりも、それらが作られた背景が好きなのです。だから、歴史好きという方がしっくりきますね。
あとがきで長々書くのは好きではありませんが、ただ単に軍艦が好きというのは、少しニュアンスが違いますので説明させて頂きました。




