彼女が弱いわけではなく
日向舞と会うな。それはいつか、俺が霧島に言った言葉だ。
それを今度は、目の前の女子に言われている。そんな状況に笑ってしまいそうになってしまった。
「なにか……おかしかったですか?」
苛立ちで笑顔がひきつる彼女。あぁ、笑ってしまっていたのか。
「いや……似たようなことを考える奴もいたもんだなって」
「似たようなこと?」
彼女の他に姫沢の制服を纏う者はいない。つまり、彼女はたった一人でここに来たのだろう。他校の学校に単独で乗り込んでくる辺り誰かさんを思い起こさせる。それか、姫沢ってこんな奴しかいないのだろうか。
「お前、口ぶりからすると日向の後輩か?」
「学年は一つ下ですね。……学年は」
学年をやけに強調するな。ということは歳が一緒ということだろうか? 留年……じゃなく留学でもしてたとか?
まぁ、そんなことはどうだっていい。彼女は日向舞とは金輪際会うなと言ってきたのだから。
「理由を聞いても?」
「聞く必要あります? 一ヶ月ほど前、二年生全員が登校しなかった日がありました。それを先導したのは日向先輩だったと聞きました。それも……どこの馬の骨とも知れない男を助ける為だった……とか」
睨み付けられた視線には怒りがあった。なるほど。そういうことか、と納得してしまう。
「それで?」
「……日向先輩は、その男を助けたが為に謹慎処分と、校内での評判を大きく落とすことになったんですよ。あの……格好良くて、いつも自信に溢れてて、私たちの憧れる日向先輩が」
「……」
後半なんだか、彼女のフィルターが掛かっている気がした。
「それが理由か?」
聞くと、彼女は一瞬キョトンとした表情。それから険悪な顔に戻り、腕を組んだ。
「今のを聞いて、分からなかったですか? それとも、もっとちゃんと言葉にしなければならないほど頭悪かったりします?」
「言葉にしないと分からないだろ。それを押し付けるのは身勝手だぞ」
「はぁっ!? 身勝手って、あなた大丈夫ですか? あなたのせいで! 日向先輩は苦しむことになったんですよ!? もし、仮にあなたが日向先輩のことを少しでも思うのなら、私がこんなことを言いに来なくたって縁切りするのが普通だと思いますが!!」
「それをあいつが言ったのか?」
それにますます彼女は苛立ちを露にする。
「言われないと分からない系ですか? それとも、言われても分からない系ですか?」
「それ、ただのアホじゃん……」
「あぁ、それは理解出来たんですか。安心しました」
……安心されちゃったよ。まぁ、俺は言われずに分かっちゃう系だがな! そもそも話しかけられないし。だから自分で調べたりして勝手に分かってる。……有能過ぎるだろ。
「なら、分かりますよね? あなたが日向先輩と関わるのは、あの方にとって良くないと思います。日向先輩は時折ここに来てますよね? 私、知ってますから。翔鶴先輩もあなたに洗脳されてるみたいですし、全然頼りになりませんし」
こいつ……自分が知ってることすげぇペラペラ喋るじゃん。
「お前は日向の何なの?」
「私はただの下級生ですが?」
「日向の後輩だろ?」
「学校というくくりで見ればそうなりますね」
「親しいのか?」
「まぁ、親しいですね」
……まぁ、親しいね。そこで一回「まぁ」をワンクッションさせるのは、だいたい親しいことを自分で疑問に思ってる奴。つまり、彼女サイドは親しいつもりでも、日向サイドから自分が親しいと思われてるかは分からない……といったところ。日向の後輩という回答に関しても学校という範囲を持ってきたということは、日向舞直属の後輩ではないのだろう。ただの下級生って言ってたし。……え?
「ただの下級生なのに、わざわざそれを言いに来てくれたの?」
「悪いですか? えぇ! ただの下級生ですが、日向先輩の為に言いにきました」
「一人で?」
「本当はもっといましたよ? 日向先輩を慕う者は多いんです。ただ、みんな怖じけづいちゃって、私一人になっただけです。私が一番強く、あの方を想ってますから!」
「ただの下級生なのに?」
「今はただのですけどね。いずれは日向先輩の特別になりますよ」
「……ん?」
「……なにか?」
眉をひそめる彼女。気丈というよりは生意気な態度。そして、包み隠しきれていない考えの端々。
「なんですか? その目は?」
なんというか……俺のレベルも少しは上がってるんだなぁとしみじみ思う。少し前までこんな状況にあったら、きっと太刀打ち出来ていなかった。
あの日、突如として目の前に現れ、あれよあれよという間に巻き込まれてしまった俺。そして、勝手に巻き込んだ日向舞。果たして俺が強くなったのか、はたまたあの時の彼女の方が強かったのか、それは今や分からない。
ただ、目の前の彼女が俺を言いくるめるには弱すぎた。
「一つ言っとくぞ?」
「……なんですか」
「日向が俺と会いたくないなら、あいつは必ずそれを目に見える形で俺に示す。俺と会うのが良くないのなら、それも込みであいつは俺と会ってる。そして、それをどこの馬の骨とも知れないただの下級生が口出しするようなことじゃない」
「なっ……」
「あぁ、すまん。一つじゃなくて三つ言ったな。数も数えられないなんてやっぱ俺はアホなのかもな?」
信じられないという表情がそこにはあった。怒りを通り越し、もはや驚きのそれは、彼女の思考を停止させたようで言葉を失わせた。
「まぁ、そんなアホでも分かることがもう一つ」
