金剛さんの家
二章に番外編追加。勉強会も追加したいのですが、誰視点で書けば最も善いのか検討中です。
「ここか……」
目の前にある家の表札には金剛と書かれてあった。その文字に負けない楷書体で彫られた金剛。
霧島はここまで道案内してくれスマホをポケットにしまう。彼女の家まで俺は知らなかったのだが、霧島が担任から住所を教えてもらったお陰で、ここまでたどり着くことが出来た。
重厚な木製の扉横にあるインターホン。それを霧島に押してもらうことにする。バスの降車ボタンも俺は殆ど押すことはない。押さずとも誰かが押してくれるからだ。だから時々、バスが停車せずに通過しそうになる直前で焦って押すことがある。そして、降りるのが俺だけかと思いきや、何人かいたことに怒りを覚えるのだ。いや、お前らが押せよ、と。
そんな俺の思惑など無視して霧島は躊躇なくインターホンを押した。こいつアレなんだな。俺の気持ちとか無視して勝手に押すんだな。なんか、「じゃあ、押すよ?」「おぉ」とかいう会話もなく押しちゃうんですね。……別に良いけどさ。気分としては、肩も温まってないのに登板させられる投手みたい。気持ちの準備とかさせてくれよ……いや、押すのはお前だから別に文句はないんだけどさぁ。文句ないんだけどさぁ!
たぶん、家の中ではインターホンに付けられているカメラで俺たちを確認しているに違いない。怪しい人物とは思われたくないので、カメラには気づかないフリして平然を装う。
インターホンに雑音が入って、聞き覚えのある声がした。
「……はい」
紛れもなく金剛さんだ。それに霧島が通話ボタンを押しながら「霧島です。担任からプリント類を預かってきたんだ」と返した。なるほど……そういう感じか。俺はこういう時の返答に関する例を「こんちわー。三河屋でぇーす」しか知らない。だから俺が答えた場合、「こんちわー。天津でぇーす」になる。ほんと、毎週日曜日ってタメになるアニメが多い。タメに成りすぎて学校行かなくても良くね? ってなる。だから出された課題とかやりたくなくなるし、月曜日を迎えたくなくなる。もはや日曜日が罪。次の日休んでも俺は悪くない。
「……ちょっと待ってて」
そんな言葉で通話がプツリと切れる。すぐに扉が開くのかと思いきや、それはなかなか開かなかった。
そして、ちょっとどころではなく、しばらく待たされた挙げ句に扉がガチャリと開いた。出てきた金剛さんは全身スエット姿で、肩にはショールを掛けている。彼女は霧島を見てから、隣にいる俺を見た。
そして、扉を素早く閉めたのだ。
えっ……なんで? というか今、明らかに俺を見てから閉めたよね?
これにはさすがの霧島も困惑の表情をして、まるでアメリカンっぽく肩を竦めて見せた。素でこういう反応が出来る彼には、もはや脱帽でしかない。あぁ、ちなみに脱帽は相手に対し敬意を表する時に使われる。つまり、俺は今の霧島に敬意を表したのだ。そう、今だけの霧島くんにね? ハハハ! ただのアメリカンジョークだよ! ……はぁ。くっそ、つまんねぇな。使った素材が悪すぎたわ。反省しろよ霧島ぁ。
閉まった扉はなかなか開かず、しばらく待つ俺たち。最初のとトータルするともはや結構待ってる。ほんと、あれ。電車が何かしらのトラブルとかで遅延した時と一緒。乗った電車のアナウンスでは「三分遅れて申し訳ありません」とか言ってるけど、駅で待ってた時間も合わせればキューピーどころじゃない。もはやキューティーになって鉄道会社にはフラッシュしたいくらい。まぁ、フラッシュというよりはクラッシュか。変わるわよ? ……いや、ハニーじゃないから無理なんだけどね。蜂蜜よりもマヨネーズ派です。やっぱりキューピーでいいや。子供の頃、本当に三分で料理が出来るのだと信じていて、見たあとに騙されたような気分になったことも許す。
アホな思考遊びをしていると、ようやく扉が開いた。
「天津くんも来てたんだ……」
金剛さんが苦笑い。あぁ、霧島が邪魔でカメラからじゃ俺が見えなかったのね……。平然を装ってた俺は居ないことになってたわけか。
「体調の方はどう?」
霧島が声をかける。
「……うん。だいぶ良くなった」
「無理しないようにね?」
いや、無理させたのお前だろ。そう思ったが言わずにおく。そうして、霧島はプリントの入ったファイルを彼女に渡した。
「ありがと……」
「じゃあ、体調に気を付けてね」
「……うん」
霧島は笑顔で手を振り、扉から離れた。なんかこういう状況って、家に上がり込むシチュエーションとかあったから正直ホッとした。だよなぁ。風邪引きの奴の家に上がり込むとか失礼極まりない。いやぁ、なんか変なシミュレーションしてた俺の無駄な努力ね! いや、むしろどんな状況に転がっても対応しようとする俺の有能さが仇になったな、これは!
「じゃあ、体調に気を付けろよ」
俺も霧島と同じ復唱。大事なことだから二回言っただけ。別にかける言葉が思い付かなかったわけじゃない。
「あのっ……天津くん」
離れようとした間際。腕を掴まれてしまい止まる。見れば、彼女は何かを言いにくそうにしていた。
だが、やがて。
「――ありがとう。霧島くんと私を二人きりにさせない為についてきてくれたんだよね」
そう、耳元で囁かれた。
実際ついてきたのは霧島の方だ。俺は成り行きでしかない。だから、それを否定する為に金剛さんに向き直り、「違うぞ」と言いかけたが……彼女が少し嬉しそうにしていて、それを言ったらそれがなくなるような気がして……そしたら、風邪がもっと酷くなるような気がして……止めた。
「またね」
顔全体が熱を帯びているのかほんのりと赤い。その熱が、風邪ではなく別の熱に思えてしまい動揺する。全身スエットに、肩掛けショールは、俺から見てもダサい組み合わせだったのに、やはり金剛さんは可愛いかった。
だから俺も「またな」とだけ返す。
ただの会話。何気ない一言。だが、それを言えるのは、本当にまた会いたい人にだけだ。それを俺は知っている。
彼女はやはり無理をしていたのだろう。ここ数週間の彼女は、とても頑張っていた。頼れる人はなく、気楽に話せる人もいない。それが彼女を強くした……そう、俺は思い込んでいた。
だが、そうではないのかもしれない。
彼女は俺に「またね」と言った。たぶん……それを言えるのは、クラスメイトの中でどれほどいるのだろう。最近は少しだけ様子が変わってきたが、それでも彼女の中では、あの日のクラスメイトたちが消えたわけではないはずだ。
頑張っていたのは強くなったからじゃなく、強く在ろうとしたからなのかもしれない。つまり、実際に強くなったわけじゃない。
「――最後、何話してたの?」
霧島は聞いてくる。それに俺が答えるはずもない。
「さぁな」
「ふぅん。もしかして俺のことだった?」
「自意識過剰も大概にしとけ。いつもいつだって、女子がお前のことを話してると思うなよ」
それでも霧島は涼しい顔をする。こいつの服の裏側にだけ、クーラーでもついてるのではないかと思えてくる。
どこかで蝉が鳴いていた。遠くのアスファルトが空気を滲ませている。
待っていたのに、いざ来るとウンザリしてしまう。そんな自分勝手な思い違いを気づかせるような暑さが、そこにはあった。
そして、毎年実感するのだ。あぁ、これが夏だったな、と。




