霧島海人という男
霧島海人という男は隙がない。朝と昼休みはサッカー部の練習でいないし、休み時間、及び移動教室への移動に至るすべての時間を自分ではない誰かと過ごしている。そんな最中に俺が彼に話しかけようものならば、きっと何事かと注目を浴びることになるだろう。最悪、俺が睨まれるまで予想できる。なんにも悪いことなんてしてないのに、だ。
だから、霧島に接触するにはトイレに行く瞬間しかない。そこを狙うしかなかった。
その日俺は、教室にいる霧島海人を観察しトイレにいく瞬間を待った。見ていて改めて思うが、彼は本当に友達が多い。教室にいれば誰かと雑談をしているし、教室外でも部活の仲間なのか他クラスの奴とも話をしている。クラスってのは、席の位置でだいたい話し相手が決まってくるのだが、彼は自分とは離れた位置に席をおく女子とも冗談のやりとりをしていた。俺とは大違いだ。ちなみに、俺の隣は女子生徒なのだが、彼女は俺に見向きもしない。これは忘れ物など絶対にできない。もしも忘れ物などして彼女と席をくっ付けようものなら、最悪の授業時間になることは目に見えている。だから、隙を見せないという点では、俺も負けてはいない。
「ごめん、ちょっとトイレいってくる。これ頼んだよ」
次が移動教室という休み時間。霧島が友達へと自分の教科書を渡し彼らから離れた。彼はいちいち自分の行く先を彼らへと告げている。そうしなければ「どこ行くの?」と問われてしまうからだ。教科書を渡された奴は「しゃーねぇなぁ? んじゃ、教室のゴミ箱に捨てとくから」なんて笑いながら答えている。よくある悪ノリのやり取り。俺にされたら普通にイジメだ。マジで捨てられてる未来がみえる。
「ひどくね? お前が忘れ物してももう見せてやらないぞ?」
「あぁー、それは困るわ。安心しろって。ちゃんと金剛さんの隣に置いとくから」
「ちょっ、ちょっとそこで何で私なわけー!?」
悪ノリに巻き込まれた女子生徒、金剛麻里香が、慌てたような声で割り込んだ。彼女は学内でも人気の高い美少女である。霧島と金剛の美男美女カップルというイジリは、わりとクラス内ではあるあるだった。金剛は「そういうの止めてよ~」などと反論してはいるものの、表情はまんざらでもない。
ただ、そういうイジリをしているのは一部の男子だけで女子からは聞いたことがない。見ていればわかる。その時だけ、複数人の女子生徒たちは、不服そうな反応をするのだ。
前に、同じようなやり取りがあった時、俺の隣の女子は他の女子と「金剛さん絶対にわざとだよねぇ」「思ったそれ。ちょっと猫かぶりしすぎじゃない?」なんて囁きあっていた。その時、俺が寝たフリに徹したのは言うまでもない。
幸いなのは、霧島自身がその空気を読んでいることだろう。だから、霧島はそういったノリには乗ってこない。
「……ちゃんといつも所で頼むよ」
「はいはい。分かってるって」
そう言って足早にトイレへと向かった。性格すらイケメンの霧島海人。彼が神格化されているのには、ちゃんとした裏付けがあるのだ。
そんな神に接触するため、孤高の神も動き出す。ポケットには、昨日渡された日向舞の紙切れを忍ばせて。
「あれ? 天津くんも?」
トイレにて、仕組まれた鉢合わせに霧島は笑って話しかけてきた。こいつは誰かと話していないと死ぬような病気にかかっているのだろうか? 俺に話しかけてくるとか、もはやそれしか考えられない。いつもなら、そんな言葉に苦笑いしかながら返すしかない俺だが、今回は助かったと思った。正直、どうやって話しかけようか悩んでいたからだ。
「いや、トイレじゃなくて用があるのはお前にだ」
「……俺に?」
驚いたような表情。そりゃそうだよなぁ、なにせ俺が彼に話しかけるなんて俺自身ですら想像してなかった。
「あぁ。昨日、姫沢高校の女子生徒に頼まれてな。これを渡すよう脅迫された」
「脅迫……??」
彼の反応は気にせず、紙だけを差し出す。
「LINEのIDだ」
「LINEの……うーん、困るなぁ。そういうの」
「困るのは分かるが、俺も困ってる。俺を助けてくれるなら、取り敢えず連絡だけしてやってほしい」