そして俺は彼女の肩にポンと手を置いてやった。
「安心しろよ。あいつは、俺なんかとのいざこざで自分を落としてしまうほど馬鹿じゃない」
そう、日向舞は強い。他者の為に自分を犠牲にすることも厭わない。それを以てしても、常に誰かを助けようと考える。彼女の思考だけは、さすがの俺でも至れない。もはやあの思考は天性の何かだと思わざるを得ない。
「何を……分かったようなこと。最近の日向先輩は、とても悩んでいるんです……会話にはよく天津風渡という名前が出てきます。あの方を悩ましている諸悪の根元は、あなたなんですよ?」
「それは違うな」
俺はしたり顔で否定してやる。
「あいつが悩んでる大半の原因は、あいつが強すぎるからだ。助けなくても良いやつのことを心配し、助けなくても良い奴のことばかり考えて。……あれだ。B級映画の主人公と一緒だ。なんの関わりもない街が悪者に破壊されて、それを悲しむ主人公と一緒」
まるで「自分ならば彼らを助けられたのに……」と云わんばかりの態度には、もはや笑いすら起きない。それで涙を流している場面を見ると、なんだか冷めてくることさえある。
日向舞はそういう奴だ。それを自分にだけ充てておけばいいのに、なんの精神だか知らないが、勝手にそれを他人の為に使う。そしてそのことに本気で悩んでる。まるで自分のことのように考えられる。そんな……少し頭のおかしいやつ。だから、彼女の悩みはいつだって自分じゃない。自分は既に完璧で、それを完全に前提としてしまっていて、だからこそ他人の為に力を使った。
「お前が心配しなくても、あいつは自力でどうにかするだろ。なにせ……格好良くて、自信に溢れてて、憧れの日向先輩は、常に完璧だからな。そんな完璧な日向先輩は、俺みたいな奴が原因で失墜すると思うか?」
「するわけないでしょう。相手にすらなりませんが?」
「なら、俺のことなんか相手にするな。さっさとオウチに帰りなさい。俺は忙しいんだよ」
肩に置いていた手で二、三度ポンポンしてから彼女を通り過ぎてやる。
そもそもの話、「金輪際会うな」と言われても、向こうから会いに来てるのだから、俺にそれを言ってくるのはおかしいのだ。俺は一度たりとも、自分から日向舞に会おうとしたことはないのだから。
「ちょっ! ちょっと! なに話を勝手に終わらせてるんですか!?」
「……いや、勝手に始めたのお前だろ? なら、終わらせる権利くらい俺にあって良くね?」
「そんな……勝手な」
立ち尽くす彼女。それに俺は無情にも去ろうとし――少し考えてから戻った。
「……なんですか?」
「いや、お前……日向舞の味方なんだよな?」
「まぁ、そうですね」
「……あの騒動についてたが、俺も事前に知ってたら止めてた。ただ、それをあいつが話さなかった。だから、止められなかった」
彼女は面妖な顔をする。
「今さら……言い訳ですか?」
「違う。知ってたら止められてたかもしれないって話だ」
「……それが何か?」
「だから、今後日向がそういうことをしそうになったら、俺に教えてくれ」
また、キョトン。
「……は?」
そんな彼女の前で、俺はしゃがみこむとノートを取り出し、その端に俺の電話番号を書いた。それからビリリッとその部分だけ破る。
「ほれ、連絡先。LINEやってたら、登録するだけで自動的に出てくるだろ。LINEやってなくてもそれで連絡できる。俺はあいつの突発的行動が全く読めないから、出来るだけそれを知る術が必要だ。お前は諸悪の根元である俺の事を知りたいから、これでいつでも連絡してこれる。ギブ&テイク」
「……なるほど」
少しも考えずに受けとる彼女。騙されやすいのかな……この子。ちょっと心配になってくる。
「確かに、これならわざわざここに来なくても、あなたを牽制できますね」
大丈夫かな……この子。牽制しなきゃいけない俺の提案に、やすやす乗ってきてるけど。
「それに、わざわざ日向先輩をバスで追いかけなくても、これなら事後をあなたから聞けるってことですか……」
あぁ、たぶんこの子大丈夫じゃないな……。なんか発言に犯罪めいた臭いがするもの。
「わかりました。今日のところは、これで勘弁しましょう」
それ、小悪党が言うセリフなんだけどな……。
「私は瑞鳳瑞流です」
「天津風渡だ」
彼女はなんの躊躇いもなく握手を求めてくる。こういうのはあまり好きじゃないが、俺はその手を取った。
「日向同盟ですね」
うん……日向舞は入ってないけどね。
その夜、なんとなく日向舞に瑞鳳の事を聞いてみると一言だけこう返ってきた。
――誰? 芸能人?
そんな彼女が、たった一人で日向舞だけのことを想い学校にやってきたことを考えると、今夜は枕を涙で濡らしてしまうかもしれない。
りんちゃんも聞いてみようかと思ったが、彼女は案外察しの良い人間であるため止めておいた。俺が日向舞に関することを、りんちゃんから聞き出せないのもその為だ。彼女はあれでガードが固く、日向舞サイドの人間であるため、たぶん俺が知りたいことを教えてはくれない。
そう考えると、瑞鳳の強さは彼女たちに比べ圧倒的に劣っていた。
部屋を真っ暗にしていると、どこから入ったのかプーンと蚊が顔の辺りを飛び回っている。いつもなら、数分間電気を点けたり消したりして格闘するハメになるのだが、何故か、この日は適当に叩いた一発目で仕留めることが出来た。
ほんと、飛んで火に入る夏の虫とはこの事だろう。




