スープレックス
「うおおおおおぉぉぉ!」
男との距離が掴めそうな程まで近づく。俺は渾身の力でその背中にタックルした。
「あぁあぁぁ!」
男はそのままつんのめって転ぶ。カメラだけが先を飛び出して数メートル先に転がった。そんな男にマウントを取ると、彼は頭を抱えて喚いた。
「ごっ、ごめんなさい! 勝手に撮るつもりはなかったんだぁぁ!」
その腕を引き剥がして顔を露にする。男の怯えた瞳が俺を捉えた。
「きっ……君は……」
「お久しぶりです。いつぞやはありがとうございました」
笑って挨拶をしてやる。お礼もちゃんと言えた。彼はそれに誇るべきなのにも関わらず、表情には恐怖が浮かんだまま。
「ちっ、違うんだ! あれは……あれは、ほんの出来心で……あんな風にするつもりじゃ」
「あれって何ですか。まだ俺は何も言ってないですけど?」
「あっ……」
俺は呼吸を整えながら彼を見下ろす。彼も息を乱しながら俺を見上げる。その瞳に微かな光が灯った。
「まぁ、全部知ってますけどね」
そして、すぅっとその光は消えた。
「今の撮った後にどうするつもりでした? また、妙な言葉でどこかにあげるつもりでした?」
「ごっ、誤解だ! 俺は……綺麗なものを撮りたかったんだ! あの時、君に言った言葉も嘘じゃない! 俺は昔、同じ状況で彼女と別れたんだ!」
何を言っても遅すぎる。それでも、男は喚き続けた。
「本当なんだ! 最初は、本当に綺麗なものだけ撮るつもりだったんだ! でもそれじゃ、世の中は評価どころか、見てもくれないっ! だがある日……猫が道路で轢かれてるのを見つけて、かっ、カメラを回した。俺は……人間のエゴについて撮ったつもりだったんだ。そしたら、それだけ凄い再生されたんだよ」
彼は、狂気の笑みを浮かべながら説明する。
「やつらは、散々最低だとか叩くくせに……その動画だけ、何十万再生もされたんだ……ははっ。でも、俺はそんなつもりなんてなくて、人間の真実をカメラにおさめたかっただけなんだ。……あの時も、君の真っ直ぐな真実をおさめたかったんだ。だから、君を追いかけた。探してた女性と再開する感動をおさめたかっただけなんだ」
男は必死に訴える。だが、そこには行動も結果も伴っていない。いくらそれが真実であろうと信用するに値しない。
「今のだってそうさ。夕暮れのなか、愛を確かめあう恋人を撮りたかったんだよ。別に変な言葉でアップしようとしてるわけじゃない。きっ、君たちの健やかで、穏やかな愛を俺のフォロワーに……」
その瞬間、何かが切れた音を聞いた。
「……うるせぇよ。何が俺の、だ。お前なんかのもんじゃねぇよ」
彼の言い分には善があった。だが、それは彼の頭の中だけのもので、それを善と呼ぶにはあまりにもお粗末過ぎた。
彼は……彼の考えは……彼だけの中でのみ完結している。
だから、彼はそれを悪いとは思わない。思えないのだろう。
そして、それが影響した先に何があるのかを考えられない。経験もなく、知識もない。だから、結論を導き出せないのだ。それが出来るなら、あんな呟きなどしない。目先の再生された数字しか見えないから、あんな呟きをあげられるのだ。
それが分からないなら、教えてやるしかない。
もっと悪意に満ちてりゃ良かったのに、彼は救えないほどの大馬鹿野郎だ。それでも……こんな奴でも救ってしまう俺って神様よりも偉い。
「勝手にお前のもんにしてんじゃねぇよ……なにが“俺の”だ。そうやって自分の手の中にないと不安なだけだろ」
彼が……心にもない事を書き込んだのは、注目されたかったからだ。そうやって人の目をひいて、人の関心をひいて、それを、さも自分の実績が認められたかのように錯覚したかっただけだ。
だが、錯覚は所詮錯覚でしかない。そうあるように見えてしまっても、実際はそこにはない。
それでも、彼はそれに喜んでしまったのだ。だから、同じ事を繰り返したのだろう。
何故なら、繰り返さねば、せっかく集まった人々の目が、どこかに去ってしまうことを理解していたからだ。だから、彼は錯覚を自ら望んで繰り返し続けた。
そして探したのだ。繰り返すことのできる何かを。
「はっきり言ってやるよ。あんたがしたことには、あんたの事なんて数ミリ足りとも含まれていない。そうやって注目を集めたって、あんたの事が評価されることはない」
だが、それでも男は狂気を浮かべ続ける。
「そっ、それがカメラマンだ。映すものに自分は映っちゃいけないんだ。映すのは真実のみだよ」
まるでカメラマン気取りの彼には呆れるしかない。真実を映す? こいつは何を言っているのだろうか。