霧島海人は性格すらもイケメンの男だ。彼は優しいが故に困ってる人を放っておかない。俺に話しかけてきたのも、その優しさ故だろう……いや、もしかしたら同情なのかもしれない。だが、そんなのは今どうだっていい。彼に漬け込む隙があるとするなら、その甘い優しさや同情心だ。
「姫沢ってことは女子だよね? それって君の友達?」
「いや、俺友達いないから」
「……あはは、じゃあ知り合いかな?」
霧島は苦笑いして、その紙を受けとる。これで俺の仕事は終わりだ……そう思ったのだが。
「でも、連絡はしないよ。顔も知らない相手と連絡取るなんて普通に怖いからね? 俺と知り合いになりたいなら、直接会おうって伝えてくれ」
「……いや、待て。俺は頼まれただけで、彼女とは面識がないんだ。だから俺が彼女と会う機会だってもうないかもしれない」
「なら尚更連絡は無理だよ。それなら、天津くんから連絡してそう伝えてくれ」
そして紙を返してくる霧島。彼の言ってることが正論だけに、俺はそれを黙って受けとるしかなかった。
任務失敗。
「用はそれだけ? じゃあ、早くいこうか。授業始まるし」
霧島はトイレを済ませると、俺にそう微笑みかけてきた。
「いや、俺もトイレだから……」
別にそんなつもりではなかったが、彼と共に教室に入ることは憚られるために、ついそう答えてしまった。「急いだ方がいいよ」と、最後まで優しい霧島は軽い口調でそう言ってトイレを出ていってしまう。残された俺は、少し汗で湿った紙切れを見つめてため息を吐く。
そして、霧島が今のやりとりを奴の友達に話しているところを想像してもう一度ため息。なんで俺がこんな目に遇わなければならないのか。やはり、他者と関わるのは悪い結果しか生まない。頼れるのは自分だけ。だから、俺に頼ってきた日向舞は間違っている。霧島の言うとおり、自ら彼と接触するのが正解なのだ。責められるべきは俺ではなく、受け取らなかった霧島でもない。そんな方法を取った日向舞だ。
だから俺は悪くない。やるべきことはやったのだ。
そう、精神を整えてからトイレを出る。授業開始直前に教室へと入り込んだが、霧島が先ほどのやりとりを話題にしている様子はなかった。安堵しながら席につき、いつもの俺へと回帰する。
もう終わったことだから忘れよう。そう心新たにした。
なのに。
「――なぁ、あれって姫沢の子だよな?」
「――なんでここに? 誰か待ってるとか?」
「――そうじゃないかな? バスを何本も見送ってたから」
嘘だろ……。俺は驚愕した。
昨日と同じ時間にバス停へと往くと、ベンチに日向舞がいたからだ。理由はすぐに分かった。おそらく俺を待ち伏せしているのだ。怖っ……。
俺は彼女に気付かれないうちに、こっそりとバス停を離れることにした……が。
「ようやく見つけた!!」
この一年、俺が磨きあげてきたステルス能力を簡単に看破されまう。力強く引っ張られた制服、抑えようともしない大きな声。振り返ってしまえば、もう言い訳など出来ないことは確実。
なのに、他の誰にも一切見向きもしない、俺だけに向けられたその言葉に、振り向かないわけにはいかなかった。
「なんで連絡くれないの!? 昨日、遅くまで待ってたんだけど!」
もう止めてくれ。それ以上は口にしないでくれ。少しずつ周りの視線が集まってくるのを感じる。だから、その口を防ぐために俺は愛想笑いで彼女と対面した。
「いや、ちょっと待て」
「待ったのは私なんだけど?」
「そういう意味じゃなくてだな。取り敢えず、こっちにこい」
俺は掴まれて腕を掴み返して足早にバス停を離れる。周囲の視線が追ってきたが、本当に追ってくることはなかった。
厄日だ……。俺は人目のないところまできてからようやく彼女を放す。いろいろ言いたいことはあるが、単刀直入で切り出した。
「昨日の紙は霧島に渡そうとしたが、奴は受け取らなかった。知り合いになりたいなら、直接お前から来いってよ」
考えていたことを一気に吐き出した。彼女は、少し息を切らしてい膝に手をついていたが、俺の言葉はしっかりと聞いていたのか、顔をあげてから「分かったわ」と返答した。
わかってくれたか。不安はあったが、理解してくれたことに安堵する。
「じゃあ、今から霧島くんの所に案内して。直接話すわ」
「……は?」
訳が分からなかった。俺は諦めろという意味でそれを伝えたというのに、どうやら伝わらなかったらしい。おそらくは霧島だってそういった意味合いでそう言ったはずなのだから。
「お前……そんなに、その友達と霧島とを繋げたいの?」
「私は友達を大事にしたいだけ」
「それ……大きなお節介だと思うぞ」
つい本音が出てしまった。言った直後にマズイかと思ったが、彼女は微動だにしない。
「私はあなたとは違うわ。全てを諦めて自分の殻に閉じこもったりしないし、自分に出来ることならしてあげたいって思ってる」
「それが大きなお節介なんだが……それに、そいつが霧島からフラれたらどうするつもりなんだよ」
「それでも、私があの子の為にしてあげたってことには代わりない」
俺は言葉を失ってしまった。これはダメだ……救いようがない。本気で、それが友達の為だと思っているらしい。
もはや呆れを通り越して感心すらしてしまう。彼女が考えを改めるには、それが間違っている経験をしなければならないだろう。
……いや、彼女は改めたのだろう。これまでの経験から、改めてそうした考えを持っているのだろう。だからこそ、今度は……今度こそは、それが正しいやり方なのだと思い込んでしまっているのだ。
間違ったやり方では、間違った答えにしかたどり着かない。だから、日向舞のやり方では、きっと最悪の結末にしか行き着かない。それでも……彼女をもう一度改心させる為には、そこは避けては通れない気がした。
同情は悪だ。だから可哀想な彼女をどうにかして改心させようとすることも間違っている。
なら、もう彼女が間違いに気づくまで猛進させるしかない。というか、俺をこれ以上巻き込まないでほしい。
「……霧島はグラウンドにいるだろ。サッカー部の誰かに声を掛ければ、会えるだろうさ」
俺はそれだけ言い残して去ろうとする。
「待って」
なのに。
「他校の制服を着た私が独りで入ったら怪しまれるじゃない。天津くんも付いてきてよ」
「えぇ……」
「それでもうあなたとは関わらないから。もう待ち伏せもしない」
見つめてくる純粋な瞳。そこに乞い願う気持ちには嘘の欠片すら見当たらない。そして、だからこそタチが悪い。
断ったところで一蹴されるのは予想できた。だから、どう言ったって俺は連れていかれる運命なのかもしれないと半ば諦めてしまう。
「……わかった。ただ付いていくだけだからな? 話はお前がしてくれ」
「ありがとう!」
嬉しそうに微笑む日向舞。もうどうしようもないな、これ。
俺は不本意ではあったが、またしても彼女の押し付けられた提案に従うことにする。
……それに。
ふと、考えてしまったのだ。霧島が日向舞の話を断った時の未来を。彼女は本気で友達のことを想い、霧島と話をする。そして霧島はそれを断り部活へと戻ってしまう。その時に、グラウンドの端で立ち尽くす日向舞の姿を。
俺は何も悪くないのに、トイレで霧島から断られた時に惨めな思いをした。それは日向舞のせいでもあるのだが、きっと彼女も断られれば同じような思いをするのだろう。
ボッチは他者から拒絶される痛みを知っている。だから、それを人に与えることはしないし、そういったことに敏感だ。
だから、彼女が断られた時に俺は「残念だったな」と声をかけてやることにした。ただ、それだけの為に俺は不本意ながら付いていくことにした。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
よくもまぁ、誰かの為にこんなにも労力を費やせるものだ。そんなものは、結局自分を含めた誰の為にもならないというのに。
やはりボッチは最強だ。その労力を全て自分の為に注げるのだから。
俺は、日向舞を連れて学校へと戻る。やはり、彼女の制服が目立つのか誰もがこちらを見ていた。霧島海人は他校の女子にも知れ渡る神だが、さすがに校内まで入ってくる女子生徒はいない。だから、今の日向舞はそれを覆す革命児といったところだろう。
恐ろしいのは、その想いが彼にではなく、自分の友達に向いているという点だ。
今の彼女なら、友達の為に死をも厭わないのかもしれない。それはやはり、誰の為にもならない。
それを彼女に身をもって教えなければならない。今なら、まだ間に合う気がした。