「あんたが映してるのはあんた自身のエゴだろ。言葉も動画も、その為の道具にしか思ってない。……だから、『俺の』なんて言葉が出てくるんだ」
「きっ、君こそ何を言ってる……みんなは俺を支持してくれてる。俺に期待してくれてるんだ。こんな何も出来ない世の中で、俺の呟きだけが、唯一世界が黙秘する不満をさらけ出してる。それを、みんな理解しているんだ」
男の瞳は濁り、口元は歪む。爛々としたドス黒い闇だけが、彼の中に蠢いていた。
「俺は……いつか分からしてやるんだ……俺だけが人間の真実を写せるんだと知らしめてやるんだ……世間に認めさせてやるんだ。その為には、有名にならなきゃならない。人を集めなきゃならない。だから……」
もはや、それ以上は聞く必要などなかった。聞くに耐えなかった。
だから。
「満足か?」
そう問いかけたのだ。
「人の注目も集められて満足したか? 関心してもらえて満足したか? それが、本当にあんたの望んだモノだったのか?」
「それは……」
満足などするはずがない。それで、満たされるはずなどない。
世間に認められたいなんて俺は思ったことはない。なにせ、目の前にいる誰かにさえ認められはしなかったのだ。そんなこと、考える余裕さえなかった。
だが、目の前にいるにせよいないにせよ、結局認められるなんてのは同じことなんだ。認められるというのは、全て他人が持つ権限。そこに自分が関われることなんて何一つない。
認めさせてやるなんてのは無理だ。誰かが勝手に自分を認めるだけだ。
だから、その為には……自分が誰かを認めなければならない。
この世界に幽霊は居ないとされている。それは幽霊が見えないから。見えないものを人は認められない。たとえ、幽霊には人が見えていたとしても、それだけでは存在できない。
人が幽霊を認識して、幽霊も人を認識して……それで初めて存在できる。
そしてそれが出来ないからこそ幽霊はいない。
たとえ居たとしても、そこには居ない。
それが現実だ。
「あんたが世間に認められたいなら、まずは誰かを認めろよ。そして認めた奴に評価してもらえよ……。それが満足のいくものだったなら続ければいいし、もしも満足してもらえないなら、満足してもらえるよう考え続ければいいだけだ」
男からは怯えの表情が消え、呆然としたものになっていく。きっと思っているに違いない。こいつは何を言っているんだ? と。ほんと……俺も何を言ってるんだか。お人好しにも程がある。
「だっ……誰を認めれば良いんだ……そんな奴を認めて……俺がそいつから認められたって……世間の評価は変わらない」
そんなのは自分で考えろ、そう言いそうになった。だが、俺は言葉を飲み込み、息を吐く。
誰にも認められなかった俺が、唯一認められた者。そして、そいつが俺を認め、満足を得られた唯一の者。
そんなの決まりきっている。
「自分だろ」
そう言った後に、男は眉を潜ませた。良い反応だ。
「あんたが認めるべきは自分だろ。その自分は、今のあんたをどう評価する? どう思う? 答えてみろ」
それに男は答えない。ただ、唇を噛み締めるだけ。
やっぱりな。
「なんだ。じゃあ、自分にすら認められないやり方してるのかよ。そんなんで誰かに、世間に認めてもらえるなんて、考えが甘いんじゃないのか?」
誰かを全て知ることなんて出来ない。誰かを支配することなんて出来はしない。だが、それが唯一出来る者がいた。
それが自分。
だから、俺は自分だけを認めた。俺のことなら俺が一番よく知っている。だから、自信を持って俺だけを認めたのだ。
そして、常に俺は俺に問いかける。それはお前が満足できるやり方か? と。
テストで九十九点を取っても満足しない奴がいるのはそういう理屈だ。いくら周りが誉めそやしても、そいつだけは満足しない。そして、満足出来るまで考え続ける。だからこそ、そういう奴は強い。
自分を持つというのはそういうことだ。常に自分を評価する自分がいて、そいつは誰よりも自分を知っている。だからこそ、その評価は絶対的で、たとえ、いくら周りが低い評価を下そうと、その評価が高ければ満足できてしまえる。
自分を持たぬ者は、誰かに評価などされない。当たり前だ。自分を持ってないのだから幽霊になってしまっているのだ。
幽霊は見えない。だから……評価なんてしようがない。
「あんたは認められないんだろ? 気取って格好つけた言葉とは真逆のことをしている自分を。そして、そんな認められない自分を、偶然にも認められてしまったような気がした事に囚われてるだけなんだ。だから、繰り返した」
「そんなことは……」
それでも尚、彼は言い逃れようとする。そうではないと言葉を探す。諦めろ。お前は既に詰んでいる。
「なら、何故逃げた? 俺が近づいた時に、何故あんなにも躊躇なく逃げられた?」
男が俺を、あの時の人物だと理解したのは追い付いてからだ。だから、逃げたのは俺に対する罪悪感からではない。男は、自分に対する罪悪感から逃げようとしたのだ。
分かっていたからだ。自分がこれからやろうとしていることが、自分すら認められない行為であることを。
「認めろよ? あんたは自分ですら許せないことをやろうとしたんだろ? 認めれば楽になる。あんたはそこから始めるんだ」
男は歯噛みをした。まぁ、当たり前か。目の前でそれを口にしているのは、どう見たって男よりも歳の若い小僧なのだから。
認められないなら、認められるよう手助けしてやるしかない。
俺は認めさせてやるなんて傲慢な事は言わない。だから、これはあくまでも手助けだ。
「――天津くん!!」
背後でりんちゃんの声がした。ナイスタイミングだ。
「りんちゃん、あそこに転がっているカメラあるだろ! あの中のメモリーカードと本体をぶっ壊せ!」
「やっ、ヤメロォォ!」
男の顔に恐怖が戻った。
「えっ……でも」
「ヤメロ! あの中には今のだけじゃない! 今日、足を棒にして探した他の記録もあるんだぞ! それをみんなが待ってる。待ってるんだ!」
足掻く男を押さえつけ、俺は笑う。
「所詮、みんなだろ? 悪いな? 俺はボッチなもんで、みんなよりも自分の方が何倍も大事なんだ。だから、あんた自身が待ち望んでいる事を、この俺がしてやるよ。やれ! りんちゃん!」
彼は……彼自身はずっと待っていたはずだ。彼自身が満足できる未来を、彼自身が幸せになれる未来を。だが、それを彼自身ではない誰かが邪魔をした。だから、その誰かを殺すのだ。
きっと、ここでカメラを壊したって彼はまた購入してしまうのかもしれない。同じ事を繰り返そうとするのかもしれない。だが、考える時間は出来るはずだ。本当にこれでいいのか? と。そして、もしかしたら、繰り返さないかもしれない。
だからこそ、これは手助けに過ぎない。そこから先、どうするのかは彼自身にしか分からない。それでも、可能性をつくってやるくらいはしてやれる。
「ほんと……俺って最高に良い奴過ぎる」
りんちゃんは戸惑っていたが、俺の満面の笑みを見てから、カメラに向かって走りだした。
「こんのっ……糞ガキどもがぁぁあぁぁぁ!!!」
その瞬間、押さえつけていた男が力を振り絞った。それはあまりにも馬鹿力であった為に、俺は不覚にも彼から退かされてしまった。
だが、逃しはしない。
俺はすぐに起き上がり、男の体を後ろからがっちりクラッチする。それでも男は抵抗を止めない。
「ヤメロォォォォォ!」
やめねぇよ。誰が止めてなどやるものか。男が信じているのは全て錯覚だ。精巧につくられた紛い物だ。そこから抜け出すには、男の世界をひっくり返してやらねばならない。
りんちゃんはカメラを拾い上げると、メモリーカードを引き抜いた。それをポトリと地面に落とし、片足を上げる。
「止めてくれぇええぇぇぇ!」
男は叫ぶ。その悲痛さに、俺は何故だか笑みを深くした。
仕方ねぇなぁ。見たくないのなら、見えないようにしてやんよ。ほんと、俺の仏心は天にも昇れそう。あぁ、それだともう天に昇ってるか。
「歯ぁ食いしばれよぉぉ!」
俺は腰を屈め、思い切りのけ反る。男の体がフワッと浮いて、後ろへと引っ張られた。これぞ、プロレス技の一つ、スープレックス!!
子供の頃にプロレス技ってよく練習したよなぁ……。相手の痛みなんか想像もしないで、ただプロレス技を完成させてみたかったんだ……。それは格好よくて、強い自分を確認したかっただけなのかもしれない。それでも……夢中になって技をかけたもんだ。
それが、こんな形で役に立つとはなぁ?
「おらぁぁぁああ!」
俺は渾身の力でブリッジしようとする。
だが。
普段運動なんかしない俺の体は全然柔らかくなんかなくて、ブリッジなんて呼べない後ろ飛びがそこにはあっただけ。
あぁ、そうか……。
そして俺は気付いたのだ。
そもそもの話――。
そのまま俺と男は後ろに倒れる。
――俺、技かけられる側でしたわ……。
後ろから倒れた俺は、上から落ちてきた男と地面にサンドイッチされる。奇跡的な防衛本能から、男をクラッチしていた手で頭を抱えた為に後頭部を打つことはなかったものの、それでも結構なダメージが俺に襲いかかった。
マット代わりとか……ほんと、俺って良い奴過ぎる……。
マジで、天に昇るかと思いましたっ☆




